おせっかいな少女①
クルト視点です。
十年ぶりであった。
リセの、あのような笑顔は。
リセをフォルクローレ伯爵家へと送った後、馬車はエスメラルダ城へと進む。車内にはリセの余韻を残したまま。
強引に進めた、リセへの婚約の申入れ。
エスメラルダ王家と手を組んで、リセを世話役へ据え、『国のため』と逃げ道を塞いで……自分でも、なんと高圧的であっただろうと呆れてしまう。
そんな子供のままのようなクルトに、十七歳のリセをずっと悩ませていたようだった。随分と迷惑だっただろう。あまりの横暴さに、彼女から嫌われてしまっても仕方がない。
しかしリセはあろうことか頬を染め、花のような笑顔を浮かべたのだ。こんなにも自分勝手な男に。
やはり、クルトはリセが良かった。
たとえ高圧的だとしても、自分勝手でも。
リセでなければと、心が他を許さない────
クルト・ディアマンテ。
魔法大国、ディアマンテ王国の第二王子。彼には王位継承者の兄がいた。
ゆえに生まれた時から彼は言われ続けた。「あなたが兄を支えてゆくのだ」と。
言われるがままに知識を詰め込み、魔法を学び……そして七歳になったある日。
「外の世界を見ておいで」と命じられた。父であるディアマンテ王から。
王家に第二王子として生まれた以上、クルトが将来、近隣諸国との窓口となることは定められたものであった。叔父……現ディアマンテ王弟のように。
そのために少しずつでも異国に触れさせようという、目的あっての事だったのだろう。手始めとして連れて行かれたのは、隣に位置する友好国・エスメラルダ王国だった。
ちょうどエスメラルダ王家には同年代の王子がおり、子供を集めたお茶会を近々開催するという。そこにクルトも内々に参加させてもらおう、という狙いがあった。
ただし『ディアマンテの王子』という立場は、参加者達に伏せたまま。
「クルト殿下。決して、魔法を使ってはなりませんよ。お茶会の主役はあくまでもエスメラルダの王子ですからね」
事前に、傍付きの者からは口酸っぱく言い含められた。
なぜ、立場を隠さなければならないのか。
それは七歳のクルトでも薄々分かっていた。
近隣諸国には、『魔法』という強大な力への偏見がある。そのことは、まだ子供であるクルトでも耳にしたことがあった。
魔法を扱う、ディアマンテへの先入観。それは昔から根強いもので。怖い、恐ろしい、ディアマンテの怒りを買ってはならない……
その偏見は、友好国であるエスメラルダでさえも。
クルトが万が一魔法を使いディアマンテの者だと発覚してしまえば、彼はたちまち異物として孤立してしまうだろう。お茶会の雰囲気を壊さぬためにも、クルトが身分を明かす訳にはいかなかった。
魔法のことについて傍付きから何度も念を押され参加したお茶会は、エスメラルダ城のテラスで開かれた。
(なるほどこれは……彼が主役だ)
クルトは異国より参加した一貴族として、席に着いていたのだが。開始早々、エスメラルダ王子・グラナードの周りには有り得ないほどの子供達が群がっている。
この光景を見て、クルトはお茶会の趣旨を理解した。この貴族の子供達は、グラナード王子との繋がりを作るためにこの場にやって来たのだと。少女達は彼の婚約者に、少年達は側近候補になりたくて。
せっかくエスメラルダに来ているのだからグラナード王子とも話を……と思っていたが、これでは到底無理である。
それに、七歳のクルトはその場へ着いてからやっと気付いた。自身が、エスメラルダの会話へ参加出来ないことに。
今までは異国を訪れることがあっても、通訳なり言葉の通じる者が傍にいた。言葉で苦労することが無かったのだ。
しかしその日は違った。子供だらけのお茶会に、放り込まれたのは敢えてクルト一人。勿論、傍付きの者が影で見守ってはいるだろうが……それでも傍に通訳がいなければ周りの者が何を言っているのか分からない。
せっかくエスメラルダへと来ているのに、周りに同年代の者達がいるというのに。自分はただ片隅で立ち尽くすだけ。
時々話し掛けてくる者がいたとしても、クルトがエスメラルダの言葉を理解できない異国人と知れば、面倒な顔を隠しつつ立ち去って……
クルトが無力感に苛まれ、途方に暮れていた時。
「ねえ……!」
突然、横から声を掛けられた。
振り向くと、そこにいたのは薄茶色の長い髪をさらりとなびかせた少女。
それがリセだった。
「突然ごめんなさい。あなた素敵ね。りんごの色をしているわ」
彼女が何を言っているのかは分からなかったが……どうやらクルトの赤い髪について、何か伝えたいらしい。彼女の視線は、クルトの髪と瞳を行ったり来たりと落ち着かない。
「リンゴ? なに? わからない」
クルトは、かろうじて知っている単語を繋いで言葉の意味を尋ねた。クルトのたどたどしい言葉を聞いた彼女は、言葉が通じないことに対して困惑した表情を浮かべている。
ああ……この少女も、例に漏れず離れていってしまうのだろうか……
諦めにも似た感情を抱いた、次の瞬間。
彼女はクルトの手を握ったかと思うと、手を引いてどんどん歩き出したではないか。到着したのは、デザートがずらりと並ぶテーブルの前。
「りんごは、ええと……あれよ」
彼女はデザートプレートに綺麗に並べられたタルトを指さした。そこには赤いりんごのタルトが綺麗に並べられていて。それはクルトの髪と同じ、鮮やかな赤。
「りんごは……赤くて、丸くて、甘くて」
彼女は身振り手振りを添えて、クルトに伝えようとしている。ただ『リンゴ』が何なのかということを。
「私、りんご大好きなの」
「君、リンゴ、だいすき」
圧倒されながらも、クルトは言われたままを復唱する。すると彼女は嬉しそうに笑った。
彼女はお茶会が終わるまで付きっきりで、様々な言葉をクルトに教えた。くるくると変わる表情と、大きな身振り手振り。分かりやすい単純な会話。それはきっと言葉が分からないクルトのために、一生懸命伝えようとして。
良いのだろうか。彼女はグラナード王子の元へ行かなくて。彼女だって、グラナード王子の婚約者になりたくてここへ足を運んだのではないのだろうか……?
グラナード王子の輪がある場所から離れ、二人はひたすらお菓子を食べ、城の庭を探検した。彼女が勧めるお菓子はどれも美味しくて、彼女と過ごすひとときは穏やかで……
お茶会の終わりが近づいた頃。クルトは彼女に名前を尋ねた。
「名前ね。私は、リセ。あなたは?」
「クルト。リセ、たのしい」
彼女といると、楽しかった。言葉は通じなくても、とても心穏やかな時間を過ごすことができた。
片言のエスメラルダ語でも、それだけを伝えたくて。すると彼女は陽だまりのような笑顔を作った。
「私も楽しかった!」
リセがそう言って、クルトの手をぎゅっと握ったから。彼女が、リンゴを……自分の赤を、大好きと言うから。
七歳のクルトは、心を掴まれてしまったのだ。エスメラルダで出会った、おせっかいな少女に……
「クルト殿下。エスメラルダにご友人が出来たようですね。素晴らしいことです」
一部始終を見守っていた傍付きの者は、クルトを褒め称えた。
友人というのは、リセのことだろう。クルトは彼女に頼りきりで何もしていないというのに。
「また来月から、あのようなお茶会が定期的に開かれるそうですよ。顔を出されますか?」
来月から定期的に。
またリセに会えるだろうか。
無意識にクルトは頷いていた。ただ、彼女に会いたいがために────