64話
「いいピアノですね。だがまだ成長しきっていない、これからどんどん良くなっていく。これはどこかから譲り受けたものですか?」
同時に違和感もある。むしろ、良すぎる。中音から高音の音色の美しさは、このままでもいいのではないかと悩むほど。もちろん、自分が調律すれば、さらに上へと引き上げてみせるが、まるで元々どこかにあったものを、持ってきたかのように整っている。
肯定するクロードだが、少々落ち着かない様子で語を続ける。
「ええ。ですが実は色々ありまして、今日の午前届いたばかりなんです。本来なら数日前に届いていたはずなんですが……」
どんどんとクロードの語尾が萎む。力なく、言いづらそうにサロメ達の顔色を伺った。
「今日? 午前?」
今日は試弾とはいえ、リサイタルが行われるはず。そんなギリギリなことある? とサロメは訝しむ。
だが、その苦しい胸の内をクロードは吐露した。
「……はい、どうも空港のストライキのようで……」
「……」
眉間に皺を寄せて、サロメは不満を露わにする。
ヨーロッパではストライキが多い。航空や鉄道などでは頻繁にあり、大幅に便や本数を減らす。もちろん人だけでなく物資も滞ることとなり、予定日より遅れるなど日常茶飯事だ。
やれやれ、と頭を掻いたルノーが間に入る。
「そういうこと。本来なら数日前に一回調律する予定だったんだけど、本番当日になっちゃったってこと。というか、はい、ストップ。今日は調律については考えない。私の動きだけを見てればいいから」
また調律に手を出そうとするサロメの手綱を、保護者のように引く。今日の主役はお前さんじゃないよ、と立ち位置を確認させた。助手だと言ったのに。
その助手はグリッサンドの音で、だいたいのピアノの様子を確認済み。来月のリサイタル本番ならともかく、練習なら問題ない。本当なら整調だけでもしたいところだが。環境が変わるとネジが緩んだりするので、ネジ締め程度にしておく。
「今日は調律だけなので一時間から一時間半を目安にしようかと思います。リサイタルには間に合うようにやらせてもらいますね」
予定をルノーがクロードに伝える。状態がよかったのか、目立って悪い点もない。ならば、ユニゾンだけ整えるくらいがいいだろう。
だが、その様子を身廊の一番前のイスに座って見ていたサロメは、さらに射抜くような眼光を突き刺す。
(あたしなら三○分で終わらせる……社長はあたしになにを見せたいの?)
ただの平均律で整える調律。目隠ししたってできる。ここに来た意味はなんなんだろう。そしてとりあえず寒い。空調のようなものは当然ないので、最高気温でも一〇度程度の教会内はそれ以下だ。
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