第16話「友達ではない」
「エスタ! もう、どうしてずぶ濡れで外にいたの?」
顔をあげると戻ってくるのが遅かったのを心配してやってきたフロレントが不安そうな表情を浮かべていた。
「食事の準備が出来たのに、いつまで経っても戻ってこないから探してたのよ。陛下も、今後の事について話し合いたいと仰っていたわ」
「うむ、すまない。少々話し込んでしまって」
ハシスたちを起こして状況を説明した後、シャクラまでもが敵意を捨てて好意的に──そう見えるように──接したため、彼らも色々と思うところはありつつ事態を受け入れて、ひと晩くらいは過ごしていってほしいと提案した。
ゾロモド帝国がアドワーズ皇国を制圧した以上、次の標的になるのは避けられない。ハシスとしては今だけでも協力関係を結びたいのは目に見えている。思惑に乗っかりながらも今後の行動を考えてフロレントが承諾したので、具体的な同盟の締結について話し合いが行われるのだろう、とエスタは納得する。
「どうしよう、ずぶ濡れで食事なんて無理よね」
「気にするな。こんなものすぐに乾かせる」
握った拳で胸をとんっと叩くと柔らかな熱気に包まれ、髪も服もふわっとする。余りある水分など、どこかへ消え失せてしまった。
「……便利ね。もしかして前に返り血を浴びたときも?」
「ああ。だが湯浴みをした方が気分は良い」
「じゃあ、後で一緒に入りましょ。私もゆっくりしたいから」
自然に手を繋いで食堂へ向かう。すっかり心を開いてくれたフロレントの笑顔に、どうしてかエスタはちくりと胸が痛む。
「意識しすぎかもしれんな」
「うん? どうかしたの?」
「いいや、なんでもないよ」
食堂に入ってずらりと並んだ料理によだれが出そうだった。既にフロレントとエスタ以外は席に着いていて、全員が揃うまで待つよう言われたシャクラは「早く座れ、腹が減って機嫌が悪い」と不服そうに頬杖を突いて睨む。
ケルムトが苦笑いをして宥めた。
「まあまあ、全員揃ったわけですし。それでは皆様、親睦を深めるついでに今後の方針も含めてゆっくり食事でもしながら話を進めましょう」
ついでなのは親睦を深める方だろうとは誰もが思った事だが、口にはしない。ただ、エスタとシャクラはあからさまに態度に浮かんでいる。
「君たちは本当に、その……皇女以外には心を開いていないのだな。我々も少しは距離を縮められたら嬉しいんだが……」
皿に乗った料理を食器を使わず手づかみで遠慮なく食べるシャクラが、肉を骨ごとかみ砕きながらフッと鼻で笑って小馬鹿にした。
「俺たちは契約者に従うのみだ。人間の下らん馴れ合いに興じるなど時間の無駄だろう。要件を話せ、必要かどうかを判断してやる」
こつん、とシャクラの額に豆がぶつかった。皿に乗っていた豆をエスタが正確に狙いを澄ませて投げつけたのだ。二人がぎろっと冷たく睨み合う。
「なんのつもりだ、エスタ。ここで殺り合うか?」
「貴公こそ慎め。判断するのは契約者だ、次はない」
正論に引っ叩かれて黙り込む。仕方なく食事を再開すると、ハシスたちはホッと胸を撫でおろして助かったと礼を言う視線をフロレントに向けた。
「すみません、ハシス陛下。ですが彼の言葉にも一理あります、距離を縮めるのも良いのですけれど、私たちも時間には急かされておりまして」
「そうであったな。すまない、気が利かなかった」
こほん、と咳払いをしてぶどう酒で口を潤す。きっと図々しいと思われるだろうと緊張しながらハシスはひとつの提案を彼女たちに伝える。
「……ゾロモド帝国の進撃は、おそらく我々が最大限の戦力を投じても止められるものではないだろう。さらに今回のように野盗まで出るのであれば、とても臨機応変になどと口にしている場合ではない。だが話を聞けば君たちはたった二人で皇都を奪還したのだろう? 現状で全ての封印の位置を把握しているのでなければ、私も各方面へ掛け合う準備がある。その代わり君たちの力も借りられないか」
ルバルスはアドワーズ皇国と比べても小さく、戦力も帝国相手にはとても足りていない。もしも彼女たちの手を借りられたなら。誰でも当然のように考える事だ。その対価として提供されるのが、現状で可能性のある封印の場所。エスタも千年前の事を正確に把握出来ているわけではなく、直前に封印されたシャクラだけを鮮明に記憶していたに過ぎない。
悪くない案だ。フロレントは乗っかろうかと考えてエスタにも横目で判断を仰ぐ。彼女はすぐに気付いてぶどう酒のグラスをそっと置いて────。
「フム、貴公は椅子に座っている姿が良く似合う。酒の入ったグラスを片手に親睦などと薄ら寒い言葉で契約者の情を揺さぶるのは悪くない」
置かれたグラスが粉々になって崩れた。それだけではない。テーブルも、その上にある全てのモノも灰となった。シャクラだけが声を堪えて可笑しがっている。
「────だが我々は甘い酒では酔えぬ。封印の在処如きで愚者共のために掲げる刃はない。そも、シャクラがいれば特定など容易い話だ」
注目が一人に集まった。手に残していたりんごを齧って、彼は心底馬鹿にした笑みを浮かべながら、心地よさそうな声で言った。
「だそうだ、小僧。残念だったな、帝国のように列強に名を連ねるのは叶わんらしいぞ? 大方、俺たちを使って他国への交渉材料にしながらルバルスの立ち位置を明確にして、戦争の英雄にでも成り上がるつもりだったろうに」
ハシスが慌てて椅子から立ちあがって「そんなつもりはない!」と声を荒げた。しかし動揺は隠しきれず、フロレントも分かっていた事だと肩を落とす。
「……そうよね、私たちは友達じゃないもの。父のように上手く行かないのも理解していたわ。ハシス陛下、今日はありがとう。でも自分の国は自分で守って行かなくちゃ。私たちは同盟を結びにここへ来たわけではないから」
誰でも脅威は手の内に収めて安全に留めたいものだ。逆の立場であったとしても、同じ選択をしたに違いないと彼女はエスタの手に触れた。
「行きましょ。ひと晩くらいお世話になるつもりだったけれど、ここでなくてもいいわ。またメルランに戻ればいいわ。……とても落ち着くの」
黙っていたケルムトが立ち上がり、頭を深く下げて「お待ちください、私の話も聞いてはもらえませんか」と頼み込む。あっさり断られても仕方ない状況でも僅かな可能性に賭けて縋った。
どうするべきかと判断に困ったフロレントは、エスタに委ねようとする。しかし彼女は首を横に振って「そなたが決めよ」と拒否した。自分にばかり頼っていては、本当に必要な場面で判断を鈍らせてしまう、と。
少し悩んだ末に、フロレントは頬を指で掻きながら「じゃあ、少しだけなら」と時間を与える事にする。故郷が消えてしまうかもしれない一大事を迎えている彼らの気持ちは、彼女もよく分かっていたから。
「話してください、ケルムト。これが最後のチャンスです」