118話
「——ならない。調律師としては違和感はある、ってとこだな。俺が弾くぶんには全くわからない。ただのアマチュアだから」
速い曲でもなければ問題はないだろう、とランベールは結論づけた。そもそもが、ピアノのなにもかもが自分の思い通り、なんてことのほうが珍しい。完璧に仕上げたとしても、その瞬間から崩れていくのだから。
鍵盤にしろアクションにしろハンマーにしろ、なにかしらが若干のマイナス点を出してしまうほうが普通だ。逆に仕上げたことで音が落ち着いてしまい、自分好みから外れることもある。
なるほど、と納得しつつも、ラシッドは聞き方を少し変更。
「ではもう一回、弾こうという気は?」
エストニアという、フランスでは中々お目にかかれない逸品。そのピアノで自分の音がどう表現されるのか。新しいピアノを見つけたら、気にならずにはいられない。さぁ、キミは?
いやらしく立ち回るかつての恩師に対して、煩わしさを吐き出すランベール。
「ない。言っただろ、俺は調律師だ。競うとか勝つとか蹴落とすとか。そういう世界はもう辞めた。逆に、そういう世界で戦うピアニストの手助けがしたい。そんな生き方も、携わり方もいいだろ」
音大を卒業したからといって、花屋やパン屋になってはいけない、なんて法律もない。途中で辞めたからといって、調律師がダメというものも。むしろ、音楽に関わっているんだから、文句を言われる筋合いもない。
一蹴されたラシッドだが、嬉しそうに両手を広げて天井を仰ぐ。
「素敵だ。調律師がいないとピアニストは輝けない。キミがいなければこのピアノは、木目の綺麗なインテリアになってしまうところだった」
少し大袈裟。物事を無意識に大きくしてしまう癖。
「俺じゃなくても調律師なら誰でも気づくしできる」
整調の大事さをしっかりとランベールは把握している。土台となる部分。絶対に手を抜けない。むしろここをおろそかにするヤツは、調律師を名乗らないでほしい。一緒にされるのは迷惑。
その責任感をひしひしと感じ、またラシッドは話題を変える。
「ピアノ専攻、というか音楽科自体辞めたそうだね。普通科に入り直したとか」
かつての愛弟子が通うモンフェルナ学園。生徒数も多く、多様な専門科がある中の、音楽科ピアノ専攻。そこから離れてしまったということ。調べは色々とついていた。
さすがにランベールも気持ち悪さを覚えだす。
「どっから情報仕入れてんだ。音楽科に調律専攻もないしな。なら、俺の空いた枠は戦いたいヤツに譲るべきだろう」
自分が降りてしまった舞台。そして新たに登壇した舞台。自分の意思で決めた。相応しい人間が相応しい場所へ。




