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国の思惑



「んん……?」




 まぶたを開くと、そこはリセの部屋だった。窓の外はもう暗い。リセは制服のまま、ベッドに横になっていたようだ。

 いつの間にここまで来たのだろう。つい先程まで、クルトと馬車に乗っていたはずで……


 リセの脳裏に段々と記憶がよみがえる。

 指先が冷たくなってゆく。


「まさか、私……」

「リセお嬢様!」


 メイド長のクラベルがバタバタと部屋へとなだれ込んできた。


「お目覚めになりましたか」

「クラベル……私、どうしよう」

「どうしようと仰られましても……」


 リセは理解した。王家の馬車で下校中……クルトと同乗しているにも関わらず、あまりの心地良さに寝落ちしてしまったのだと。


 己の愚かさに泣きたくなる。粗相せぬよう、気を引き締めたつもりだったのに。最後の最後で気が緩んだ。一日を無事に過ごせて安心しきってしまったのだ。


「驚きましたよ。リセお嬢様を抱えたクルト殿下がいらっしゃった時は」

「抱えた?! クルト様が?」


 しかもリセをここまで抱えて運んでくれたのは、よりにもよってクルトらしい。それに気づかぬくらい熟睡していたというのも、とんでもないことだ。

 初日からやってしまった。このことは、やはり父にも報告されているのだろうか……


「リセお嬢様。目が覚めたら、旦那様が応接室までいらっしゃるようにと」

「む、無理……。私行けない」


 怖すぎる。父からも、あれほど『節度を持って』と念を押されたというのに。

 リセが散々ごねていると、ついに部屋のドアがノックされた。十中八九、父である。どうしようか。もう一度、寝たふりでもしてしまおうか。


「クラベル、開けないで」

「何を仰いますか。リセお嬢様、開けますよ」


 無情にもクラベルがさっさと扉を開いたので、リセは思わずブランケットに潜り込んだ。

 往生際の悪さは自覚している。うじうじとこんな事をしていたって、リセの失態は消えやしないのに。隠れても、父と思われる足音は近付いてくる。


 足音はベッドのそばでピタリと止まり、どうやら椅子に腰掛けたらしい。




「リセ」


 心臓が飛び出でるかと思った。

 聞こえてきたのは父の説教では無く……今日一日隣で聞いていた、彼の声。


「……クルト様!」


 リセは飛び起きた。そこには確かにクルトがいて、面白そうに笑みを浮かべている。なんとクルトは待っていたのだ、リセが目を覚ますまで。


「も、申し訳ありません。まさか、馬車で寝てしまうなんて」

「ああ、よく寝ていた」

「しかもクルト様がここまで抱えて下さったとか。本当になんとお詫びしていいのか」

「いや、良いものを見た」


 謝り倒すリセに、クルトは笑みを浮かべたまま。

『良いもの』を『見た』と言った。

 良いもの? 何が? リセが? 

 自分は一体どんな顔で寝ていたというのだろうか。


「ご、ご迷惑を」

「今日は楽しかった」

 彼はリセに謝る隙を与えない。まるで「謝る必要は無い」と、圧をかけるかのように。


「一日、世話になったな。ゆっくり休め」


 クルトはフッと微笑むとリセの髪をひと撫でし、早々に部屋を出ていった。

 



「し、心配されていたのでしょうね……顔を見てからお帰りになるなんて」

 一部始終を見ていたクラベルが赤い顔でリセへ話しかけると、同じく赤い顔のリセは固まっていた。


 髪を、撫でられた。実にさりげなく。


 あれは本当にクルトだろうか。

 リセの知っているクルトは、片言でリセの後をついて歩くクルトだ。りんご色で、かわいらしいクルトだ。

 なのにあのクルトは何だ。

 彼からの「楽しかった」という昔と変わらぬ言葉が、今はリセの心をふわふわと彷徨わせる。十年前は、そう言われればただ嬉しいだけだったのに。


 十七歳の、彼の声。真っ直ぐな瞳。迷い無い言葉。


 すべてに痺れてしまって、リセは再びブランケットに飛び込んだのだった。

 





「詳しく話を聞かせなさい」


 しばらく恥ずかしさで身悶えていたリセは、再び父から呼び出された。そして今、こうして父の書斎に立っている。

 クルトは許しても父は許さない。そういうことなのだろう。


「クルト様の留学初日が無事に終わり、気が抜けてしまって……気がつけば馬車の中で寝てしまっていたのです。申し訳ありません」

「ああ……それについても言いたい事は山程あるが、私が聞きたいのはそこでは無い」


 リセを叱りとばしたい気持ちをギリギリ抑え、父は話を続けた。彼女をここへ呼んだのは、どうやら寝落ちについて叱責するためでは無いらしい。


「リセはクルト殿下と、どういった関係だ」

「どういったと言われましても……私はお世話役を仰せつかっておりますが」

「世話役を、殿下自ら抱えるのか」


 馬車から出てきたクルトに、父は目を疑ったらしい。

 我が娘が隣国の王子に抱えられている、嘘のような光景に。父が平謝りしてみてもクルトは「謝る必要は無い」と言うし、挙句リセを部屋まで運んだ。まるでそれがクルトの役割だと言わんばかりに。


「クルト殿下からは、何も無いのか」

「何もありません。当たり前です!」


 リセは、先ほどのことを思い出してしまった。髪を撫でていった、彼の指先を。


「リセ、顔が赤いが」

「な、なんでもありません」

「いいか、くれぐれも……くれぐれも、クルト殿下に粗相のないように。……望まれたら応じなさい。エスメラルダ王国のためにも。分かるな、リセ」


 ……分からない。いきなり何を言っているのだ、父は。

 しかし眉間に皺を寄せたままの父は、至って大真面目のようだ。胃のあたりを擦りながら、リセを説き伏せようとしている。

 

「何を仰います、お父様。そんなことある訳が無いでしょう」

「その可能性があるから言っている。クルト殿下は明らかにリセを気に入っている」

「クルト様は大国ディアマンテの王子様ですよ」


 そう、クルトはディアマンテの第二王子。そのような可能性を考えることがそもそも失礼なのでは……

 



「……十年前、エスメラルダ王家から内命を受けた。リセには特定の相手を作らぬようにと」

「え?」

「当時は理由さえ教えられなかったが……今、私はこのためだったのだと思っている」


 そんなことは初耳だ。

 だから、リセには待てども待てども縁談が無かったということか。


「待って下さい、お父様……十年前って」


 あの数回に渡ったお茶会では、王子グラナードが最終的に公爵令嬢ルーナを婚約者に選んで終わった。側近候補も、きっと何人か選ばれたのだろう。

 ただ、リセはそれだけの事だと思っていた。まさかあのお茶会にディアマンテ王国の王子が紛れ込んでいるとは思いもしないし、その上クルトに近づいた自分がエスメラルダ王家から目を付けられていたなんて。




「リセがクルト殿下に選ばれたなら、ディアマンテとエスメラルダの関係はより良いものになるだろう」


 自分の知らぬところで、話が進む。


 十年前に開かれていたお茶会。

 王家から内命を受けた父。

 突然会いに来たクルト。

 リセを世話役に据えたグラナードとルーナ。

 



 なんの思惑にも気付かぬままだったリセは、混乱した。

 たったひとり、流れの中に取り残されたまま。父の書斎で立ち尽くしたのだった。


 




 

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