18 珊瑚宮の美朱妃
宴の場は、一人一人に広い卓子が用意され、菓子や果物がこんもりと飾り付けられていた。俊輝は壇上の卓子へ、そして妃たちもそれぞれ自分の卓子の前に座る。
「さあ、ゆっくり食事を楽しんでくれ」
俊輝が酒杯を掲げると、どこかで楽師が待機していたのか、美しい琵琶の調べが聞こえ始めた。
料理は一品ずつ出てくるものと思っていたら、五人の宮女が黒い箱を一つずつ捧げ持って入ってきた。美しい黒漆の箱だ。
(隣の部屋で毒味を済ませてきたのね。あの箱に料理が入っているのかしら。人の頭が入るくらいの大きさね)
魅音が物騒なことを考えていると、箱は俊輝と妃たちそれぞれの前に置かれた。正面が蓋になっており、金の花や鳥が彫り込まれてきらきらと煌めいている。
宮女が蓋を上に滑らせて外すと、中は三段の棚になっており、青磁や白磁の器が入っていた。
器が次々と取り出され、目の前に色鮮やかな料理が並べられていく。
「まあ」
「綺麗」
天雪と青霞がささやくのが聞こえた。
季節の野菜の煮物、蒸し鶏をタレで和えたもの、辛みのある味噌を塗った魚は美味しそうな焼き色を見せ、卵と出汁を椀に入れて蒸し上げたものには銀あんがとろりとかかっている。
熱いものは別で運ばれてきて、五色の皮で包まれた蒸し物や、ふわふわの卵の汁物が湯気を立てた。
(卵料理が二つもある! やったー!)
魅音はつい、そわそわと壇上を横目で見る。俊輝が食べ始めないことには、他の者たちも食べられない。
俊輝がおもむろに食べ始めたので、ようやく妃たちも箸を手に取った。
魅音はさっそく、卵料理から手をつける。彼女は元々、好きなものは先に食べる派だ。特に今日は料理がたくさん出そうなので、お腹がいっぱいになってしまう前に食べた方がいいだろう。
(くっ……美味しい。風味が濃い。いい卵使ってるぅ)
味わって食べながら、ふと見ると、正面の席の天雪と目があった。彼女は箸を上品に口に運び、にこりと微笑む。
「翠蘭の食べっぷりを見ていると、私も何だか、食欲がわきます」
「そ、そう?」
魅音は軽く咳払いをして、一口あたりの量を少なくした。
(上品に、上品に)
一方、俊輝はどんどん食事を進め、そして食べ終えてしまったようだ。酒杯をぐいっと空けて、立ち上がる。
「戦場での早食いの癖が抜けなくてな。そなたたちはゆっくりと楽しめ。これからの後宮のことなども、四人程度なら話しやすいだろう」
その視線が一瞬、意味ありげに魅音に向き、そして離れた。
(なるほど、先に食べ終えて自分は席を外せるように、料理を一度に出したのね。で、さっそく話をして馴染め、と。はいはい)
妃たちは一度立ち上がり、礼をして、宦官を引き連れて外廷へと去って行く俊輝を見送った。
全員が座り直すと、美朱が上品に口を開いた。
「いずれ陛下は、皇后様や他の妃をお迎えになるでしょう。けれど、それまでは私たちだけ。力を携えて参りましょう」
皆が「はい」と返事をする。
魅音は最下位の妃らしく、遠慮しいしい続けた。
「わからないことばかりで、皆様方を見習わせていただきたくて。時々、こんなふうに皆でお話をする機会をいただければ、とても嬉しいです」
「私も、ぜひ。陛下はしばらくお忙しそうですし、何かしていたいというのもありますし」
青霞が振り向くと、天雪がおっとりとうなずく。
「私も、一人でいるのは苦手ですの。ぜひ、かまって下さいまし」
「そうね」
美朱は最高位の妃として、まとめるように言った。
「そのうち、茶会でも開きましょう。何か困ったことがあったらいつでも、遠慮なく私に言ってちょうだい」
(よっし。待ってました!)
魅音は心の中で拳を握る。
(本当に遠慮なく行くから、よろしくね美朱!)
宴の後で、魅音は青霞に装身具類を返しに行った。
「ありがとう、青霞。すごく助かった。何かお礼しないとね」
「何言ってるの、こっちこそお世話になったのに。またいつでもどうぞ!」
青霞は言い、いたずらっぽく続ける。
「私も『魅音』って呼んでいい? 『翠蘭』の方がいいならそうするけど、『魅音』ってあなたにすごく似合う名だし、新しい名に慣れないとでしょ」
「そ、そうね。じゃあ『魅音』で」
「わかったわ、魅音!」
数日後からようやく、美朱以外の妃たちもそれぞれ専用の宮で暮らすことになった。
といっても、最下位の魅音は花籃宮のまま。青霞と天雪は『嬪』のための宮に移った。『嬪』は先帝時代は九人おり、二つの宮に分かれて暮らしていたそうで、青霞と天雪それぞれに割り当てられたのだ。
賢妃となった美朱は引き続き、珊瑚宮で暮らす。
魅音はさっそく、昴宇を珊瑚宮へ使いに出した。
「相談があるのでお会いしたい、ってお伝えしてきて!」
「わかりましたよ……」
嫌々出かけていった彼は、先方の宦官を通して約束を取り付けてきてくれる。
指定されたのは夕方で、魅音は雨桐をお供に珊瑚宮に出かけた。
珊瑚宮は、花籃宮の倍は大きい。大門、そして内側の二門を通り抜けると、門庁に見事な珊瑚の置き物が飾ってあった。
侍女に案内されて廊下を歩きながら、魅音はそっと袖の中に手を入れる。取り出したのは、一匹のネズミだ。
「小丸、この宮の中で遊んでおいで。呼んだら来てね」
こっそりささやき、廊下に放す。小丸と名付けた白黒ネズミは、すぐに姿を消した。
美朱は、長椅子に腰かけて魅音を待っていた。
「陶翠蘭、何かあったのかしら」
「お目通りをお許し下さり、ありがとうございます」
下手に出ながら、勧められた椅子に座る。美朱の侍女が、お茶を出して下がっていった。
「実は……この後宮で、鬼火を見た、という者がいるのはご存じですよね」
こう切り出すと、美朱は興味なさそうに「ええ」とうなずいた。
魅音は続ける。
「私も、見てしまって」
実際に見た怪異は青霞の生霊なのだが、しれっと嘘を言う。
美朱は、思わずと言ったふうに「え」と声を漏らした。
(お。反応アリ)
ため息をついて見せながら、魅音は続ける。
「宮女からも、誰もいないはずの部屋から泣き声が聞こえるとか、格子窓の向こうから誰かが見ているとか、変な噂を聞いて。何が起こっているんでしょうか」
美朱は、ちらりと視線を横へ向け、また元に戻した。
「だからそんなもの、ただの噂でしょう」
「私もそう思っていたのですが、自分も鬼火を見てしまうと気になって。だって、陛下が鎮魂の儀式を行ったはずですよね? それでも鬼火が現れたということは、恨みが強くて封じきれなかったということじゃないかって思えて、怖いんです」
「…………」
「格子窓の話は、すぐお隣の象牙宮ですよね。こちらの珊瑚宮では、おかしなことはありませんでしたか?」
聞いてみると、美朱は、もう一度、魅音から視線を外した。
「別に、ないわよ。そんな変なこと」
(あったな、これは)
さっきから、美朱は視線を逸らす時、同じ方向を見ている。
(隣の部屋に、何か、ある?)