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人たらし

 あれから十日ほど。


 クルトは律儀な男だった。

 リセの提案通り、彼は昼休憩になるとテニスコートへと通っている。


 最初は皆、クルトとのテニスを遠慮した。彼とはあまりにもレベルが違い過ぎ、負け試合を挑むようなものだったからだ。

 誰だって最初から負けると分かっている勝負などしたくは無い。ゆえに試合相手もなかなか決まらず……結局は居合わせた中で一番気弱げな男子生徒がクルトの相手となったのだが。


 その試合後、事件が起こった。

 クルトが対戦相手である男子生徒に握手を求めたのだ。


「楽しかった。礼を言う」


 突然、目の前に真っ直ぐ差し出された、隣国王子の手。男子生徒は恐る恐る、クルトの手をとった。

 

 後にその男子生徒は語る。

「握手をした瞬間、嬉しすぎて涙が出た」 と。

 

 対戦相手の健闘を讃えるクルトの握手は、たちまち生徒達の『憧れ』となった。今やクルトとの対戦待ちは数週間先にまで及ぶという……




今日も学園のテニスコートには、昼休憩とは思えないほどの人だかりが出来ていた。


 彼らの視線の先には、ラケットを持ったクルトと、挑戦者である男子生徒。

 そしてたった今、勝負が決まった。


 コートの中で向かい合う二人が握手をした途端。対戦相手であった男子生徒はもちろん、なんとギャラリーまでもが目を潤ませてしまっているではないか。


「ク……クルト様。握手に魔法を使ってはいけません」

「魔法など使ってはいないが」

「それではあの者達の涙は一体……」


 昼休憩のレクリエーションであったテニスが、思わぬ盛り上がりを見せている。この異様な光景に、リセは戸惑うばかりであった。




 


 クルトによる影響が出ているのは、昼休憩だけでは無い。

 放課後も同じ現象が起こっていた。


 律儀なクルトは、管弦楽団へも同じように顔を出していたのだが。

 最初は敬遠されてしまった。あまりのレベルの違いから、一緒に演奏するなどおこがましいと。


 だからクルトは自ら演奏した。旋律の練習をする楽団員のメロディーに、セカンドバイオリンとして和音を奏でたのだ。隣国王子によるピタリと寄り添うハーモニーに、団員達は驚き、そして感動で震えた。


 後にその楽団員は語る。

「あんなに気持ちの良い演奏は初めてだった」と。


 クルトとデュエットを組むことはたちまち管弦楽団達の『憧れ』となった。今や彼とのデュエットに順番表まで作られてしまったという……




 今日もクルトの隣には、のびやかに旋律を奏でる楽団員の姿。周りには、瞳を輝かせながら演奏に聴き入る楽団員達。

 静かに演奏が終わると……音楽室の中は拍手で埋め尽くされた。中には目尻に涙を浮かべる者まで。


「ありがとうございました、クルト殿下」

「こちらこそ楽しかった、礼を言う」


 クルトがデュエット相手に握手をした途端、その者は「きゃあ」と叫ぶと、へろへろにへたり込んでしまった。これもここ毎日の事である。


 親睦を深めるためのものだったはずが、思わぬ方向へとエスカレートしてしまっていた。

 リセは離れた場所から、ぼんやりとその光景を眺めていた。






「クルト様は、さすがですね」

「何がだ」

「あっという間に、皆の心を掴んでしまいました」


 帰りの馬車の中で、リセはぽつりと呟いた。


 テニスとバイオリンのおかげで、彼は難なく学園へと溶け込んだ。存在としては別格ではあるが、すれ違えば挨拶をされるまでには親しみを持たれ始めている。

 さすが王族、というところだろうか。きっと人心掌握術を心得ているに違いない。


「特に、あの握手の効果は素晴らしいです……」


 正直なところ、とても驚いている。王子である彼が、たやすく礼を口にし、握手をする事に。




「俺はリセの真似をしているだけだが」

「……え?」


 リセは不意打ちを食らった。

 訳が分からない。リセがいつ、この人たらしのような真似をしたというのか。声も出せず、じっとクルトを見上げたまま言葉を待った。


「リセは、楽しいといつも礼を言った。そして礼を言う時は必ず手を握った。これがエスメラルダ流の感謝の伝え方だと」

「わ、私……そんなこと、しました?」

「していた」


 もしかして……また十年前のリセの仕業であったのか。

 一生懸命、おぼろげな記憶を辿る。思い出すだけで恥ずかしい十年前の姿が脳裏に映し出される……確かにやってしまっていたのかもしれない。


 当時、クルトはまだエスメラルダの言葉に慣れていなかった。だから七歳のリセは子供なりに考えた。言葉がよく分からなくても伝わるように、オーバー過ぎるくらいのコミュニケーションをとればいいと。実はエスメラルダ流でも何でも無い、リセ流だ。

 それは大成功だった。クルトにはちゃんと伝わっていたようだ。ただし、このような事態になるとは想定外だったのだが。


「リセの握手も、凄まじく効果があった」

「な、何を仰いますか」

「あっという間に、俺の心を掴んだ」


 正面に座るクルトの顔が、面白そうにほころぶ。


「そ、そんなことは」


 恥ずかしさから思わず視線を下げると、自然と彼の手へと目が引き寄せられた。長い指先、骨張った手の甲。十年前とはまったく違う、大きな手。

 リセはいつの間にか熱い頬に気がついた。自分は一体、何を考えて……




 馬車がフォルクローレ伯爵家へと到着した。

 リセはもう、なるべく早く馬車から降りたかった。二人きりが恥ずかしくてたまらなくて、居てもたってもいられなかった。 


「それでは、失礼いたします。また明日……」

「ああ、またな」


 クルトの乗った馬車を見送ると、リセはふらふらと自室へと戻った。メイド長のクラベルが、赤い顔のリセを心配している。クラベルには申し訳ないけれど、一刻も早く一人になりたい。この邪念を、追い出してしまいたいのだ。


 彼の手を見てしまって。

 十年前のそれでは無い、十七歳の彼の、大きな手を。


 あれほどまでに皆の心を揺るがす『握手』を、リセも意識してしまった。彼の手に包まれる、自分の手を想像して。


 クルトと握手をすれば、自分も皆のごとく骨抜きになるのだろうか。あの手に触れたら、どんな気持ちになるのだろうか。





『あっという間に、俺の心を掴んだ』


 それは十年前のこと。

 それでは、今は……?




 やっぱりクルトはさすがだ。世話役の気持ちまで掴んでしまう。

 リセは頭の中から彼の影を追い出せぬまま、ソファに沈みこんだのだった。






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