288話
「全く思わない」
一切の隙も見せない口調でサロメは否定を口にした。要件を済ませてショコラを味わいたい。その一心。
ノエルで賑わうパリの街並み。歩みを進める足に軽快さが含まれ、表情にはイベントと新年への期待が垣間見える人々。すでに日が落ちかけてきてはいるが、それでもまだ夕方。ここからパリは始まると言っても過言ではない時間帯。
パリには音楽街、と囁かれる通りがある。一七区サン・ラザール駅の近くにあるローム通り。楽器店やヴァイオリン工房など、音楽に関する店が多く並び、特に楽譜専門店では普通では手に入らない古いものも置かれていたりと、一部の層には聖地と呼んで差し支えない地域。
同時に鉄道好きにも有名な場所でもある。線路沿いに通りが続いていることと、古く歴史のある駅舎も間近に見ることができる。パリで最も古いターミナル駅でもあり、画家のモネが描いたことでも有名なこの駅は、地方へのアクセスも良好なため、周辺も多くの観光客で賑わう。
車道には相変わらずのパリ名物、路駐の車だらけ。歩道で歩く人々の隙間を縫いながら、ハイディは柵越しに出発したばかりの列車を眺める。
「そうですか? 楽しくないですか? 私としては列車や地下鉄に揺られている時間も結構好きですよ。乗っている方々を観察したり」
列車の外見の無骨さも嫌いではないが、それよりもやはり乗った時の高揚感。目的地まで携帯で暇を潰すより、偶然乗り合わせた乗客や外の天気と建物。こういった一期一会がなんだかしんみりとして。
パリに住んでいると、便利なこともあって遠くへは行かなくても済んでしまう。ピアノもアトリエで買えば、ここまで来る必要もなかった。同じ市内ではあるが、一七区はあまり来たことがない。なので、そういった楽しみも兼ねて。




