241話
「あんたにメリットなんかないわよ? なんの意味があるの?」
荷物を持ってくれるのはありがたいが、余計に面倒なことになりそうというのはサロメにもわかる。コイツは話をややこしくするタイプの人間。自分のことは棚に上げといて。
とはいえこういったカイルの思惑というものは、案外にも俯瞰している点もあって。それらしい言葉を並べてみる。
「アメリカのスポーツはね、自分達のチームが勝つことより『そのスポーツ全体の盛り上がり』を重視するのさ。ウェーバー方式のドラフト、ってので毎年どのチームが優勝するのかわからなくするほどに」
母国のスポーツ事情をピックアップ。アメフトやバスケ、野球などで使用されているルール。順位の低かったチームに選手獲得が優遇される。これによりある程度は戦力が拮抗できるように。
なんだか的外れな返答な気もするが、とりあえずサロメは上手いこと噛み砕いて真意を理解してみる。
「それと一緒で、あんたはクラシック界を盛り上げたい、とでも?」
この学園で演奏することで? どれだけ影響があるのやら。バタフライ・エフェクトじゃあるまいし。巡り巡って地球のどこかで誰かの命が救われました、ってなるって? まぁ確認しようはないけど。
当然のことながら、この会話に意味はない。暇を持て余したカイル・アーロンソンのただの戯れにすぎない。
「それにキミは退屈しなさそうだし。様々なピアノに触れ合うのも利点が多いからね。『虫の目・鳥の目・魚の目』って知ってるかい? ビジネスには大事な三つの視点なんだよ」
ちょっとだけ年の功を披露してみる。細かく、広く、世の中の流れを把握すること。将来的にも、自分達が生きていける程度には稼げるようにしておくためにも、クラシックが衰退してしまうのは忍びない。どこに幸運の女神がいるかわからないのだから、色々と手を出してみる。
「知らない。興味もない」
荷物持ちを追い抜きつつサロメは先を行く。軽くなったような、泥沼にハマったような奇妙な足取り。どうか楽な道に進めますように。
置いていかれないよう、そのまま続いて袖に引っ込んだカイル。目的地に着くまでも喋りを止める気はない。
「それと『コウモリの目』もね。物事を逆の視点からみてみる、ってのも大事さ。一度、調律ってやってみたかったんだよね。教えてよ」
「あーもう。めんどくさっ」
だからピアニストってのは嫌いなのよ。少々げっそりとやる気を削がれつつ、サロメは次の調律予定のレッスン室を目指す。




