12 蝶の耳飾り
花籃宮は、内院をぐるりと建物が囲んでいる造りで、全て屋根つきの廊下で繋がっている。北棟は二つあって、一つは正房で共有の居間と書庫があり、もう一つは厨房や宮女の部屋だ。東棟と西棟に妃たちの私室があって、魅音は東棟の四つの部屋のうち二つを使い、青霞と天雪は西棟の部屋を二つずつ使っている。南棟は客間だ。
西の棟を、初めて訪問する。
青霞は大きな柄模様が好きなようで、屏風や椅子に張られた布には印象的な模様が入っていたけれど、色は抑えめなので派手さは感じなかった。
「座って、座って。えーっと」
青霞は私に椅子を勧めておいてから、大きな棚の上に置かれた箱に近寄った。箱には浅い引き出しがいくつもついており、青霞はそれを引き出しては卓子の上に置く。
「翠蘭はどういうのが好き?」
並べられた引き出しの中には、耳飾りや髪飾り、腕輪などがいくつか入っていた。どれもなかなかの品である。
「わぁ、立派なものばかりじゃない。青霞、どうして宮女になったの?」
つい、魅音は聞いてしまった。
このような品を揃えられるほどの家なら、娘が働く必要などない。青霞自身に特殊な技能があるか、または何か困った理由があったのではないかと思ったのだ。
青霞は自嘲ぎみの笑みを浮かべる。
「私の父は成り上がりの商人なんだけど、すっごくガメつくて、少しでも多く儲けるためなら何でもするの。私が十五歳の時、三十年上のお得意様のところにお嫁に行かされそうになってね」
「うわー。それで、逃げてきた的な?」
「そう。官吏がお客としてきた時に自分を売り込んで、強引に宮女になったわけ。私、もう二十三になったけど、もし実家に戻ったとしたら、たぶんまた嫁に行かされるわ。今度はどこかの後家さんにでも、って感じかな。それよりはここに残った方がいいと思って。新皇帝が即位なさったしね」
「でも、妃になっちゃったんだ」
「私なんかが選ばれるなんて、妃不足ここに極まれりって感じよね。妃にされるって知ってたら、さすがに後宮を出てたかも。でも、父が情報を掴むのが早くてねー」
娘が妃になる、とくれば、父親には美味しい話だったろう。青霞の意向など無視して、さっさと話を進めてしまったに違いない。
「じゃあ、この装身具類は、お父様が大喜びで揃えてくれたものなのね」
「それもあるけど、要するに商品なのよ。娘に着けさせて宣伝したいの。今回着けるものも、父に指定されちゃって」
青霞がちらりと、奥の棚を見る。そちらに別にしてあるのだろう。
「だから魅音、こっちのはどれでも好きなのを使っていいのよ。これとかどう?」
「ちょっと派手じゃない?」
「翠蘭はくっきりした美人だから、このくらいが似合うわよー。称号を頂く式に着けるんだから、あなたも主役の一人でしょ。美朱様よりしゃしゃり出なければ大丈夫」
「そうかー、うぬぬ」
唸りつつも、魅音は感心する。
「青霞は侍女をやってたこともあるんだってね。だからそういうのに詳しいんだ」
「あ、ええ……まあね。ふがいない侍女だったけど」
青霞の視線が泳いだので、魅音は自分が無神経なことをやらかしたのではないかと気づいた。
(何かあったのかな。珍貴妃がらみ?)
「ごめん。もしかして、仕えていた妃が亡くなったの?」
恐る恐る聞いてみると、青霞はあわてたように、手を横に振る。
「ううん、亡くなってない、亡くなってない。ちょっと事情があって、政変よりもだいぶ前に後宮を出て行かれたんだけどね」
「そうなんだ? 結果的に、逃げることができたってことだよね、良かったじゃない。でも、どうして」
知りたがりの魅音が聞こうとすると、青霞は手元の箱をずいと押しやった。
「あ、魅音、こっちはどう?」
(この話は、あまり続けたくなさそう。侍女時代はいい思い出がなかったのかもね)
そう思った魅音は、装身具選びに集中することにした。
(うーん、迷う。とにかく、青霞のより控えめにしておけば間違いないかな。借りる側が、貸す側より目立つのはちょっとね)
そう思い、申し出る。
「ねぇ、青霞がどんなのをつけるのか見せてもらっていい? 参考にしたい」
「いいわよ」
青霞は席を立ち、一つ奥の棚まで行くと、引き出しを開けた。
その時、チャラン、という音がした。引き出しが一瞬引っかかったかと思うと、何かが落ちる。
「あっ」
青霞があわててしゃがみ込み、拾い上げた。
翡翠の耳飾りの、片方のようだ。蝶の形に彫ってあり、緑と白の混じり具合が羽の模様のように見えて美しい。球状の翡翠がいくつか、下に連なっている。
「それも素敵だなー。青霞は本当に色々と持ってるのね」
「あ、ええ。これはお気に入りなの。大事にしてるの」
青霞は、それを急いで下の引き出しにしまった。あまり見せたくないらしい。
上の引き出しをもう一度すっかり引き出して持ってくると、青霞は自分が着ける予定のものを見せてくれた。それを基準に、魅音は自分のものを絞り込む。
「よし、この水晶のにする!」
ようやく魅音が決めた時、宮女の誰かが外から告げた。
「あのぅ、青霞様、医局から笙鈴が参りました」
「はーい、こちらへ」
青霞が返事をする。
「笙鈴? 青霞、どこか悪いの?」
「ううん、そこまででもないの。最近、ちょっと寝つきが悪いから鍼を頼んでみたんだ。笙鈴という人、魅音がいい人だと言ってたから」
そこへ、笙鈴が入ってきた。丁寧に礼をする。
「青霞様、お呼びにより参りました。あ、翠蘭様!」
魅音に気づいて目を見開く笙鈴に、魅音はにっこり笑いかける。
「こんにちは! 笙鈴」
「ご快癒、おめでとうございます」
笙鈴は魅音に向き直って、改めて礼をする。
「後宮に戻ってこられたと聞いて驚きましたが、アザが消えたのなら本当によかったです。その後も、ぶり返したりなさっていませんか?」
「大丈夫! 出ていないわ」
「それは何よりです。原因がわからなかったので、もし万が一、後宮に戻ったらまた……なんてことになったらと」
誠実に心配してくれる笙鈴の様子に、大ウソつきの魅音の心はチクチクと痛む。
「ううっ、あ、ありがとう」
「アザ以外にも、お変わりありませんか?」
「うん、元気、めちゃくちゃ元気!」
魅音はアハハと笑ってみせ、ボロが出ないうちに退散することにした。
「じゃっ、私は失礼するね! これお借りしまーす、助かった!」
「いいのが決まってよかったわ。笙鈴、じゃあお願いしようかしら」
「はい、それでは寝台で施術させていただければと」
隣の寝室に行く二人と、布に包んだ簪やら耳飾りやらを持った魅音は外廊下に出ると、そこで手を振って別れたのだった。