285話
あぁ、それですか、とトリニティは長い髪をかき上げた。再度タブレットを開く。
「私の実力を知ってほしくて。一番得意な曲を選ばせていただきました」
五分ほどのピアノ独奏曲。どこかフワッとした、曖昧な境界線。ぼんやりと受け取る側に全てを委ねるような印象主義の音楽。そんなドビュッシーの音楽の中では、主張が強めな作品。好き、ではなく得意。
「ほぉ、それが『仮面』と」
なんとなく、男は全てを察した気がした。より満面の笑みに近づく。頷きながら、室内を歩き回ることを再開。
その一連の行動が。常に上に立ちたいトリニティの癇に障った。
「現代人はこういうのが好きでしょう」
素早く動く指。見栄えはとても大事。評論家でもない限り、多くはそれだけで喜ぶのだから。プロになることも。い続けることも。簡単なこと。
「たしかに。時代には合ってますなぁ」
適当に相槌を打つ男。美人がピアノを弾く。それだけでも話題になる。リストも大層なハンサムだったがゆえに、演奏では気絶する女性もいたとか。多少は盛られている気もするけども。わからなくはない。
なんとも掴みどころのない返事に、トリニティは痺れを切らす。
「それでどうでしょうか、私とあなたなら——」
「なーるほど。疲れた現代人には突き刺さる、とても眠くなるつまらない演奏だったのはそれが狙いでしたか。大人気大人気。睡眠導入剤としてバカ売れする未来が見えますよ」
もしくはサブスクの『ヒーリング』系のBGM。実は男は欠伸を我慢するのも限界だった。今頃その名残が込み上げてくる。あ、ごめん無理。見られないように窓の方を向いて配慮しつつ、噛み殺しきれなかった欠伸が出る。
静まり返る室内。外からの鳥の鳴き声が。体に染み入る。




