おせっかいな少女③
グラナード王子がチラつかせた『餌』に釣られて、クルトはまんまとエスメラルダへの留学を決めた。
父であるディアマンテ王は若干渋い顔をしたものの、最終的には息子からの初めての我儘に、王が折れた形となった。エスメラルダ王子との親交も深まり、良い経験になるだろうと。
「久しぶりだな、クルト王子」
クルトがエスメラルダ城へ到着するなり、グラナード王子が直々に出迎えた。十年ぶりに会った彼は掴みどころが無く、腹の内では何を考えているのか分からないような、そんな男で。
「グラナード王子。歓迎、感謝する」
「こちらこそ、またエスメラルダへ来てくれて嬉しいよ」
「しばらく世話になるが、どうかよろしく頼む」
挨拶もそこそこにひとまず城内へ案内されると、やけに恐縮する大臣や必要以上に平伏す者達とすれ違う。
クルトは肌で感じ取った。ここはまだ、魔法を扱うディアマンテ王国に対して強い偏見があるのだと。正確には、親達の世代に残っているのだろうか。魔法に対する『怯え』が。
「グラナード王子。私を招待したのは、王から命ぜられての事なのか」
「まあ、そうだね……クルト王子もお気付きだと思うけれど」
いささか突然であった留学への誘い。それも『リセ』の名を利用して。友好的ではあるが、どこか強引な印象も受けた。
「我が父エスメラルダ王は、ディアマンテともっと仲良くなりたいらしい」
「……ああ」
「虎の威を借りたいのさ。なんとしてでも」
ディアマンテの隣国エスメラルダは、豊かな国だが小さな国だった。周りを数ヶ国に囲まれており、決して安穏とした外政を行える立地ではなく……しかもここに来て、周囲の国が急速に力を持ち始めた。豊かなエスメラルダなど、格好の餌食である。
そこで魔法大国ディアマンテとの親密さをアピールすれば、諸外国に対し牽制することが出来るだろう。ディアマンテの『魔法』の力を盾に、自国を守ることができたなら……エスメラルダ王は、そう考えているらしい。
「クルト王子。リセ嬢のことは、これまで守ってきたつもりだよ」
「は……?」
「彼女と、そろそろ婚約しない?」
クルトは耳を疑った。
なんとエスメラルダは十年前……あのお茶会の時にはもう、リセに目をつけていたようだった。『ディアマンテ王子に気に入られた者』として。
フォルクローレ伯爵にはリセに婚約者をつけぬよう命じ、リセに近付く男があれば秘密裏に遠ざけて。そうやって、クルトへ差し出すためにリセを『用意』していたのだ。
なんという国なのだろう。
リセという人間の人生を、何だと思っているのだろう。
そう思うのに。
一方で喜んでいる自分がいて、愕然とした。
あのリセが自分のものになる。彼女の笑顔が、彼女の優しさが、自分だけのものになる。そのようなことがまさか叶ってしまうなんて。
「クルト王子から求婚されれば、リセ嬢だってきっと喜ぶよ。あんなに仲が良かったのだから」
「十年も会ってなかった奴からいきなり求婚されても、リセが困るだけだろう」
「では留学中に、もう一度仲を深めるといい。ちょうど明日、城で舞踏会があるから彼女も来るはずだ。大丈夫、きっと上手くいくから」
そう言うと、グラナード王子は、完璧な笑顔を作ると部屋を出ていった。彼の足音が次第に遠ざかってゆく。
舞踏会で十年越しにリセと会える。ただ、自分のせいでリセがこのような羽目に陥っているとは思いもしなかった。
クルトは分からなくなった。自分の気持ちは、リセにとって迷惑でしかないのだろうか────
次の日の舞踏会。正装に身を包んだクルトは、グラナード王子達と共にリセの到着を待った。
しかし待てども待てども、会場であるエスメラルダ城内にはリセらしき人物が見当たらない。
「おかしいな。フォルクローレ伯爵家には、たしかに招待状が届いているはずなのに」
グラナード王子が首をかしげていると、ちょうどそこにリセの父・フォルクローレ伯爵が挨拶に現れた。リセについて伯爵へ尋ねてみると、なんとリセは来ていないというではないか。
「娘にはパートナーもおりませんので、本日は辞退すると申しまして……どうかされましたか、クルト殿下」
「ではリセは今、屋敷に?」
「は、はい。我が娘に一体何用が……グラナード殿下」
二人の王子に挟まれた上、娘の所在について尋ねられ……フォルクローレ伯爵はたじろいだ。権力に弱いタイプの男なのだろう。十七歳のクルトを前に、おろおろと汗をかいている。きっとディアマンテへの先入観も強いに違いない。
「それではフォルクローレ伯爵。クルト王子を屋敷まで案内してやってくれないか。クルト王子は今日リセと会えるのを楽しみにしていてね」
「い、今からでございますか」
「グラナード王子。そのような無理を言っては……」
さすがに屋敷に押し掛けるのは……。
遠慮をしたつもりだったが、グラナード王子によってすぐさま馬車の手配も整い、フォルクローレ伯爵家まで案内されることとなった。
馬車に乗り込みつつも、クルトは困った。自分はリセに会えることを心待ちにしていたが、彼女が自分のことを覚えているという確証は無い。なにせ十年ぶりなのだ。
そんな男が、舞踏会で顔を合わせるならまだしも……屋敷まで押し掛けてくるなど。あってはならないことなのでは……
「こちらでございます。リセはおそらく二階におりますが……殿下にお会いできるような仕度は整っておりません」
フォルクローレ伯爵は依然として冷や汗をかきながら、クルトを屋敷まで案内した。リセはきっと普段着のまま、寛いでいるということなのだろう。
鼓動が早まる。
十七歳のリセは、どのように成長しているのだろうか。どのような姿で、どのような声で……果たして自分のことを覚えているだろうか。
なるべく静かに階段を上がると、どこか聞き覚えのある声が聞こえた。
これは────リセの声だ。
明かりのもれる部屋の戸口へ、クルトはそっと近寄った。彼女はどうやらメイドと話し込んでいるらしい。十年ぶりのリセの声は、どこか懐かしくて。
「寂しいじゃありませんか。リセお嬢様だけ、舞踏会にも行かずお屋敷でひとり。惨めじゃありませんか」
メイドは、舞踏会に行かず屋敷にいるリセを哀れんでいるようだった。それに対し、リセはけろりとした声で答える。
「そんなことないわ。私には将来を誓い合った人がいるんだもの」
頭が真っ白になった。
将来を誓い合った男。リセにそんな存在がいたなんて。グラナード王子はリセにそのような男はいないと、そう言っていたではないか。
「毎回そう仰いますけど。嘘でございましょう? だって一向に現れないではありませんか。その『将来を誓い合った方』が」
「嘘じゃないわ。本当よ」
……どうか嘘であってほしい。一向に姿を現さない男……彼女に会いに来ない男など、リセに相応しいわけが無い。
「ではどんな方でいらっしゃるのですか。お嬢様、教えて下さいな」
「す……素敵な人よ」
会いにも来ないような男を、リセはけなげにも『素敵』などと言う。
駄目だリセ、その男は。そんな男に身を委ねては、幸せになれないに決まっている。
我慢ならずクルトが部屋へと踏み込もうとした時、話の続きが聞こえてきた。
「……赤い髪で。魔法が使えて、とっても素直で」
それは。
赤い髪で、魔法を使う『将来を誓い合った男』。それは……もしかしなくとも自分のことではないか。
『必ずまた会おう』
リセは、十年前の約束を覚えていた。
クルトのことを覚えていたのだ。
胸に湧き上がる喜びが、先程まで燻っていた迷いをひとつ残らず消し去ってゆく。
クルトが唖然としていると、リセの向かいに座っているメイドと目が合った。彼女は目を丸くし、信じられないと言わんばかりにクルトを見ている。
「クラベル?」
様子のおかしいメイドの視線を辿るように、リセもゆっくりと振り向いた。
十七歳になったリセ。
思い描いていた姿よりずっと美しく、そして思い描いた通りに優しげなリセ。
彼女は変わらず薄茶色の髪をサラリとなびかせ、輝く瞳を驚きに瞬かせ。クルトを目で捉えた途端、固まってしまった。
「うそ……」
まさか、十年前にお茶会であったきりの人間が前触れもなく屋敷に来るなど……そんな事、有り得るはずがない。
しかしクルトは来てしまった。フォルクローレ伯爵家へ、リセのもとに。
「リセ」
もう、クルトにはリセを諦める選択肢が無くなってしまった。
クルトは一歩一歩、リセに向かって迷いなく進んだ。
迷惑でも、自分勝手でも。やっと会えた彼女を手に入れるために────
次回からリセ視点へ戻ります。