第14話「問いかけ」
緊迫感に満たされる。シャクラの放った殺気ひとつで離れて見ていたハシスとケルムトは気を失ってしまう。ただの人間にはとても耐えきれない威圧感。同じ人間でもエスタと契約しているフロレントだけが立っていた。
「ほう。強いな、小娘。エスタと契約するだけはある」
「そう言ってもらえて光栄よ、シャクラ」
「だが、それで俺が契約を交わす理由にはならん」
そう言いながらもズボンのポケットに手を突っ込むだけでシャクラは動こうとしなかった。手を出したくても容易に出せない。目覚めたばかりの彼が戦うにはエスタという壁は高い。
「捻じ伏せろと言った割には動く気がないのか、弱気だな」
「そうか? であれば戦ってやってもいいが」
ちらと彼が目をやったのは背後で気を失う二人だ。
「今の時点で、お前に敵わなくとも、そこに倒れている人間を始末するくらいはやってみせよう。契約者である小娘の期待を裏切るのは本望じゃないだろう」
剣を構えようとしたエスタの手がぴくっと揺れて止まった。
「フッ、強いくせに頭のなまくら具合は変わらんな、エスタ。捻じ伏せろとは言ったが、何も武力ひとつで解決しようとは考えてはいないさ。この小娘に気を遣ってやっただけの事」
目の前にいるフロレントの頭に大きな手をぽんと乗せてククッと笑った。
「こんな小娘を気分で殺したとして俺が恥を晒すだけだ。────欲するのは言葉。示した問いに俺が納得のいく形で答えるだけでいい」
フロレントがきょとんとする。暴力的な気配とは裏腹に、彼は理性が強く冷静だ。闘争を求める感情よりも己が武人として恥を掻く事を嫌った。
「そうすれば契約してくれるのね?」
「ああ、構わん。お前が望めば何でもしてやる」
それでいいだろうと視線を向けられたエスタも納得して剣を消滅させ、戦闘態勢を解く。シャクラはとても強く、自信に満ちていて誇り高い。自分で口にした事を反故にするような魔族でない事を彼女はよく知っていた。
「ま、いいだろう。だが他の連中はともかく我が契約者に怪我でもさせれば、貴公の首が繋がっていると思わぬ事だ」
「フッ……怖い怖い。安心しろ、そこまで馬鹿じゃない」
目の前のか弱い人間の少女と目を合わせ、ほんの数秒の間を置いてから彼は尋ねた。「俺が怖いか?」と、ただそれだけ。それだけが彼の問いだった。
まっすぐ見つめて来る冷たい刃を思わせる鋭い深紫の瞳。吸い込まれそうなほど美しいとさえ思った。彼女はさほど間も置かず、答えを出した。
「怖いわ、とても。だけどそれ以上に────可哀想だわ、とても。なんというか、すごく寂しいんだと感じたの。……ごめんなさい、何言ってるか分からないわね。あなたの望む答えじゃなかったかも」
少し慌てたりもしたが、決して間違えたと感じても後悔しているふうではない。彼女なりの率直な言葉。シャクラに対する第一印象だ。
「……プッ、ハハハハハッ! なんて面白い奴だ、千年を経て見るからに血統だと分かる小娘が俺を笑わせるほどの胆力を持つか!」
腹を抱えて目尻に涙を浮かべる。フロレントが継いだものが姿だけではないと分かって、心から満足する答えが返ってきたと胸がすく。
「そうかそうか、俺が寂しいか」
ある意味で図星だった。寂しいという感覚が彼にはよく分からない。たかが千年。されども無限に思える時間を過ごす中で、遠い過去に消え果てた強敵の気配に対する虚無感が彼の感情の全てを支配した。────これが退屈か、と。
千年を待ち続け、忘却の彼方へ消える運命を受け入れた先で出会ったのが、失われた強敵の面影を残す小さな存在。指で押さえたら簡単に潰れてしまう羽虫同然の娘に『寂しいんだと感じた』と言われた事が可笑しくてしかなかった。
「エスタが契約を交わして共に在る事を選んだ理由がよく分かる。お前は人間でありながら恐怖を知ってなお踏み出す勇気がある。それは無謀ではなく、お前の周囲に強さをもたらすものだ。実に素晴らしい」
パチン、と指を鳴らすと契約書と羽根ペンが彼女の前に浮かぶ。
「それに名を書け、正しく契約を交わそう。このシャクラ・ヴァジュラが、お前の遣いとなる事を認めてやろう」
言われるがままにフロレントは名を記す。書き終えると同時にシャクラがひょいと紙を取り上げて、目を細めながら────。
「フロレント・クレール・フォン・アドワーズ。……千年を経てなおも続く高潔な血統か。あの女によく似た、気の強そうな顔だな」
契約書が黒く燃え尽きて灰に、羽根ペンは握りつぶされると砂になって崩れた。これで契約は完了した、とシャクラはまた彼女の頭に手を置く。
「これからよろしく頼むぞ、小娘」
「うう~。撫でないで、恥ずかしいから」
顔を赤くするフロレントを、横から割って入ったエスタがサッと彼女を抱きしめてシャクラから離す。彼女はじと目で睨みながら、ふくれっ面を見せた。
「私の契約者だぞ、勝手に触るな」
「ケチな事を言うじゃないか、魔王のくせに器が小さいな」
「魔王だからだろうが。だから貴公は嫌いなのだ」
「ハッ……。まあいい、それで、」
がりがりと頭を掻いて苦笑したあと、フロレントに尋ねた。
「お前たちが俺を解放した理由を聞かせてもらおうか」