第21話「契約なんてしてあげない」
二人が何かを隠している事は分かったが、問い詰めたところで躱されるのも理解している。何もないというのだからそういう事にしておこう、と目の前で誰かが乗っていたらしい馬を見てそう思った。
封印のある森も遠くなかった。馬車なのもあってゆっくり進んだので数時間は掛かったが、たわいない話をしながら、食事を挟んだりもして長くは感じないまま、暗くなる前には森へ着いた。
「契約者よ、この森はルバルスの貴族が所有する別荘があるそうだ。使われなくなってしばらく経っているから、好きに滞在してくれても構わないと聞いている。一度そちらへ寄って荷物を降ろしてから封印を解きに行こう」
時間さえあればいくらでも次の目的地を目指せるが、フロレントの身体的疲労を考えるならひと晩くらいは柔らかなベッドの上で休んだ方がいい。幸いにも食糧などを多く積んでもらえていたし、いざ必要になればエスタでもシャクラでも簡単に獣を狩ってくる事は出来る。
「じゃあ甘えさせてもらおうかしら。シャクラもいい?」
「俺はどちらでも。契約者であるお前が決めてくれ」
「分かったわ。じゃあ、ひと晩はゆっくり過ごしましょ」
予定も決まって、ほどなく別荘に着く。数人が泊まるに十分な大きさのログハウスは、使われていないと言われた通り、草木に囲まれて手入れが行き届いていないのが見て取れた。
出発の直前に受け取っていた鍵を使って開けるエスタに、シャクラが「灰にしてやれば良かっただろうに」と鼻で笑ったので、彼女はムッとする。
「借りるだけだぞ、契約者に恥を掻かせる気か?」
「お前、フロレントの事となると厄介な奴だな……」
こんな奴だっただろうかと思いながら、牙を剥いてとても嫌悪感の強い睨み方をされたので仕方なく従った。なんとも後頭部がむず痒い嫌な気持ちだった。
ログハウスは二階建てで、部屋は二つだけだがシャクラは一階のソファを陣取って「俺の寝床はここで構わん」とあくびをして横になった。森まで来れば彼がいなくとも封印から放たれる魔力の気配をエスタが追えるので、自分の役目はここまでで十分だろうとようやく落ち着いて眠れる、と動く気はない。
「貴公が来てくれた方が話も早く済みそうなんだが」
「俺が知った事か。万が一の制圧もお前だけで十分だろうが」
全快とは程遠い魔力も殆ど使って、封印から解き放たれたばかりで二日間も働き詰めだったのだ。当然、彼は休息を要求した。そのうえフロレントも「少しくらい休ませてあげましょう?」と優しく言いだす始末だ。
「ぐぬぬ……。これが魔界であれば貴公の首、なかったと思え」
「はいはい、怖い怖い。さっさと行け」
シッシッと手で追い払われて腹立たしさを覚え、今すぐにでも首を切り落としてやろうかと剣を手にしたが、フロレントに宥められながら外へ連れ出された。あんな奴いなくてもと言いそうになって黙り込み、口先を尖らせた。
「ほらほら、行きましょ。封印の場所まで連れてって」
「……ぬう。そなたも甘やかしすぎだぞ」
「分かってるわ。でも、二日間の労いも必要でしょ?」
「これだからそなたは……。まあいい、もう諦めよう」
どうせ言っても聞かないのがフロレントだ。過ぎた優しさを利用されるのは、きっとクレールでもそうだったかもしれないと自分に言い聞かせた。
「さて、こっちだ。どうも少し奥まったところにあるようだ」
手を引いて、五分ほど歩いただろうか。森の中、大きな木々に囲まれるようにして隠れていた封印の魔法陣から冷たく甲高い声が響く。
『あれっ。何々、魔力を感じると思って目が覚めたら、この気配はエスタね。それに、傍にいるのは……ああ、懐かしい匂い。封印を解きに来たの?』
いかにも活発な雰囲気のある声。とても敵意は感じられない。
「そうではない。そなたと契約を交わしに来たのだ」
しばらくの沈黙が流れる。状況がやっと理解できたのか、朗らかな声が周囲一帯に響いた。瞬間、強烈な血の臭いと殺気が充満していく。
『アッハッハ! よく気配を探ってみればクレールじゃないのね。でも契約に来たって事は血が流れてるってわけだ、面白いわ。でも嫌なこった! アタシはアタシより強い奴しか認めない。屈服させる気概があるってんなら、このアタシの名を叫びなさい! アタシの名は────』
フロレントは、エスタから受け取ったナイフで指先を傷付けて血をこぼす。滴った血が魔法陣を煌々と輝かせた。
「────私と契約しなさい、ルヴィ・ドラクレア!」
真っ黒な竜巻が魔法陣の中央から湧きあがり、周囲一帯を吹き飛ばす。エスタは咄嗟にフロレントの前に立って剣を地面に突き立てて結界を張った。
「遠慮のない小娘だ。魔族らしいと言えばそうなのやもしれんが」
竜巻が消えると、その中に立っていた少女の姿が露わになる。ゴシックな雰囲気のある漆黒のドレスに、黒銀の胸当ては濃い紫の縁取りがされていて、仄かに差し込む陽光が鈍く光らせた。
「はんっ。人間如きに従うようになったら、龍帝もおしまいね。……ま、いいわ。アタシを倒せるってんなら契約してあげる」
ルビーレッドのツインテールをふわっと振って、勝気に吊りあがったミモザ色の眼差しが鋭く二人を射抜き、不敵に笑った。
「千年ぶりだわ、この滾る感覚!」
どこからともなく跳んできた一匹の蝙蝠を手に握って潰した瞬間、手には細くも力強い雰囲気を持った赤黒い装飾のある鋼鉄の槍を握り締める。
「────さあ、アタシと遊びましょ!」




