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Réglage 【レグラージュ】  作者: じゅん
ペトロフ『ミストラル』
248/317

248話

「……わかりました」


 なぜこの曲を? それがブリジットの心に巣くったが、なにも問題はない。ショパンを知り、研究し、繋がっていると自信を持って。私。私とショパンが今、境界すらも曖昧になるほどに混じり合うイメージ。


 邪魔にならないようにブリジットの背後に立ったリディアは、眼球だけリクエストした人物に向ける。


(……よくわからないけど、あの男性はなんとなく、曲者な気がするね。なにかを試されている。ま、私が考えたところで意味はないんだけどね)


 演奏するのも自分ではないし。曲の背景も知らない。なら黙って聴いておくのが正しい選択。唇に指先で触れ、微かに微笑む。


 そして演奏が始まる。悲壮感溢れる開幕。切なく、それでいて感情が少しずつ漏れ出すように。肺結核。なったことはないが、自然とブリジットの表情にもショパンが乗り移る。


 マズルカらしくない、と表現する専門家もいるほど、よりショパンの内側が滲み出た第三番。あらゆる点で彼を語る上で欠かせない曲となっている。


 演奏よりもピアノの調律具合を確かめるサロメ。大きく狂っているわけではもちろんない。自分が以前にやったのだから当然。そして自然と曲にも耳を傾け、そこから見えてくる彼女のピアノ。


(……非常に丁寧に縁取られたショパニズム。ポーランド人だったら立ち上がって拍手喝采ね。でも——)


 そこまでで思考をやめ、隣を見やる。


 すると目を閉じ、まるでワインのテイスティングでもしているかのように、レッスン室を満たす音を味わっているカイル。体がほんの少しだけ揺れ、音そのものを細部まで吸収している。


「……」


 時折、深く体を沈み込ませてよりショパンの魂に近づく。そして頷く。なにかを理解したのか、それとも自分の解釈と近いのか。わからないが、審査員のようにひとつひとつ音を確かめながら。


 静謐で厳かな空間。二二〇小節という大規模な約六分間。不規則に揺れるフレーズ、民族的なリズムで作られた幻想曲のようでもあり。曖昧で独創的。難解な譜読み。ショパンを分解して楽譜に残したような。


 静かに弾き終えたブリジットは、聞こえない程度の肺活量で息を吐いた。


「……どう、でしたか?」


 観客に感想を求める、というよりもピアノの講師にダメ出しをしてもらう時のような緊張感。心臓が高鳴る。


 数秒間の沈黙。演奏を思い出すように、少しずつ前傾姿勢になりながら、カイルは倒れそうになる体を力強い一歩で踏みとどまる。そして。


「……いや! 素晴らしいッ! ショパンの繊細さ、読譜の深さが一音一音から伝わってくる。まさにショパンが生きていたらこう、という音だね」


 スタンディングオベーションで喝采。最初から立っていたが、さらに一歩ずつゆっくり歩み寄る。

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