279話
数瞬黙ったのち、意を決してルノーは口を開く。
「……ある、と言ったら?」
それも適当。いや、ていうか本当にあったのか限定品。あるかそりゃ。書き入れ時だし。
案の定サロメは、
「はぁ?」
と表情を歪める。こっちはそこの従業員から聞かされてるってのに。その人物ですら買えなかったと嘆いていたのに。このおっさんが買えているとは到底思えない。ないでしょどう考えても。
しかしルノーは食らいつく。
「そこのオーナーから受け取っていてね。日頃お世話になっているお礼だそうだ」
もうここまできたら突き抜ける。オーナーは最優秀国家職人章、通称M.O.Fのロシュディ・チェカルディ。勝手に名前を使わせてもらう。もちろん会話もしたことない。顔もよくわからない。とりあえず店の方角に向かってあとで謝っておこう。
「お世話してんのはあたしよ。お店に対してなら、あたしに食べる権利は最初からあるでしょうよ」
そもそもがそこの従業員であるジェイド・カスターニュはちょくちょくアトリエまで来ては、調律だったり無駄話だったりを店長とかとしてるだけ。ゆえにサロメにとっては、本当に預かっているのだとしたら、こうやってエサに釣られるような今の状況もおかしいと断言できる。あるなら即よこせ。
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべるルノーは、自身を指差し。
「こっちは経営者。そっちは雇われ」
と現実を叩きつける。文句があるなら店の籍は削除。ただのひとりの少女。わがままな。だが、きっとそれをこの子は望まない。なぜなら——
見つけなくてはならないピアノがあるのだから。
そのためには、調律のできる店でできるだけ自由にやらせてもらえる環境が必要。そんなのウチくらいなものだろう。だから。譲らないし譲る必要もない。うん、きっと。




