隣国王子のお世話役
柔らかな冬の木漏れ日が降り注ぐ、エスメラルダ城の温室。
用意された上質なテーブルには、エスメラルダ王国王子グラナードと、その婚約者である公爵令嬢ルーナ、そして隣国ディアマンテ第二王子であるクルト。錚々たる顔ぶれが揃う中。
(なぜ、私がここに……?)
リセは神々しいほど眩しいメンバーを前に、がちがちに固まっていた。
昨晩の、衝撃的な出来事からの翌朝。
リセは突然、城から呼び出しを受けた。いきなり、エスメラルダ城からの馬車がフォルクローレ伯爵家までリセを迎えに来たのだ。
なぜ呼び出されたのかも分からぬまま、メイド長のクラベルから叩き起こされ、バタバタと準備を施され、父からは馬車へとぎゅうぎゅうに押し込まれ……
抵抗もせず流れに身を任せていたら、明らかに場違いなこの席へと流れ着いていた。そしてこの温室で、カチンコチンに固まっているわけである。
目の前のテーブルには、繊細な装飾が美しいカップに良い香りのお茶。キラキラと輝くタルト、艶々としたチョコレート、色鮮やかに煌めくドライフルーツ。
これは最上級のお茶会だ。普段なら、喉から手が出るほど食べたい最高のお菓子達だ。しかし、全く食指が動かない。目の前に王子、その婚約者、隣国の王子が座っているのだ。リセは緊張で、お茶どころではなかった。
リセは、王子グラナードもその婚約者ルーナとも、ほとんど十年振りであった。
二人とは同世代。十年前のお茶会では確かに同席したのだが、リセは早々に婚約者レースから離脱してしまっていたし、そもそもが彼らは雲の上の存在。普段はせいぜい、遠くから顔を見ることが出来ただけ。本来であれば気安く話しかけるなど、出来っこないのだ。
それが何故、今。
同じテーブルに座っているのだろう。
「本当は、昨日の舞踏会でお会いできたら良かったのだけど……リセさんはいらっしゃらなかったから」
ルーナがおっとりと話し始めた。
どうやら昨日の舞踏会、リセ以外の三人は会場へ勢揃いしていたらしい。そしてなんと、リセが来るのを待っていたのだという。
(舞踏会……行かなくて本っ当に良かった……)
リセは心から安堵した。舞踏会という公の場で、このキラキラした三人から囲まれるなど試練でしか無かっただろう。
リセの欠席を知って、クルトはフォルクローレ伯爵家までわざわざ出向いてくれたらしかった。「また会おう」という、十年前もの約束を守ろうと。なんと律儀な男なのだろう。
「実は、クルト王子が留学生として我が国の学園に通うことになってね」
「リセさんには、学園でクルト殿下のお世話役をお願いしたくて」
グラナードとルーナから、驚きの発言が飛び出した。
クルトはディアマンテ王国の第二王子。いずれ第一王子……次期ディアマンテ王の補佐として、国を支えていくことになる。
近い将来、クルトが近隣諸国との窓口となれるよう、まず友好的な関係にある我がエスメラルダへの留学を決めたのだという。
「お、お世話役ですか?!」
「そう。クルト王子もリセ嬢も、同じ十七歳だろう。もし引き受けて貰えたなら、クルト王子もとても心強いと思うのだが」
「グラナードも私も、もう卒業してしまっているし……リセさんにしか頼めないの」
後光を放つグラナード王子とルーナは、有無を言わさぬ笑顔を湛えている。さすが王子とその婚約者。ただおっとりとしているだけでは無いらしい。
「俺からも頼む、リセ」
クルト本人からも更に畳み掛けられた。
しかしリセとしても、簡単に首を縦に振ることは出来ない。
「私などでは、力不足ではないでしょうか……」
「何を仰るの。クルト殿下といえばリセさんしかいないわ」
「クルト王子からの、たっての希望なんだよ」
彼らは、十年前のお茶会をばっちりと覚えていた。クルトにべったりと付きまとい、一方的に世話をやくリセの姿を。ああ……当時の自分を椅子に座らせ、小一時間くらい説教したい。
「あれは……あの頃の私は、身の程知らずだったのです。クルト様に対してあのような御無礼を」
「俺は楽しかった」
隣に座るクルトは、相変わらず面白半分な瞳でリセを見下ろす。そんな……本人からそのように言われてしまったら。
「ほら、ご本人も楽しかったと仰っているわ」
「決まりだな、クルト王子」
「リセ、よろしく頼む」
クルトから、二度目の『よろしく頼む』をいただいてしまった。大国ディアマンテの王子からの『よろしく』を、もうこれ以上拒める貴族はいるだろうか……いや、いない。
「かしこまりました……至らぬ点もあると思いますが、よろしくお願いします。クルト様」
リセがクルトに向き合い頭を下げると、彼は満足そうに微笑んだ。
こうしてリセは、クルト留学中の世話役を引き受けたのだった。
「ということで、クルト殿下はエスメラルダ城へ滞在なさるそうで。クルト殿下の留学中、私は学園でのお世話役を引き受ける事になりました」
「そうか……その、殿下の世話役というのは……リセで大丈夫なものだろうか?」
「お父様もそう思います……? 私もです」
フォルクローレ伯爵家へ帰宅したリセは、休憩する間も無く父の書斎へと呼び出された。父は城での仔細について聞きたかったようだ。どうやらリセの帰宅を待つ間、気が気では無かったらしい。
「リセ、いいか。殿下には節度を持って接するのだぞ」
「ええ。分かってはいるのですが」
令嬢としては、少々のびのびと育ちすぎたリセ。父もそのことを心配していた。礼儀作法などはひと通り身につけているが、気掛かりであるのはそこでは無い。
「相手はディアマンテ王国の第二王子なのだ、決して構い過ぎたり、振り回したりせぬように……わかるか、リセ」
「はい。承知いたしました」
「本当か……心配だ……」
念押しをした後、まだ心配が拭い切れない父は、頭を抱えた。
(信用されてないわね……)
それもそのはず、リセには既に実績があった。何も知らなかったとはいえ、クルトを構い倒したという大きすぎる失態が。
当時は七歳の子供同士であったから許された部分もあるのだろう。しかし今はお互いに十七歳。なにか粗相があっては、もしかすると国際問題に発展しかねない。
リセは心に決めた。
自身の中の『おせっかい』を封印すると。
誤字報告ありがとうございました(> <。)