220話
かなり癖のある思考を持った偉大なピアニスト。その影響を受けているということは、この子はかなり弾くほうか、とアレクシスはひとり頷く。
「本当によく知っているね。だから私はピアニストを『操る』調律を目指している。彼らの知らない引き出しを多少強引に開けさせる。少し傲慢かもしれないがね」
こんな音を出すこともできたのか、と気づかせること。それに生きがいややりがいを感じている。少し変態じみていることは自分で理解もしている。
しかしそれがおかしいことだとはランベールは思わない。むしろそういう様々な価値観はインプットしていきたいから。
「いえ。それぞれ自分なりの音がありますから。サロメはピアノの最高の音を引き出すこと、レダさん……俺の憧れの人はピアニストの弾きやすさを重視して。俺は……まだわかりません」
ピアノが一台一台違うように、調律師のユニゾンも違っていい、むしろ同じなどできない。耳の感覚も考え方も違うのだから。それが面白さに繋がる。そんな終わりのない螺旋の中、答えは見つからないでいる。
そんな少年の姿に、アレクシスは過去の自分を見ているようだと錯覚しだす。
「誰かを真似するでもいい。ヤマハだって、最初はスタインウェイのピアノを分解してコピーするところから始まってるわけだから。なにをしたって最終的には自分のオリジナリティが出る」
そうすれば、少なくともアレクシス・デビラートくらいにならなることはできる。メーカーから依頼がくる程度には。
そこへ。
「キミ達が調律師か」
舞台袖から現れた人物。その瞬間、まるでスポットライトが一気にそちらへ向かってしまったかのような、そんなオーラさえ感じるほどに強いカリスマ性を持つ。柄物のシャツにセットアップでシンプルに決めているが、それがスタイルの良さを引き立てる。
「その通り。このピアノの調律を任せてもらっているアレクシス・デビラートだ。弾いてみるかい? グラハム・アーロンソンさん。まだ調律前だけど」
いきなりの主役の登場に驚きつつも、アレクシスは一歩引いてイスまでの道を開ける。すでにアトリエで最低限の整調などはしてあるので、普通に感触を確かめるぶんには問題はない。
促されるまま、ゆったりとした足取りでグラハムと呼ばれた男はスマートに着席。
「あぁ、なにかリクエストはあるか?」
聴衆は彼らとホール内にいる数十名ほどのスタッフのみ。指慣らし程度にはちょうどいい数。働いてくれている人達のために、という感覚はそこまでないが、少しくらいは労いの。




