185話
その様子には露ほども反応せず、険しい表情でサロメはピアノとヴァイオリンの少女達を見つめる。
「……」
納得いかない。そう目で告げている。それはなぜか。この二人は。この二人は自分の常識の枠を飛び越えてくる。面白くない。
(……認めたくないけど。すごーく言いたくないし、嫌だけど。このベアトリスって人——)
軽く舌打ち。
(ヴェロニカ・ミューエよりも上かもね)
音だけは正直。病に蝕まれていたとはいえ、チャイコフスキーコンクール優勝者よりも。心に響く音を持つ。少なくとも、自分には。なんでこいつらは無名なんだ?
そんな様々な思案を吹き飛ばすように。開幕を告げる音をベアトリスが鳴らす。それはまるで——。
「……『ジョーズ』?」
聴き覚えのある音に、リュカはつい映画の名前が口から出た。徐々に緊迫感が増す。これはサメが人間に襲いかかる時にかかる、あのBGMだと。
しかし、クラシックを嗜んでいる者であればすぐに気づく。『あの曲だ』と。レダが手で制する。
「いえ、もう少し聴いてみると……」
おどろおどろしい始まりから、華やかに変化していくピアノ。力強く、キレのある音が支配しだしたところでリュカもハッとしだした。
「……待って、聴いたことある。これってたしか——」
「ドヴォルザーク作曲、交響曲第9番ホ短調。別名『新世界より』。その第四楽章」
依然、曲名を明かすサロメの顔つきは厳しい。まだ始まったばかりだが、すでに技量が見えてくる。打鍵のタッチを一音ごとに微妙に変えて、より絢爛さが増すように。
そういうタイトルだったのか、とリュカはひとつ知識を得る。
「新世界より……」
もう一度。タイトルも身に染み入るようで。
今回はピアノの試弾、ということをブランシュは忘れていない。本来、自身の作った香水はヴァイオリンをメインとしたもの。だが、あえてそちらを譲るようにセカンドヴァイオリンへ。
(……クリスタル。木とは音そのものが違います。よりクリアというのもわかる内容です。それにしても——)
まだ始まったばかり。だが、まず特筆すべきは調律。ユニゾン。まるでこの曲が弾かれることがわかっていたかのよう。ベーゼンドルファーのような音の伸びをしつつも、シンメルらしいバランスのいい艶のある音色。果てしない新世界を前にしたかのように広がり続ける。
小さいが、大きく開くためギリギリ九度まで届くベアトリスの手。その手でまるでリシッツァのように、鍵盤を撫でるだけで粒だった音が放たれている。だが、力強く踏み締めるところは最高のフォルテを。その振り幅が鋭く、緩急のあるひとつの物語として紡がれていく。
(……流石にいい調律だ。連打がしやすい。バックチェックを少しいじってあるか。より滑らかに移行できる)
パワーのロスもなく、欲しい反応が返ってくる。なんだかんだで信頼はできる調律師。それと——サロメ、とかいうヤツ。こいつのもあまり褒めたくはないが、特殊な響き方をするピアノで、ここしかない一点で止めてくる。つまらない。




