らしさ
三題噺もどき―ひゃくごじゅういち。
お題:日傘・レモネード・戸惑い
「わっ―」
ぶわ、と、森の奥から、涼しい風が吹いた。
勢いそのまま、飛びそうになった帽子をとっさに手で押さえる。もう片方の手に持っている日傘がひっくり返っていないかと不安になったが、そこまで強くはなかったようだ。白い、レースのような日傘は、しゃんと私の上を覆い、影を作ってくれている。
「……」
帽子をかぶっているから、日傘はいらないと言ったのだが、やけに強く押されて、仕方なく持ってきていた。正直ただの荷物にしかならないから、置いてきたかったのだが。しかし、気づけばこうして使っているのだから、持ってきて正解だったのかもしれない。
「……」
ぼーっとしながら、1人静かに散歩をしている。
思っていたよりも日差しが強く、日傘をしないままに歩いていると、むき出しになっている腕や首が、ヒリヒリとしだしてしまって。結果日傘をさしている。もとより日差しには、そこまで強くない。それでも、たまにこうして、日に当たりながら歩きたくなる。
帽子では覆いようのない所も、しっかりと隠してくれるのだから、日傘をただのお荷物の一言で片づけるのはよろしくなかったかもしれない。傘として、影を作るだけで、こうして日差しが和らぎ、優しくなるのだから。素晴らしい発明だと思う。
「……」
まぁ、そんなことはどうでもいいが。
きっと、開発されたころに、たくさんの賞賛と批判をもらっているだろう。とりあえず、今の世まで残っていてくれてありがとうという、誰に向けてか分からない感謝を述べて、この話は終いにしよう。
一度考え始めると、余計なあれこれまで巡り始めるのは、私の悪い癖だ。と、よく母に言われる。
「――ん」
もう一度、ぶわ、と風が舞う。
また森の奥から。
今度はそれに乗って、水の香りもしてきた。奥に、湖か泉でもあるのだろうか。
「……」
風にあおられるのは、帽子と日傘だけではない。
この長いスカートも、やたら鬱陶しい。
前方から吹く風のせいで、足に張り付くような形になってしまって、歩きにくい。風の影響を受けすぎだ。
「……」
散歩をするのだから、ズボンがいいと言ったのを、断られたのだ。
女なのだから、スカートを履きなさいだの、フリルの服を着なさいだの、ヒールを履きなさいだの、このパンプスでもいいからだの。
女だから、何なのだ。
男ではないから、何なのだ。
全く。
これだから、固い家は嫌になってくる。
「……」
女らしさとか。
男らしさとか。
子供らしさとか。
大人らしさとか。
一体だれが決めたのだろう。誰にそんな権利があるのだろう。
“らしさ”とはなんだ。
それは、“私らしさ”ではいけないのか?
あなたらしさで良いじゃないか。君らしさで良いじゃないか。その人にとっての自分らしさなら、認めてやればいいのに。なぜ周りの人間が、その人の“らしさ”を決める?それを求める?
自分らしさを否定されることは、どれだけ辛い事か。知らないわけでもないだろうに。
私より、人生経験のある年上の人間たちが、知らないわけはないだろうに。
それとも。それにすら、目を反らしながら生きてきたのだろうか。
自分らしさを知ることなく。
周囲から求められる、それらしさに応えてきただけなのだろうか。そうするのが、当たり前だと育てられたのかもしれない。
だから、私らしさを求める私を、否定するのだろうか。
「……」
―あぁ、やめだやめ。
こんなことを考えてもらちが明かない。もっと楽しいことを考えよう。
好きな人のこととか、本の事とか、料理の事とか。楽しい事の方が、たくさんある。
「……」
そうだ。
私の作る、特製のレモネードだって。楽しいことの一つで、私らしさの一つだ。
「……」
あまり、甘いのが得意ではない。だから、少し砂糖を控えめにして、漬けているレモンシロップがある。それを、ほんの少し冷たい水で割って。レモンを一枚だけ浮かべて。炭酸は飲めないので、入れたことはない。
それを飲んでいると、なぜか、他の人間に、おいしいの?とよく聞かれる。
だから私は、飲んでみる?と笑顔で差し出すのだ。相手は、怪訝な顔をしながら受け取る。
「……」
透明のグラスの中。
ほんの少しだけ黄みがかった液体が、ゆらりと揺れる。
その中で、薄く切ったレモンが一枚。
氷は入っていない。あまり冷えすぎるのは、嫌いだ。
「……」
それをこくりと。一口飲むと。
皆決まって戸惑いの表情を浮かべる。
おいしいのかまずいのか。苦いのかすっぱいのか。ぬるいのか冷たいのか。よくわからないみたいな顔をする。
結果、口をそろえて、独特な味だね、と言って返してくる。
私はそれに、にこりと笑顔で答え、一口飲む。
私の作るレモネードは、私にしか飲めない。
私の、らしさ、の塊みたいなものだ。飲める人がいるなら、その人は、私らしさと似た、その人らしさを持っているのかもしれない。
最近は、あの戸惑いの表情見たさに人に勧めたりもしている節もある。―我ながら性格が悪い。
「……」
風に吹かれ、思考を巡らせ、歩いているうちに。
森の奥の、水場についた。―こんなところがあったとは。知らなかった…。
ここには何度か訪れているのだが、両親は知っていたのかもしれない。見慣れた、来慣れた場所でも、案外知らないところがあるものだ。
これも、らしさの一つだろうか。
慣れた場所で、私が知らなかったことを見つけることのできる、らしさ。
「……」
うぅん。この話題を打ち切ろうとしたが、切れていない。
これも、らしさ。
一度考えると、止まらない。
私らしさ。
「……」
少々歩き疲れたし、考え疲れた。
ここで休憩をして、戻ることにしよう。
水場のおかげで、暑さも和らいでいる。