37 孔雀の髪飾りの真実
宮女は宮人斜の前に出ると、敷地内には入らず東へ進み、やがて南に折れた。古い殿舎の間を抜けると、その先には篝火が見える。
「人がいる殿舎だわ。昴宇、あそこは何?」
「尚功局です」
「春鈴が働いていたところか。でも、今の笙鈴を連れて入ってもいいものかしら」
騒ぎになるのを魅音は心配したのだが、しかし宮女は殿舎には入らず、殿舎を囲む塀の外で止まった。そこには、魅音の腰まで高さのある大きな甕が置かれている。
甕の中には縁近くまでたっぷりと、水が満たされていた。
「この甕、そういえばあちこちにあるね。何? 魚でも飼ってるの?」
「火事の時、消火に使うんですっ。でも、これが一体何だと」
魅音と昴宇が振り向くと、宮女の幽鬼は静かにそこにたたずんでいる。
「……昴宇、これ動かせる? めちゃくちゃ重そうだけど」
「ええまあ、方術を使えば」
昴宇は、霊符用の紙と携帯用の墨壺を取り出すと、何やらさらさらと呪文を書いた。そして、その札を水甕の側面に押しつけると、まるで糊でもついているかのように貼りつく。
水甕の縁に手をかけた昴宇が、少し力を籠めると、ずずっ、と甕が横にずれた。
「この下、掘って」
「それも僕ですか。全く、本当に方術士使いの荒い……」
昴宇はぶつくさ言いながらあたりを見回し、手ごろな木の枝を見つけると、それを使って地面を掘り始めた。
ちょっと土を削っただけで、何か丸みを帯びたものが現れた。昴宇はさらに掘り進める。
ぽっかりと空いた眼窩、綺麗に並んだ歯――しゃれこうべだ。さらに掘ると、肩が現れてくる。その人骨は、女用の宮人服をまとっていた。
「…………春鈴?」
笙鈴が、人骨の側に膝をつく。
「春鈴なの……?」
人骨は答えない。
魅音は静かに屈み込むと、優しくすくい上げるように、しゃれこうべを手に取った。そして、自分の頭に載せる。
「北斗星君の名の下に。我が身よ、この者の姿を映せ」
ふわっ、と、魅音の全身が光った。
光が収まり、彼女が顔を上げる。その顔は、細面で、笙鈴によく似た、可愛らしい少女のものになっていた。
「春鈴!」
笙鈴が目を輝かせ、『春鈴』の手を握る。
「ああ、こんな……こんなところに、どうして!」
魅音は一度、目を閉じた。
しゃれこうべの中に残っていた春鈴の魂の欠片は、蛍のように儚い。そこから、途切れ途切れの記憶を読み取っていく。
「春……いえ、私はある日、孔雀の刺繍を入れた布靴を作ったの。それを珍貴妃様に献上したら、お褒めの言葉を頂いて、自分の専属になるようにと言われて」
「珍貴妃に、気に入られた……?」
「それで、珍珠宮に呼ばれて、出向いたら、入り口で貴妃様の侍女に会って……『お前なんかこの宮に相応しくない、入るな』と言われたわ。でも、呼ばれたんだもの、行かないと……そうしたら、突き飛ばされて……石段から、落ちて」
あっけなく、春鈴は命を落としてしまったのだ。
笙鈴が真っ青な顔で問い詰める。
「何ですって? 誰、誰なの、春鈴を殺したその侍女は!」
「侍女は、怯えてた。駆けつけた他の侍女たちに、こう言ってる」
魅音は、死んだ春鈴の魂が見た光景を言葉にし続ける。
「『この子が気に入られて侍女にでもなったら、私たちの誰かがお払い箱になり、今度はいびり殺される側になっていたのよ』……って」
珍貴妃の侍女たちは、人形のように着飾らされながらも怯え続けていたのだ。その恐怖が、春鈴を死に至らしめた。
珍貴妃の気に入りの宮女を殺したとバレれば、やはり恐ろしい罰が待っている。侍女たちは全員で共謀し、春鈴の遺体をここに埋めて隠した。
身分の高い侍女が『私が尚功局の長に圧力をかけ、春鈴は実家で不幸があって帰ったことにする』と言っている様子も、春鈴の魂には残っていた。実家への仕送りが続いていたのは、仕送りが途切れることで実家から問い合わせがくれば事件が発覚するため、それを防ぐために誰かが送り続けていたようだ。
「……そんな……ことが……」
笙鈴は、春鈴の顔を見つめながらはらはらと涙をこぼしている。
「……?」
魅音は、眉間を指で押さえた。
(何か見えそう。春鈴は、何かを……書いている)
「……ずっと、怖くて、寂しくて。笙姐に、手紙を書きました。出せずじまいだったけど……」
「えっ」
文面を、魅音は読み上げる。
「笙姐が後宮に来てくれたらいいのに。笙姐の助けを必要としている女の人たちが、ここにはたくさんいる。笙姐が後宮で大活躍したら、私はいっぱい、いっぱい、自慢します」
「春鈴……!」
膝をついた笙鈴は、嗚咽した。
魅音は、そっとしゃれこうべを頭から外した。呪文を唱え、元の姿に戻ると、彼女も笙鈴の側で膝をつく。
「春鈴の、自慢の姐だったのね。笙鈴、これからも、妃たちや宮女たちを助けてあげてほしい。私が救われたように、救われる人が大勢いるはずだから」
「はい……はい」
「そのためには、珍貴妃との繋がりを断ち切らないといけません」
見守っていた昴宇が静かに言うと、笙鈴は袖で涙を拭き、そして顔を上げた。
「はい」
珍貴妃の気配を追って、魅音たちは庭園にたどり着いた。
怨念のこもった髪飾りの片方を破壊された珍貴妃は、かなりの力を削がれていた。昴宇の方術によって回廊の柱に縛り付けられ、動けないでいる。
そのそばで、俊輝が軽く陌刀を上げた。
「おう、来たか」
彼のもう片方の手に、壊れた髪飾りがある。
『方術士、離せ! 我は当然のことをしただけだ!』
昴宇を見た珍貴妃が、割れた声で叫ぶ。
『おとなしくしていたら、陛下に痛めつけられる。我が痛めつける側に回れば、我は無事でいられるのだ!』
「珍艶蓉」
俊輝が、珍貴妃に向き直った。
「なぜ、皇后に訴えなかったんだ?」
『皇后など、先帝の子を産めずに泣き暮らしている意気地なしの女ではないか!』
「そんなことはない。先帝を討つ時、手引きしてくれたのは、皇后だった」
(えっ)
魅音は驚いたが、昴宇に驚いた様子はない。知っていたようだ。
珍貴妃は目を見張っている。
『……な……⁉ まさか……そんなことをする必要などない、黙っていれば皇后の座にいられるのに、そんなはずは!』
「皇后は皇帝と並び立ち、後宮を取りまとめる役目を負う。たとえ自分が辛い状況にいても、愛寧皇后は妃たちから目を逸らしたり、見捨てたりしなかった。何が起こっているのか知ってから悩み苦しみ、全てを終わらせようと俺に先帝を討たせてくれたんだ。自分のいる離宮に、先帝を招いておびき寄せてな」
昴宇が前に進み出て、俊輝の隣に並んだ。
その手には、右向きの孔雀の髪飾りがある。
「あなたは、この世は自分のことしか考えない人間ばかりだ、と思っていたようですね。だから、あなたも同じようにふるまい、その結果、地獄を作り出してしまったのかな」
『…………痛いのは、怖いのは嫌だった……呪いたい人生だった……』
つぶやいた珍貴妃は、やがて静かに目を閉じる。
『その髪飾り……陛下に見初められた時に贈られ、着けないわけにはいかなかった。陛下のご機嫌を損ねるのが怖かった。これは、我を縛っていたもの……我の恨みが、呪いがこもったもの……』
「昴宇様」
笙鈴が、目に涙を浮かべる。
「どうか、髪飾りと貴妃様は、別々の場所に葬って差し上げていただけませんか? 死後も一緒にするのは、あまりにもお気の毒です」
昴宇が俊輝を見ると、俊輝がうなずく。
「そうしてやろう」
『笙、鈴……』
貴妃の真っ黒な目が、笙鈴を見つめている。
昴宇は言った。
「珍貴妃。笙鈴を解き放ち、あなたも解き放たれて、お眠りください。そして、次に生まれ変わる時は、違う景色が見えることをお祈りしています」
珍貴妃の目が、ゆっくりと閉じられた。
笙鈴の身体にまとわりついていた緑色の光が、少しずつ薄れていく。その一方で、貴妃の身体は緑色の光の粒になっていく。
その光は、ほのかに明るくなり始めた東の空に、ゆらゆらと昇って行った。




