316話
「なんでもいいわ。さっさと決めて」
すでにピアノ選びの手伝いにサロメは興味を失っている。ただ、このピアノ。それを知ることができた。それは大きな収穫。すでに思考は次に移っている。
リクエストしていい、となると店員は悩むが、ピアノや店内を見まわしてふと、思いついた曲。
「じゃあ、ドイツってことでシューマン……そうだね。『子供の情景』なんてどう? その中から『鬼ごっこ』。短いしちょうど良さそう」
「大丈夫。じゃあ適当に」
カルメンにとっては難しい曲ではない。とはいえ手は抜かない。抜けない。弾くなら適当はない。それがどんなピアノであっても。自分なりの曲を弾ききる。
淀みのない流れを断ち切るようで少々申し訳なさを感じつつも、ハイディはおそるおそる、ポツリとこぼす。
「……『子供の情景』?」
子供。楽しそうではある。跳ね回るような。簡単な曲?
サロメから解説が入る。
「シューマンの代表的なピアノ小品集。『トロイメライ』とか名前くらいは聞いたことあるでしょ? そのうちのひとつよ」
シューマンとはもちろん、かの有名なロベルト・シューマン。その彼が一八三八年に作曲した、全十三曲からなるピアノ独奏曲である。
この小品は、子供を描いたというより、大人にとっての子供心をイメージして曲にしている。彼の表現力が元になっているため、難易度はただ弾くだけなら子供でもできるが、さらにその先を奏でるには深い理解が必要となる。シンプルゆえに難しい。
ロ短調のこの曲は、約三十秒ほどの短さ。途中にト長調やハ長調に変わり、スタッカートの旋律が特徴的で、遊びに夢中な子供が跳ね回る、軽やかで軽快なステップを感じ取ることができる。
シューマンは約一ヶ月ほどでこの三十曲を作曲したわけだが、その中から十二曲を選び、さらに一曲追加された。かのフランツ・リストがこの曲を聴いて「生涯最大の喜び」と賛辞を送ったと言われるほどの名曲揃い。




