17 称号の授与と祝いの宴
そうして、また数日が経ち――
飲み会、ならぬ、皇帝と妃たちの顔合わせの宴の日がやってきた。
後宮の中央、やや南寄りに、宴に使われる極楽殿がある。あまりに華美な装飾は、俊輝が国庫の足しにするために売り払ってしまったので、壺や屏風などの品は少ない。しかし、金色の瑠璃瓦に丹塗りの壁、軒下の極彩色の彫刻など、建物自体がきらびやかだ。
龍が描かれた壁絵を背に、俊輝は語る。
「なかなか後宮に来る時間がとれなかったが、今日はようやく、そなたたちの顔を見ることができた」
魅音たち四人は、皇帝の前に横に並んで立っていた。前に出した手を重ね、深く頭を下げる。皆、それぞれに美しく着飾って、まばゆい光と色彩に包まれていた。
俊輝は続けた。
「皆で、この難局を乗り越えねばならん。荒れたこの国を建て直すため、今、有能な人材を探し出して集めている。そなたたちも同じだ。俺を、ひいては国を支えるために、そなたたちは選ばれた。役目に協力して当たり、宮女たちにも周知せよ」
「しかと承りました」
「身に余る光栄に存じます」
「精一杯務めさせていただきます」
「がんばりまっす」
最後の、微妙に適当なのが魅音である。
俊輝が「李美朱」と呼んだ。
「はい」
美朱が、淑やかな仕草で進み出る。珊瑚色と淡い緑に包まれて、海の仙女のようだ。
「そなたを、夫人の『賢妃』に叙す」
陛下は彼女を任ずると、続けた。
「そなたは気品に溢れ、まるで周囲の空気まで清らかになるようだ」
美朱は「ありがとうございます」と淑やかに頭を下げた。
次に、青霞が呼ばれる。
「江青霞。そなたを嬪一位に叙す」
まっすぐ背筋を伸ばした青霞にも、陛下は声をかけた。
「青霞は、笑顔と凛とした声がよい。俺に力をくれる」
「もったいないお言葉です」
何の憂いもなくなった青霞は、生き生きとした笑顔だ。青と金を基調にした装いは、夏の空を思い起こさせる。
次は、天雪が任じられる番だ。
「白天雪、嬪二位に叙す。そなたは、話し方が穏やかで安らぐな。後宮は安らげる場所であるべきだ、そうだろう?」
「仰せの通りだと思います」
おっとりと微笑む天雪は、大輪の白い牡丹花のようだ。
(一人ずつ褒めるとは、陛下もなかなかやるわね。大ざっぱなだけの武官かと思ったら)
魅音が密かに思っていると、最後に陛下は彼女を呼んだ。
「陶翠蘭。そなたは婦の一位に叙す」
「はいっ、慎んでお受けいたします」
進み出た魅音は、紫の地に一面の沈丁花が咲いた襦裙姿だ。濃い赤の差し色が妖艶である。
陛下はどこかわざとらしく、じろじろと魅音の顔を見た。
「そなたは、少し吊り目気味のところが妖艶で魅力的だな。狐が美女に化ける話があるが、化かされる男の気持ちがわかるような気がする。まさに『化身の者』だ」
化身、あるいは化生の者、という言葉には、妖怪という意味の他に『男性を惑わせるような女性』という意味がある。
(でも妖怪の方の意味でおっしゃってますね?)
思っていると、彼はいいことを思いついた、という表情をした。
「そうだ。そなたのことはこれから、『魅音』と呼ぶことにしよう」
(お? そうきたか)
『魅音』という名前は、「魅力的」という意味を持つ。ただし、少々人間離れした魅力を指すことから、好みが分かれる名前だった。人外っぽいと言えなくもないのだ。
どうやら俊輝は、そんな彼女の名前の特徴をうまく利用して、本名で呼べるようにしたらしい。
(陛下、なかなかうまいことやるわね。……そういえばこの名前、そもそも官吏につけてもらったんだっけ)
ふと、魅音は過去に思いを馳せた。
魅音が野狐から狐仙に昇格して、しばらくたった頃。今から四十年ほど前のことなので、先帝の、さらにその前の皇帝の頃だ。
天昌のはずれにある狐仙堂で、狐仙に助けを願った者がいた。
『どうかお力をお貸しください。このままでは、家がめちゃくちゃになってしまいます』
気弱そうな、二十歳前後の男だった。張り切っていた魅音は、その人間の前に姿を現した。偉そうに見えるよう、古めかしい口調で話しかける。
『信心深い人間よ。その願い、聞いてやろう』
さすがに男は驚いていたが、魅音が若い娘の姿をとっていたためかそこまで警戒は強くなく、すぐに事情を打ち明けてきた。
『俺は、王暁博という。父は名高い武人で、名家の当主だ。しかし、長男の俺はどうにも、武の力に恵まれていなくて』
その反面、暁博は文の力には恵まれており、父親からも『人の上に立つ者は賢くなくては』と見込まれ、将来は家を継ぐことになっているらしい。
『しかし、弟の大博が、馬や剣が得意でね。父の跡を継ぐなら自分だ、と思ってるみたいでさ』
困り顔の彼は、魅音に願った。
『こんなことで兄弟喧嘩になりでもしたら困る。一度でいい、俺にも戦う力はあるんだと見せつけたい。手を貸してくれないか』
『お安い御用よ』
狐仙の力で兄弟が仲直りするなんて、まるで民話のようだと、魅音は微笑ましく思った。
ある日、幹部候補の若者が皇城に集められ、禁軍大将軍の前で得意の武器の腕を披露することになった。暁博は弓矢を手に登場し、弟の大博も見ている前で、的の真ん中を見事に何度も射貫いてみせた。もちろん、矢は魅音が神通力を用いて操っている。
その夜、暁博は酒や菓子などの供え物をたんまりと持って、狐仙堂にやってきた。
『狐仙殿、ありがとう。弟が、兄さんは弓が得意だったなんて知らなかったよ、と言っていた。これできっと、弟は俺を見直しただろう』
上機嫌の彼は少し酔っているようで、
『狐仙殿、というのも変かな。こんなに可愛い女の子に化けることがあるなら、名乗る名もあるのか?』
と聞いてきた。
名はないと答えると、その彼が、考えてくれたのだ。
『狐の姿から、妖しい魅力の娘に変わる……。胡魅音、というのはどうかな?』
(懐かしい)
思い出から心を引き戻しつつ、魅音は思う。
(陛下、そんな私の名前の由来に気づいたのかも)
本名で呼べないのはちょっと……というようなことを言っていたし、俊輝が魅音という名をつけたことにする、と決めたらしい。
(まあ、その方が言い間違いがなくていいか。私もボロを出さずに済みそう)
思った魅音は、愛想笑いを浮かべて頭を下げた。
「名をいただけるなんて光栄です、陛下」
顔を上げると、俊輝が目を細める。
(光栄とか思ってないだろ)
(元々私の名なんだから当ったり前でしょ)
視線で会話をする二人であった。