305話
「ふーん、まぁまぁ揃ってんのね。初めて来たけど」
店内に入って最初にサロメはつまらなそうにそう、呟いた。見渡すかぎりピアノ。アップライトもグランドも。ゆったりとした距離感を保ちつつ、ずらりと並んでいる。赤や白、木目調など見るだけでも楽しめるショールーム。当然試弾も可能。アトリエと大差はないが、客数はこちらのほうがたぶん多そう、という感想。
その他にも観葉植物や絵画などが飾られており、外の喧騒から切り離されたような感覚。ここのピアノをコンサートやレコーディングで使用したプロのピアニストのアーティストフォトが壁の棚に多数飾られており、ショパンコンクール入賞者のものも。
キョロキョロと落ち着きなく観察しながら、ハイディは問いかける。
「こういうところってあまり調律師の方は来られないんですか?」
サロメは「ん?」と反応しながら欠伸をひとつ。
「一応あたしはアトリエの調律師だからね。人によっては親身になって手伝ってくれるだろうけど、あたしはパス。調律以外にやるつもりないし」
そう。だから今日も来たくなかった。そりゃそうでしょ。子守りなんて仕事じゃないっつーのに。本当にショコラあるんでしょーねあのオッサン。
詳しい経緯を知らないカルメンはジトっとした目を向ける。
「じゃなんで今日ここにいるの」
自身も呼び出されて不満がある。お互いに後ろ向き。
「悪どい大人に人質を握られててね」
思い出すとまたサロメはイライラしてきた。今のところポジティブな要因がひとつもない。今までもやりたくない調律などは数えきれないほどあったが、今回は飛び抜けているかもしれない。無理やり見出すならば、ここの店には珍しいメーカーが少しあること。
音を。知ることができる。出会うことが難しいピアノの音を。
「なにそれ。ま、いい。私は弾くだけだから。早く選んで」
そこらにあるピアノ、それこそグランドもアップライトも区別なくカルメンは適当に触れる。なんだか。学園のほうが弾きやすそう。ここの音は。少し窮屈。




