独占欲
二人きり、揺れる馬車の中。
あの日から、リセとクルトの間には微妙な空気が流れている。
リセは罪悪感の塊になっていた。
「皆と親睦を深めては」とクルトへ提案したのは、世話役であるリセ。自分だ。彼はその提案を素直に受け入れ、留学生活に馴染もうとしているだけだった。なのに……あろうことか嫉妬してしまうなんて。自分勝手にも程がある。
「リセ」
「は、はい」
「着いたぞ」
馬車が学園に到着したことにも気付かぬくらい、今日も車内は気まずい雰囲気に包まれていた。
いや……目の前で足を組むクルトは、特に何も変わらない。毎日、朝は馬車で迎えに来て、馬車内ではなにも喋らず、帰りも馬車でフォルクローレ伯爵家へリセを送る。本当に何も変わらないのだ。
気まずさを感じているのはリセだけなのだろうか……先に馬車から降りるクルトの背中は、何も教えてはくれなかった。
「クルト殿下。私達から提案がございます」
「なんだ」
いつものテニスコートで、女生徒達がクルトを囲んだ。それも見慣れた光景だ。リセは相変わらず、壁際でそれを眺めている。
「殿下のお世話役ですが、是非私達にもお力添えさせて頂きたくて……」
「リセさんお一人では、なにかとご不便もおありでしょう」
「もしよろしければ、学園外でも色々とご案内出来ますわ」
ついに、女生徒達のうち数名が世話役に名乗り出た。侯爵令嬢のシルエラを筆頭に、皆華やかで家柄も良いご令嬢達で……そう、リセよりもずっと。
シルエラ達は虎視眈々と狙っていたのだろう。名乗り出るタイミングを。リセとクルトがぎくしゃくとしている今、まさに絶好のタイミングのように見えた。
「俺は、リセが良いのだが」
「お言葉ですが、リセさんだけでは不十分なのでは」
「リセさんにもご友人とのお付き合いがありますでしょうし」
「ほら、ねえ」
彼女達が、こちらを見てはくすくすと笑っている。なんだろう。この間のセリオンのことだろうか。なんて思っていると。
「つくづく、あの人達って回りくどいよね」
驚いた。いつの間にか、隣にセリオンが立っているではないか。
先日あんなことがあったというのに、よくもここへ顔を出せたなと。リセは今まさに未知の生物と遭遇している。
「セ、セリオン、あなた……ここへ何しに来たの」
「酷いな。俺はリセの味方なのに」
「あのね。周りを見て。あなたのお陰で、変な空気になっているの。分からないの?」
リセはセリオンの耳元で、きっぱりと諌めたつもりだった。ところがセリオンは黙るどころか、さらに楽しそうに笑っている。
「いいね。もっと変な空気にしてしまおうよ。そして思い知らせてやろう、彼女達に」
「……何する気?」
「こうする」
満面の笑みを湛えたセリオンが、突然リセの肩を抱いた。
公衆の面前で……クルトとシルエラ達に見せつけるように。本当に信じられない。なんなのだこの男は。
「まあ!」
「リセさんったら仲がよろしいのね」
「クルト殿下、ご覧になって」
セリオンに肩を組まれたリセを見て、シルエラ達はこの上なく嬉しそうに微笑んだ。
彼女達に言われなくても、クルトはずっとこちらを見ている。そう……見ている。とても怖い顔で。
「ちょっと、セリオン……」
リセがセリオンの身体を押し返そうとした、その時。
リセの身体が、ふわりと浮いた。
「え……?」
セリオンの腕をするりとすり抜け、ふわふわと浮かび上がったまま……リセの身体はゆっくりとテニスコートへと漂い始めた。
セリオンは面白そうにリセを見上げ、シルエラ達は目を丸くして呆けている。そしてリセの身体はクルトの腕の中へ吸い込まれるように、すっぽりと収まった。
「……クルト様」
「リセ、行こう」
これは一体、何事だろうか。
誰も、何も、声を掛けることが出来ない。彼の腕の中にいる、リセさえも。
放心状態のリセを抱えたまま、クルトは悠然とテニスコートを後にした。
リセを抱えたまま、クルトは歩き続ける。
すれ違う皆が二人を振り返り、言葉を失う。
これはどこへ向かっているというのか。
「……クルト様、重いでしょう」
「重くない」
「お、怒ってます?」
「怒っていない」
……嘘だ。どう見ても怒っている。
肩を抱かれたリセと、リセの肩を抱いたセリオンに。目も合わさず歩き続けるクルト自身が、彼の怒りを物語っている。
でも。
リセを抱えるやさしい腕。
これほどまでの嫉妬。
そして何より……シルエラ達に「リセが良い」と言ってくれた。
自然と胸が熱くなってしまうのは、やはり失礼に当たるのだろうか────
「セリオンには、婚約者がいるんですよ」
リセの言葉で、クルトはやっと彼女を見た。
唖然とした彼の顔を見て、どうしても笑みを堪えられない。
「婚約者がいるというのに、あいつはリセに触れるのか」
「わざとですよ。彼は私の味方だと言って、あのような事を」
「どういうことだ」
クルトはさっぱり訳が分からないと言った表情だ。それでいい、彼とセリオンが分かり合うことなど、きっと無いだろうから。
「私もセリオンの行動は理解出来ませんが……悪い人間では無いのです」
「そうか」
「……信じて下さいますか」
「リセがそう言うのなら、そうなのだろう」
クルトはひと気のないベンチへリセを降ろした。どうやら裏庭まで来たようだ。静かなこの場所で降ろされたことに、リセは心底ホッとした。
「まだ、怒っていますか?」
「……怒ってなどいない」
こちらを見下ろすクルトの顔を見てみれば、もう本当に怒ってはいないらしい。むしろ……バツが悪そうに視線を彷徨わせている。
「すまなかった」
「え?」
「怖かったか」
なんと。隣国王子ともあろう御人が、謝った。
……魔法について謝っているのだろうか? それともクルトが怒ったこと自体について?
「怖かったですよ」
「そうか……すまない」
「あっ。でも怖さで言えば、先日の風魔法の方が怖かったですね……」
あの突風は怖かった。あのセリオンも怖がって逃げたくらいだ。それに較べたら今日の浮遊魔法など全然なんてことない。自分の身体がまるで風船のように浮かび上がり、なんとも不思議な感覚で……
クルトの魔法には驚かされる。不思議で、すごくて……それは今も昔も。
「今日はびっくりしました。昔は私の身体なんて浮かび上がらなかったのに」
「……覚えているのか」
「ええ。お城の裏庭で私がクルト様に無理をお願いして、でも浮かび上がらなくて」
「ああ、そうだった」
クルトはフッと笑った。
朝の気まずさは一体どこへ消えてしまったのだろうか。リセとクルトは、昔話に花を咲かせる。
二人はしばらく、あの頃の姿に想いを馳せたのだった。
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