299話
「……」
振り返り、空虚な目でサロメはその店構えを見つめた。とある楽器の形をした看板がひとつ吊るされている。それと。目が合った気がした。
突然立ち止まったその姿に、ハイディは首を傾げる。
「……どうかしましたか? ヴァイオリン?」
目線の先にあるもの。それは弦楽器の王、ヴァイオリン。店名は〈シンチェリタ〉。ヴァイオリン専門店であり、中を覗くと無数のヴァイオリンが壁に配置されている。だが、至って普通であり、ローム通りにこうした店は多い。少なくとも、パッと見では異変も変化もない。
ふぅ、と息を吐くサロメ。切り替え、再度歩き出す。
「……あたしくらいになれば、ピアノじゃなくても良い楽器があると反応するようになんのよ。良いピアニストとか」
「じゃあそのセンサーは壊れてる」
「はぁ?」
断定するカルメンに対し、サロメは顔をぐにゃっと歪ませて詰め寄った。このあたしに文句あんの?
ジトっとした目つきのままカルメンははっきりと言い切る。
「良いピアニストに反応するなら、私に反応してないのおかしいから。だから壊れてる。間違いない」
うん、と頷く。自分に自信はある。少なくとも、ピリピリくらいは感じてもらってもいいはず。むしろビリビリでもいいくらい。
独特の世界を持つピアニストは時々いる。そういうヤツね、とサロメは流すことにした。
「……あー、はいはい。それでいいわよ、言ったって誰にもわからないことだし。さっさと行ってさっさと終える。それだけ」
先ほどよりもスピードを上げ、人々をかき分けて進む。振り返ることはもうない。帰る時も、遠回りでもいいからここを避けて帰ろう。そう決めた。
「なにそれ」
結局、カルメンはよく理解できなかったわけで。ジトっとした目線をその背中に突き刺す。
その力……力? 役に立ったことがないから誇っていいのかサロメにもわからないが、彼女の中で言えることはただひとつ。
「天才は孤独って話よ」
自分でも言葉に表せない感覚。なにかしら、それを持っている人物は個性を持つ。でもそれが上手く伝えられないもどかしさ。色々な分野でそれはあるのだろう。自分は『音』なだけで。他者からは独立した世界。
クラシックの偉人達は、どれもひと癖もふた癖もある人物ばかりで。他人と分かり合えない者も多かった。芸術というカテゴリはそう、なのかもしれない。他を全てシャットアウトすることで個性を創り上げていく。良いのか悪いのか。わからないけど。
なんとなく、カルメンも歩みを速めて隣に並ぶ。言ってやりたいことがあるから。
「じゃあそれも間違ってる。私も天才だけど友達多い」
「はいはい」
面倒なヤツを引いちゃったかなー、とサロメは若干の後悔を感じつつ、目的の場所を目指す。予定は変わらない。さっさと終わらせてやろうじゃないの。




