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第3話「白から黒へ」

 意外な告白にきょとんとして、じっとフロレントを見つめる。記憶の中にある朧気だった好敵手の顔立ちが鮮明になり、ぴったり目の前にいる皇女に重なった。


「……ぷっ……ハッハッハ! 言われてみれば、そなたはかつてのクレールの生き写しだな! 考えてもみると私の封印を解ける者など奴の血族しかいないというのに、千年も眠っているうちに耄碌しておったようだ!」


 小屋を揺らすような大きな笑い声が響く。懐かしき小娘の再来であると喜んだ。


「そなたが封印を解けたのは血の契約のみならず魔力を身に宿していたからであったか。血の臭いに感化されて封印の中で目覚めたかと思うておったが……くふふ、これは面白い。好敵手の子孫と契約を交わすとは!」


 いつの間にか、彼女は甲冑を身に着けて最初に見たときと同じ姿になっている。どうやって着たのだろう、とフロレントは不思議そうに首を傾げた。


「いやはや封印されたのもこうなってみると悪くない。しかし私の事は構わぬが、問題はそなたの方だ。クレールの創った国はもう……」


 思い返すと胸にこみあげて来る不思議な感情があった。かつての好敵手が愛した人々を守るために創りあげた国が、名も知らぬ国によって滅ぼされていくのを目の当たりにしてしまった。


 何人もの民が絶望の中に平伏して死んでいくのを見た。


「エスタ、私はどうしたらいいのかな。帰る場所も失って、どこにも行けなくなっちゃった。いくらアドワーズ皇国を取り戻しても……」


 涙に濡れた声が沈んでいく。居場所を失った雛鳥が絶望に打ちひしがれている姿を哀れだと思った。いくら羽ばたいても空が遠く見えるだけの雛鳥が。


 だが、彼女が与えられるのは希望ではない。────願望だけだ。


「では復讐を果たせば良い」


「……そんな事をして何になるの?」


「意味などない。しかし────」


 翳した手の中に黒い輝きが渦巻き、剣の形を取った。がっちりと握り締めたエスタは不気味で不敵な笑みを浮かべてみせる。


「果たさねばのうのうと生きて血を啜る悪鬼がのさばるだけの事。そなたがそれで構わぬというのなら諦めて畑でも耕すが良い。それも悪くない。いずれにせよ、」


 剣を軽く振っただけで小屋が半分、ばらばらに消し飛んだ。


「私には叶えてやれる。そなたが望むのならば悪しき願望を踏み砕き、血と臓物を捧げよう。泣き喚く幼子すら恨めしいというのならば悲劇の絶叫で世界を満たそう。それがエスタ・グラム────魔王なる我が誓いである」


 本来あってはならない事だ。アドワーズ皇国は平和を望み、穏やかな暮らしさえできれば良かった。他国への侵攻も望まず、中立の立場を取り続けた。豊かな資源を持ち、独占もなく取引にはいくらでも応じてみせた。


 信頼を寄せる国は多かったが一方では目障りに思う国もあった。バーレン公爵──フィルドが手引きした相手は冷酷かつ残忍で有名なゾロモド帝国。赤子の頭も平気で踏み潰し、女は犯して男は殺す。捕虜など必要ない。帝国にはそれだけの人間が暮らし、補充などいくらでも利くのだから、と。


 平和の信念を掲げてきたアドワーズ皇国とは真逆。だがエスタの考えはそれに近い。邪魔する者は容赦なく蹴散らして道を切り拓くべきだと言う。


 普段のフロレントであれば『それだけは絶対に駄目』と答えられたはずだ。彼女自身、自分でそう思った。それほどに今は魅力的だと感じる言葉だった。


 エスタの考えは尤もだ。放っておけばアドワーズ皇国のみには留まらず現状でも厳しい戦いを強いられている他の国々でも罪のない大勢の人々が犠牲になる。今は他人の事を考えている余裕などないが、彼女の心はそればかりに支配されていった。


 逃げ惑う人々の隙間を縫うように町を出たときの胸の苦しさが。命懸けで守ろうとしてくれた騎士たちを死地へ送り出さなければならない悲しさが。最期まで『大丈夫』と言ってくれた両親や護衛騎士の言葉の重さが。


────離れない。真っ白だった心を黒く染めていく。


「できるのかな、私たちだけで」


 感情がぐらつく。染まるべきではないと思いながらも染まらずにはいられない。エスタは彼女を支配するつもりもなければ操る目的もなかったが、ただ本心からひとつだけハッキリと彼女に告げた。


「出来るかどうかではない。やるまでだ、契約者。一度でも徹底的に踏み躙られた尊厳は戻らぬ。私であれば連中の喉笛を引き裂いてやれる」


 剣が崩れて塵になって消える。吹雪がまた強まってきた。小屋は半壊して既に暖炉の火など眠ってしまった。なのに雪を被っても寒さを感じない。


「……どうやって。私たちだけで本当に出来るの?」


「二人だけではどうであろうな、私にも判断はしかねるが」


 エスタも千年を眠った後で封印を解かれたとはいえ、かつての好敵手によって力の大半を失っている。とても今の人間で楽に敵う程の甘い相手でもないが、帝国の兵力が想像を大きく上回ったものだと想定すれば、いずれ限界は来てもおかしくない。だから二人だけで十分とは言い難かったが、彼女の言葉には続きがあった。


「クレールの信念を私が腐らせてしまうようで小娘には申し訳ないが────我が同胞を呼び覚ませば良い。帝国などという矮小な人間共の国を亡ぼすだけの強さを持った者たちは、私と同様に今も封印の眠りの中だ。だが、そなたの血さえあれば必ずや応えてくれるであろう」


 エスタは跪き、胸に手を当てて頭を垂れた。


「魔王であれなんであれ、今はそなたが我が契約者(あるじ)。────信じろ、どのような願いだとしても全身全霊で叶えてみせよう」


 顔をあげて、ニッと笑ったエスタは美しい声で言った。


「たとえ畑を耕すと言い出してもな」 

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