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皆と楽しく



 翌朝も、王家の馬車はフォルクローレ伯爵家までやって来た。世話役のリセを迎えるために。


「おはようございます、クルト様」

「……顔色が悪いな」


 リセは昨日の夜、どうしても眠ることが出来なかった。

 父から話を聞いた後から、動悸が治まらなかったのだ。自分が気付かぬ間に、国と国が絡むほど大きな渦中に身を置いていた事。それが不安で、恐ろしかった。


「少し、夜眠れなかったので……」

「馬車の中で少し寝るといい。着いたら起こそう」

「そんなわけには参りません」


 クルトの厚意をリセはきっぱり辞退した。昨日の二の舞になる訳にはいかない。クルトは、昨日の挽回をしようとするリセを見て薄く笑顔を作った。


「昨日のことは気にしなくていい」

「気にします、当然のことです」

 リセの顔が赤くなればなるほど、クルトの笑みは深くなる。リセには分かった。うろたえるリセを見て楽しんでいるのだと。

 

「仕方がない」


 クルトはそう呟くと、不意に指を鳴らした。

 

 途端に暗転するリセの視界。

 そこからはどうなったのか、覚えていない……

 





「リセ」


 耳のそばで、パチンと指の鳴る音がした。

 リセはゆっくりとまぶたを開いた。馬車の中だ。目の前にはクルト。馬車は停車中なのだろうか、揺れは感じない。


「あれ、私……」

「学園に着いた。降りるぞ」

「もう学園なのですか?!」

 

 おかしい。馬車に乗り込んだのはつい先程で、いきなり目の前が真っ暗になって……


「もしかしてクルト様、なにか魔法を使いましたか」

「気分はどうだ」

「気分……ですか? そういえば」


 寝不足で重たかった頭がずいぶんとスッキリした気がする。もしかしてリセはまた寝てしまっていたのだろうか。今度はクルトの魔法によって。


「私、また寝て……」

「俺しか見ていない。大丈夫だ」

「いえ、そういう問題では」

「大丈夫だ。行くぞ」

 

 昨日と同じく、馬車の周りには遠巻きに多くの視線。馬車から降りると、今日はクルトが先を歩いた。彼が先に立つことで、その身に殆どの視線を受けている。リセはただ後ろをついて歩くだけ。


 先を歩く彼の真っ直ぐな背中が、リセの胸中を複雑に悩ませた。クルトのせいで寝不足になっているというのに、このように気遣われてしまったら……


 リセはクルトの後ろ姿を見つめながら、ひたすら歩いた。

 彼のつむじは、十年前と変わらず赤く眩しかった。




 


「クルト様。提案があるのですが」

「なんだ」

「他生徒達とも交流を広げてみてはいかがでしょうか」


 昨日に引き続き、食堂へやって来た二人。テーブルの上には本日選んだメニュー、ミートパイと琥珀色のスープが湯気を立てている。


「……何のつもりだ」

「昨日は一日中、私と居ただけで終わってしまいました。せっかくエスメラルダへ留学にいらっしゃったのですから、他生徒ともお話をと思いまして」


 クルトからの刺さるような視線に負けじと、リセは言葉を続けた。


 考えたのだ。

 十年前、クルトと一番近しい関係にあったのがリセ。だから今も世話役として頼み込まれ、クルトの隣へ立っている。

 もし十年前、あのお茶会で彼がもっと交友関係を築いていたなら。七歳のリセがクルトを独り占めせず、彼がもっと広い世界を見ていたなら……


 今、ここには違う令嬢が座っていたかもしれない。クルトの隣には、相応の洗練された令嬢が立っていたのかもしれないと。


「具体的にはどのように」

「ええと……スポーツなどはいかがでしょうか。共に身体を動かせば、仲も深まると申しますし」

「そうか、スポーツか……」

「今、エスメラルダではテニスが人気でして。きっと皆でやれば楽しいと思います」

「……テニスなら分かる。やってみよう」


 クルトは意外にもすんなり話に乗った。彼も、周りに目を向けてみようと思ってくれたのかもしれない。

 ちょうどランチを食べ終われば昼休憩だ。校庭のテニスコートでは、生徒達がテニスを楽しむことだろう。リセとクルトは、ランチの後テニスコートへ寄ってみることにした。






 地面から砂煙が立ちのぼる。

 男子生徒の足元へと、鋭いスマッシュが決まった。

 あまりの威力に、青い顔で固まる男子生徒。女子生徒の悲鳴。対して、涼し気な顔でラケットを振り下ろしたクルト。

 予想とは大きく異なる事態に、リセは冷や汗が止まらなかった。

 



 昼休憩、二人はテニスコートへと向かい、友好的な生徒達の輪へ混ぜてもらったのだが。クルトがラケットを持った途端、あっという間にテニスの勝負は決まってしまったのだった。


「ク……クルト様、魔法を使ってはいけません」

「魔法など使ってはいないが」

「もう少し、ラリーなどを楽しんでみては……」


 そう、リセが想像していたテニスとは、もっと和やかなものだった。

 何回ラリーが続くか挑戦し、球が逸れたらごめんごめんと謝りながら拾いに行く……そのような。少なくとも、地面に突き刺さるようなスマッシュを決めるテニスは、想像してはいなかった。


「皆、楽しかった。礼を言う」


 クルトは静まり返ったテニスコートに向かって声をかけると、その場を後にする。

「し、失礼いたします」

 リセも生徒達に深く頭を下げたあと、急いでクルトの後を追った。




「クルト様、もう少し手加減をしませんと」

「手加減されて嬉しい者などいるのか」


 確かにそうかもしれないが……クルトと生徒達では、実力の差があり過ぎた。しかも今回の目的は生徒達との親睦を深めることだ。勝負の為では無い。しかしこの調子では、またテニスをしたとして結果は同じものになるだろう。


 親睦を深めるため何か他にも方法は無いだろうかと考えたとき、音楽室から楽器の音色が聞こえてきた。

 そうだ、これならどうだ。


「クルト様。皆の演奏に参加されてはいかがでしょう?」

「演奏とは?」

「我が学園には生徒達で運営する管弦楽団がありまして。放課後は毎日練習しておりますので、そちらに顔を出されてみては? 皆で演奏すれば、きっと楽しいと思います」

「……バイオリンなら分かる。やってみよう」


 皆と一体となって音楽を奏でれば、仲も深まるというものだ。なんていい考えなのだろう。リセとクルトは、放課後の音楽室へ顔を出すことにした。






 静かな音楽室に、バイオリンが鳴り響く。

 艶のある音色が歌うように旋律を奏でれば、管弦楽団の生徒達はその音色に聞き惚れた。


 クルトの弓がゆっくりと弦から離れると、演奏の余韻を残したまま音楽室に静寂が訪れる。

 そして……一拍置くと、音楽室は拍手喝采に包まれた。


「素晴らしい!」

「クルト殿下!」

「アンコール!」

 精鋭であるはずの楽団員達が、クルトのソロ演奏の虜となってしまった。リセはまた冷や汗をかいた。こんなはずでは無かったのに。皆で一緒に合奏を楽しむことが出来たなら、と……


 楽団員達に取り囲まれるクルトを、リセは離れた場所から眺めていた。ある意味、親睦を深める事には成功しているのだろうか。


「皆、楽しかった。礼を言う」


 クルトは楽団員達に向かって声をかけると、音楽室を後にする。

「し、失礼いたします」

 リセも生徒達に深く頭を下げたあと、急いでクルトの後を追った。




「クルト様は、ひと通り嗜まれていらっしゃるのですね……」


 テニスとバイオリンだけで、もう分かってしまった。クルトが皆と肩を並べて楽しむのは不可能だと。受けてきた教育が、実力が、レベルが。何もかも違ってしまっている。

 リセの思いを見透かすように、クルトが笑う。


「今日も楽しかった」

「本当ですか?」

「ああ。テニスも、バイオリンも」

「本当に、本当ですか」

「リセが楽しいと言うものは、大体楽しい」


 リセを優しく見下ろすクルトに、虚を衝かれてしまった。

 そしてやっと気付いた。自分が昔と何ら変わらず、クルトを振り回していることに。


 十年前のお茶会でも、「楽しそう」と言ってはクルトをあちこちへ連れ回していたことを覚えている。

 なんて無礼な……と思うが、よくよく考えれば今だって同じ事をしているではないか。リセの「きっと楽しい」という一声で、テニスに混ざり、管弦楽団に顔を出し……


 (クルト様、私を信用し過ぎでは……)


 


 クルトは、十年前「楽しかった」という記憶を今も大事にしてくれている。


 それを感じるだけで、やはりリセの胸はほんのりと温かくなるのだった。



 


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