311話
「これ……ですか?」
ひょいっとハイディが顔を覗かせる。まだ全部を見て聴いたわけではないので「わかりました」と即答できない。その上、ピアニストの意見もない。自分も。納得はできていないので、曖昧に返事。
店内には、ピアノをよく知らない人でも知っている『ヤマハ』や『スタインウェイ』などもある。買えるかどうかは別として。だがそのピアノは。即決するほどの『なにか』を感じることはできなくて。
その間にカルメンがずいっと割り込む。
「店員さんの話聞いてた? スタジオに置くのなら、弾きやすいもののほうがいい。論外」
私ならどんなものでも弾きこなせちゃう、という自信はある。だが、そうではない人々のことを考えると、ありかなしかで言うと『なし』になるだろう。知ったことじゃないけど。
「あんた、そういうの関係なくて自分がいいと思ったもの、って言ってなかった?」
「言った。だから私が弾いてもいないのに決められたのは、なんだか許せない」
というのがサロメ決断に対してのカルメンの主張。というか、そんな簡単に決められたらここまで来た意味がわからない。来たからにはやれることはやらないと。無視されて話が進むのは嫌い。
その助け舟はハイディにとってありがたいもので。ひとつ咳払いして場を正す。
「では、一度弾いてもらってもいいですか? サロメさんがそこまで即決するのなら、なにか理由があるはず——」
「ないわ」
「え」
食い気味に入るサロメの否定に対し、甲高い声で反応したハイディ。え? え? どういうこと? いや、だってなら……どういうこと?
顔色ひとつ変えずにサロメはきっぱりと言い切る。
「ない。けど、強いて言うならこのピアノの『ユニゾン』。これは……これを調律したの誰?」
と、店員に目線。どこか鋭ささえも感じるほどに。冷たく強い怒りの瞳。




