14 青霞が仕えていた妃
魅音は再び、青霞に会いに行った。
「昨日はありがとう。あの後はちゃんと眠れたわ」
青霞はそう言って魅音を迎えてくれたけれど、「話したいことがある」とまずは腰かけると、やや緊張気味に首を傾げた。
「何の話?」
「これのこと」
懐から耳飾りを出し、卓子に置く。青霞は、あっ、と声を上げた。
「ど、どうして翠蘭が持ってるの⁉」
「昨夜、青霞の耳から外したの。昨夜は混乱するだろうから言わなかったけど、青霞が寝ぼけたのはこれのせいみたいよ」
魅音は、昨夜の彼女の様子を話して聞かせた。
「昴宇に調べてもらったら、この耳飾りは先帝の皇后のものだったのね。青霞がお仕えしていた文晶妃は、これを盗んだ罪を問われて後宮を追い出され、今は尼寺にいるって聞いた。でも、耳飾りは皇后に戻されることなく、青霞が持っていて、昨夜は青霞にとり憑いた」
「…………」
「このままにしておくのはよくないと思う。青霞、どうして文晶妃の怨念のこもったこれを、あなたが持ってるの?」
「怨念……」
打ちひしがれた様子で、青霞はぽつぽつと話し出した。
「……そうよね。やっぱり今も、文晶様は私を恨んでらっしゃる」
高文晶は中級貴族の娘で、『嬪』の妃だった。
美しく慈愛に満ちた女性で、青霞たち宮女からも慕われていたが、おとなしく従順で自分の意見を持たない。
父親からは『必ず皇帝の子を産め』と命じられていて、
「自分の役目はわかっているわ」
と、いつも穏やかに微笑んでいるような妃だった。
先帝は元からかなり嗜虐的な性格で、妃たちを痛めつけては、それが愛情表現であると言ってはばからなかった。従順な文晶妃もそういうものだと思い込んでいたし、閨房で起こることを侍女たちが詳しく知るはずもない。主の身体にできたアザや傷を化粧で隠しながら、痛ましいとは思っていたが、きっと子を身ごもれば収まるだろうと、その日を心待ちにしていた。
しかし、新しく珍艶蓉が後宮入りして貴妃になり、状況は悪化した。貴妃は先帝に似た嗜好を持っていたらしく、二人で妃たちを痛めつけるようになったのだ。
ある日、『嬪』の妃が一人、急病で亡くなったという報が、文晶の宮にもたらされた。
青霞たち侍女は、ぞっとした。
(急病なんかじゃない。原因は先帝と珍貴妃に決まっている)
彼女たちは相談し、文晶妃に進言した。
『このままでは、文晶様も大怪我をなさるか、命を落としかねません。何か理由をつけて、しばらくご実家で静養なさっては?』
『いいえ、あの方が亡くなって、他の妃たちのお役目はさらに重要なものになってきます。陛下もきっとお悲しみのことでしょう、慰めて差し上げなくては』
淡々と答える文晶だったが、それは父親に言われた通りのことを言っているのだろうと、侍女たちにも想像がついた。
(文晶様のお父上にとっては、競争相手が一人減った程度のことに過ぎないのね……)
青霞たちは気を揉んだが、早く子を授かるようにと薬湯を飲むなどしている文晶に、あまり強くは言えなかった。
しかしやはり、絶対に子を産むのだという重圧は、文晶にのしかかっていた。彼女の様子はどんどんおかしくなり、夜中に叫んで飛び起きたり、心配のあまり強いことを言った侍女のことを叩いて、急に謝りながら泣き出したりするようになった。
主が今にも潰れそうになっているのが目に見えるようで、侍女たちは口々に後宮を出ることを進言したが、彼女は聞く耳を持たない。
(どうしたら、文晶様をお助けできるんだろう)
青霞は考え続け、そしてふと、こんな考えが頭をかすめたのだ。
(自分から出て行かなくても、追い出されればいいんだ。文晶様が何か罪を犯せば、追い出してもらえるのでは? そう……私が罪を犯して、文晶様がやったことにすれば)
主に濡れ衣を着せる――恐ろしい考えだったが、命を救うにはそれしかないと彼女は思った。
罪を犯すことで、文晶が殺されるような罰を受けては意味がない。そこまではいかない程度の罪、『追放で済む罪』とはどういったものか?
青霞は頭の中で、様々な犯罪について考えた。
そんなある日、後宮内の庭園の池で、妃の一人が遺体で見つかったという知らせがあった。
(また、犠牲者が。もう時間がない……!)
青霞もまた、追い詰められていたのだろう。その悲報を聞いた直後、彼女の足は勝手に、牡丹宮に向いていた。皇后の住まう宮だ。
庭園で遺体を発見したのが、皇后の侍女たち数人だったらしい。彼女たちは今、官吏に事情を聞かれている。皇后の周りは手薄になっているか、そうでなくともいつも世話している宮女ではない宮女たちがいるため、自分が紛れ込んでもごまかせる。
(今なら、皇后様のものを何か、盗める)
文晶よりも位の高い妃といえば、今は珍貴妃と皇后しかいない。そういう人から盗んだとなれば追放してもらえるだろうけれど、珍貴妃から盗むわけにはいかない。それこそひどい目に遭わされるからだ。
まるで神の加護でもあるかのように、青霞はするりと牡丹宮に侵入した。
そして、皇后の衣装部屋から、たまたま目についた蝶の耳飾りを盗み出したのだ。
すぐには、露見しなかった。皇后が病がちで、装飾品を身に着けるような行事がなかったせいかもしれない。
数日後、月に一度の皇后への謁見が、予定通りに行われることになった。
文晶の支度が終わった後、青霞は『耳飾りの金具が壊れそうです、似たものに替えますね』と言って、主の耳飾りをさりげなく皇后のものに付け替えた。鏡を見なければ、文晶本人には見えない。
青霞以外の侍女たちには、当然、その見覚えのない耳飾りが見えている。しかし、彼女たちは黙っていた。青霞がやろうとしていることを察したのだ。
その姿で、文晶は皇后の前に姿を現した。
――事は、青霞の目論んだとおりに進んだ。
『心を病んだ文晶妃は行動がおかしくなり、皇后の宮に忍び込んで耳飾りを盗んだ』として、後宮を追放されることになったのだ。
今、その耳飾りが、青霞の部屋、卓子の上で美しく艶めいている。
魅音は小さくため息をついた。
「それで、文晶妃の怨霊はあんなに、私はやってないって言ってたのね」
告白を続けていた青霞は、自分を落ち着けようとしてか、深呼吸した。
「……文晶様がいなくなった後、私は尚寝局で働き始めた。文晶様の罪が晴れてしまうと、またこの恐ろしい後宮に戻りたいとおっしゃるかもしれないから、ずっと口をつぐんでいたわ。先帝と珍貴妃がいなくなって、やっと告白できると思った私は、皇后様にお会いしたいと願い出たの。私のような一介の宮女がお会いするのは難しかったし、後宮は宮女が次々と辞めて混乱のさなかにあったから、少し日にちはかかってしまったけれど、ようやく、お目通りが叶った。私は皇后様の前で、あの時盗んだのは私だと白状した」
ふと、青霞は自嘲の笑みを浮かべる。
「皇后様はね、気づいてらっしゃったわ。『文晶妃を後宮から出すためだったのであろう? よくやりました、辛かっただろうに』って……私をお責めにならなかった。てっきり罰せられると思っていたから、呆然としながらホッとするような、変な気持ちだったわ。そして私は、次は文晶様に謝りに行こう、今こそ後宮を出る時だと思って、荷物をまとめるために自分の部屋に戻ったの。……そしたら」
青霞は、両手で自分の身体を抱いて、ぶるっと震えた。
「いつの間にか私の懐に、この耳飾りが入っていたのよ。まるでもう一度、私が、牡丹宮から盗んできたみたいに」
何が起こったのかわからなかった。盗みを謝罪に行った足でまた盗んで帰って来たなどと思われたら……と人に言えないでいるうちに、青霞は妃に選ばれ、青霞の父がその話を進めてしまったのだ。
「でも、今ならわかる。文晶様は、自分に濡れ衣を着せた者を恨み続けてらっしゃるのね、当然よね。その怨念が耳飾りに宿っていたから、罪を告白した私のところに来たんだわ。お前だったのか、って」
再び、青霞の目に涙がたまった。
「先帝の子を産みたいって、あんなにおっしゃってたんだもの。たとえ命を失ったとしても、文晶様はその方が本望だったのかも。汚名を着せられて心が傷つくよりマシだったのかも。私が余計なことをしたせいで、文晶様は苦しんでらっしゃる」
そして、彼女は視線を上げ、魅音を見た。
「翠蘭、今さらだけど私、これをもう一度盗んだって陛下に申し出るわ。文晶様と同じ立場にならないと、償いにはならない気がするから」
「ちょちょちょ、待って、早まらないでー!」
魅音はあわてて、卓子の上の耳飾りをぶんどった。
「青霞の気持ちはわかった、わかったけど、ちょっと待って。宴の前の日まででいいから、これ貸して! 調べてみたいことがあるから! ね!」
「え、あの、うん……わかった」
「それまでは絶対、盗んでないのに盗んだなんて言わないで! このことは人に話したらダメだからね!」
魅音は念を押したのだった。