待ち伏せ
昼間、侯爵令嬢シルエラとの一件があっての放課後。
クルトとリセは音楽室にも顔を出していた。管弦楽団の生徒達と、交流を深めるためだ。
回を重ねるごとに管弦楽団の者達ともずいぶん馴染み、最近のクルトはデュエットだけではなく合奏にも参加させてもらっている。ここは純粋に演奏を楽しむ者達ばかりで、彼も居心地が良さそうであった。
実際、世話役として付き添うリセも、放課後の音楽室は落ち着けた。美しい音色を聴きながら、たまに楽団員から楽器を教えてもらえたりして。
なにより、あのシルエラ達がいない。
「リセさんも上手く音が出せるようになったわね」
「本当ですか? ありがとうございます」
管弦楽団の団員は、リセのバイオリンを褒めて伸ばしてくれている。楽器まで貸し出してくれ、なんといい人達なのだろうか。まだまだ簡単な音しか出せないが、自分で楽器を奏でてみるのはなかなか楽しかった。
バイオリンをひと休みしてチラリとクルトに目をやると、彼は団員達と音合わせの真っ最中であった。これからパートごとに少し練習をして、合奏までしばらく時間もかかるだろう。
お手洗いにと、リセはいつものように音楽室を出た。次第に楽器の音が遠ざかり、静かな廊下にはリセの足音が鳴り響く。
そこに、リセ以外の足音が重なった。
「リセさん」
不意に、廊下の影からシルエラが現れた。
リセは驚いた。なぜ、こんなひと気の無い廊下でシルエラと会うのだろう。偶然……では無さそうだ。まるでリセを待ち構えていたのではと思うくらいには、不自然であった。
「……私に何の御用でしょうか」
「そう怖い顔をなさらないで。昼間の事を謝ろうと思って待っておりましたのに」
「待っていた……?」
シルエラがリセへ手を振り上げた、あのことを謝ろうというのだろうか。
あの時はクルトが来て事なきを得たが、去り際のシルエラを思い出しても……まったく謝ろうなどという態度では無かったが。実際に、今も彼女は口の端を上げて腕を組み、その姿はじつに威圧的である。
「リセさんと、二人で話がしたくって。私と一緒に来て下さらない?」
いくら鈍いリセでも分かった。
これは明らかに様子がおかしい。
シルエラが放課後まで待っていたなんて。リセが、一人きりになる瞬間を。
「……私、用事がありますので失礼します」
リセが踵をかえし音楽室へと戻ろうとしても、既に背後にもシルエラの取り巻き達が立ちはだかっている。
「リセさん。大人しくついてきて下さらないと困りますわ」
シルエラ達はリセを取り囲んだ。
きつく掴まれる腕。押される背中。
リセはされるがままに、シルエラ達に連れていかれたのだった。
強く身体を押され、リセは真っ暗な室内へと足を踏み入れた。
「しばらくここでゆっくりなさって。大丈夫、すぐに助けが来ますわ」
連れてこられたのは、屋外にある倉庫であった。窓も無い倉庫は埃っぽくて、とても寒く。
シルエラ達はクスクスと笑いながら重い扉を閉めた。ガチャリと、外から錠をかけられた音もする。
閉じ込められてしまった。
こんな寒くて暗いところに。
遠ざかってゆくシルエラ達の笑い声。
リセは安易に一人で出歩いたことを後悔した。昼間、侯爵令嬢であるシルエラとあのようなことがあったのに。セリオンも『妬まれている』と、警告してくれていたというのに。
もっと危機感を持つべきだった。自覚が足りていなかった。
しかし今さら後悔しても、この状況が好転するとは思えない。幸いにもここは学園の敷地内。大声を出せば、誰かが駆けつけてくれるのでは……
事態を楽観したリセは、声を出そうと大きく息を吸い込んだ。
その時。
「待って」
倉庫内、暗闇の奥から声がした。
てっきり一人きりだと思い込んでいたリセは、驚きすぎて固まった。しかも声の主は男。姿も見えない声の主に、リセは恐怖で後ずさったのだが。
「リセ。俺だよ俺」
「もしかして……セリオン?!」
「そうだよ……参ったな。リセまで閉じ込められるなんてさ」
暗闇の声の主はセリオンだった。目が闇に慣れてくると、奥でしゃがみ込む彼の姿がうっすらと見えてきて。なぜ、こんなところにセリオンが。まさか……
「まさか……セリオンまで、シルエラ様達に閉じ込められたの?」
「その通りだよ。ほんとあいつら許せない」
「なんでセリオンまで……」
もしかして、昼間リセの隣にいたからとばっちりを受けてしまったのだろうか。だとしたらセリオンはとんだ災難である。
しかも彼はコートも着ぬまま、リセより先にこんな場所で閉じ込められていた。あまりの寒さに、ガタガタと震えているではないか。
「風邪をひいてしまうわ。これを羽織って」
リセは自身のコートをセリオンの肩にかけた。しかし彼はそれを取り去ってしまう。
「駄目だよ。それじゃあリセが風邪ひくでしょ。俺がクルト殿下に怒られちゃうよ」
「大丈夫。私はまだ身体が暖かいから風邪なんてひかないわ」
今度こそ、無理矢理ではあるがセリオンにコートを羽織らせることに成功した。あとは……
「助けを呼びましょう? 誰か来てくれるかも……」
「だから、待ってリセ。助けを呼ぶのはまずいよ」
「どうして。早く開けてもらわないと」
今は大丈夫だが、こんなに寒くてはリセの身体だっていずれ冷える。早く助けを呼ばないと……生徒達が学園に残っているうちに。
「助けてもらいたいのは山々だけどさ。皆に見られたら醜聞になるでしょ。リセにとって」
「醜聞?」
「こんな薄暗い密室に男と二人きり。しかも今、リセは注目の的でしょ。変な尾ひれつけて噂になるに決まってるよ」
そうか……シルエラは、それが狙いだったのか。
『大丈夫、すぐに助けが来ますわ』
シルエラはそう言葉を残し、去っていった。ということは、リセがわざわざ助けを呼ばなくても、シルエラの息のかかった人間が頃合いを見て助けに来るのかもしれない。
造り上げられた『リセとセリオンの逢瀬』を目撃しに。
「一応言っておくけど。俺、リセにはなーんの欲もないよ」
「奇遇ね。私もセリオンには何も感じないわ」
「なのに密室ってだけで……くそ、あいつら」
もう間もなく日も暮れる。
寒い倉庫の中、二人は頭を抱えたのだった。