初日
「リセ、次の講義は何だ」
「リセ、あの教師の担当教科は」
「リセ、ノートを見せてくれ」
リセ、リセ、リセ……
朝から、もう何十回呼ばれ続けたことだろう……
クルトは予定通り留学生として、リセと同じ王立学園へと入学した。
同じ二学年、同じクラス。そしてまさかの、席は隣。世話役として指名されたのだから、当たり前といえば当たり前なのであろうか……
大国ディアマンテの王子を一目見ようと、廊下には多くの人だかりが出来ていた。生徒達の視線の先には、赤い髪の美しいクルト。……と、隣に座る何の変哲もない伯爵令嬢。
事情を知る者以外は、不思議に思って当然だろう。なぜ隣国の王子ともあろう人が、このように地味な令嬢を侍らせているのかと……
初日の今日は、朝から大変な思いをした。
さあ登校しようとリセが扉を開けてみれば、フォルクローレ伯爵家の門前に再び王家の馬車が停まっていたのだから。
馬車の中には、制服姿のクルトが待ち構えていた。迎えに来たのだ、世話役のリセを。
「リセ、行くぞ」
当たり前のようにリセを呼ぶクルトを目の当たりにして、彼女は悟った。これは留学中……毎日迎えに来るのだろうと。
「……おはようございますクルト様」
「ああ、おはよう」
色々と物申したいところをぐっと我慢して、リセは馬車へと乗り込んだ。そうしてクルトと二人、馬車に揺られ学園へと登校したわけだが。
馬車が学園へと到着し、扉を開けた瞬間。リセは、その場にいた生徒達の視線を一身に集めることとなってしまったのだ。
それもそのはず……リセがクルトと共に乗ってきたのは、しっかりと紋章の入ったエスメラルダ王家の馬車だった。皆、何事かと思ったのだろう。中から王族が出てくるのかと、身構えていたに違いない。
しかし御者が恭しく扉を開けてみれば、中から出てきたのは見慣れた伯爵令嬢……二年のリセ・フォルクローレだった。そしてあとに続くのは見慣れぬ赤髪男子。
周りを見渡せば、皆「わけが分からない」といった顔をしていた。リセだって、皆に事情を説明して回りたい気分でいっぱいで……
というわけで、朝からリセはくたくたに疲れ切っていた。これだけ視線を集めていても平然としているクルトはさすが王族だ、凄すぎる。
「クルト様は、お疲れではないですか」
「いや、楽しい」
「そうですか……」
エスメラルダ王国の授業が楽しいのだろうか、それともこのように視線を集める状況を楽しんでいるのだろうか。
まあ……楽しいのなら、なによりだ。
「リセ、昼食はなんだ」
「ええと……学園の管理棟に食堂がありますので、本日はそちらへご案内いたします。もしクルト様のお口に合わないようでしたら、またグラナード殿下へ御相談するとして」
「リセはいつも何を食べている?」
「私は、いつも食堂のランチです」
「では俺も毎日それでいい」
リセは拍子抜けした。実は悩んでいたのだ。学園生活とはいえ、王子であるクルトを食堂などへ連れて行って良いものかと。
「それではクルト様、参りましょうか」
「ああ」
リセが先を歩き、その後をクルトがついて行く。生徒達の視線の中、リセとクルトはまるで従者と主人のように食堂まで向かったのだった。
ごった返す、お昼時の食堂。
リセは二人分の席を確保するとクルトを席まで案内し、自身は注文口の行列に並ぼうと立ち上がった。
「クルト様はこちらでお待ち下さい。私が持ってまいりますので……」
「いや、いい。俺も行こう」
「えっ」
クルトがパチンと指を鳴らすと、どこからともなく護衛らしき男が現れた。一体、どこにいたというのだろう。
「席は彼に任せるといい。行くぞ」
「は、はあ……」
妙な光景だった。
ディアマンテ王国の第二王子が、トレーを持って食堂の行列に並んでいる。それを恐る恐る見守る生徒達。
背後にクルトの気配を感じながら、先に並んだリセは縮み上がっていた。
学園でのクルトの様子というのは……このようなことも報告されるのだろうか。父の深いため息が聞こえてくる気がする。
「リセ」
「はい、なんでしょうか」
恐る恐るクルトを振り返ると、彼は食堂のメニューを眺めていた。
「どれが旨い?」
今日のランチは、チキン・パスタ・シチューの三種類。どれが旨いかと聞かれたら……
「一番人気があるのはパスタでしょうか。ソースがとっても濃厚で美味しいと評判なので」
「リセが選ぶのはどれだ」
「私はチキンにしようと思っています」
チキンがメインの時は、付け合わせにレバーのパテがついてくるのだ。リセはそれが好きで、いつもチキンの日を楽しみに待っていた。
「では、俺もそれでいい」
「……少し、クセが強い味ですよ?」
「でもリセは好きなのだろう」
「はい、大好きです」
「リセが好きな物は大抵旨いと決まっている」
クルトはそう言うと、さっさとチキンの皿を取ってしまった。
(私の味覚、凄く信用されてるな……)
そういえば十年前のお茶会では、自分が美味しいと思ったものを片っ端からクルトに分け与えていた記憶がある。
無礼極まりない行為だが、あの頃クルトもリセと同じものを食べて美味しいと思ってくれていたのだろうか。それを思うと胸がほんのり温かくなる。
「なるほど、クセがある」
席に着き食事を始めたクルトは、リセと目を合わせると少し笑みを作った。
「旨いな」
「……良かったです、お口に合って」
見た目には分かりにくいが……クルトは実に楽しそうだった。
トレーを持って並ぶことも、このような場所での食事も、きっと初めてだったに違いない。リセには、彼がこの学園生活を楽しもうと、馴染もうと……歩み寄っているように見えた。
十年という年月で、あの素直だったクルトは変わってしまったと思い込んでいたリセ。
しかし、変わってしまっていてもクルトはクルト。楽しそうなクルトを見るのは良いものだ。リセも自然と顔がほころぶ。
「やっと笑ったな」
「……クルト様、実はシチューもお勧めなんです。肉がホロホロと柔らかくて」
「旨そうだな」
「たまに登場するチーズたっぷりのサラダも美味しくて」
「それも旨そうだ」
リセはクルト相手に自然と喋りだした。彼はリセの話に相づちを打ち、たまに目を合わせて軽く笑う。
十年前のあの頃とは違い、クルトの声は低く、笑顔は薄く。
それでも、二人はまるで昔に戻ったかのような時を過ごしたのだった。
「クルト様。初日、大変お疲れ様でした」
やっとこの日最後の講義が終わり、長かったようで短かったような登校初日が終わろうとしている。
門前へ迎えに来た王家の馬車が、クルトを待っていた。リセは今日という一日を無事に終えたことで、とりあえずはホッと胸を撫で下ろした。
「ああ。では帰るか」
「え、私もですか?」
「行くぞ」
どうやら帰りも同乗することになるらしい。この、王家の馬車に。
リセの背中に、周りの視線が突き刺さる。しかし『早く乗れ』というクルトの視線も刺さってくる。
リセは観念して馬車へと乗り込んだ。パタリと扉が閉じられると、そこにはクルトとリセだけの空間が出来上がる。
クルトは何も話さない。さすがに疲れたのかもしれない。
(私も、話しかけないほうがいいかな……)
しん……と静かな、馬車の中。
馬車の心地よい揺れ。適度な疲労感。
まぶたが重い。頭が揺れる……。
リセは最後の最後でやってしまった。
大失態を犯してしまったのだった。