その人は突然に
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その日。
フォルクローレ伯爵家はバタバタと忙しかった。
小走りで廊下を行き交うメイド達。サイドボードには並べられたアクセサリー。屋敷中にたちこめる華やかな香水の香り。
「皆、準備は出来たわね? じゃあリセ、行ってくるけれど……本当に留守番するの?」
「今更だわ、お母様。ペルラ姉様も、マリナも、舞踏会楽しんできて」
父と母。姉ペルラと妹マリナ。
フォルクローレ家三姉妹の次女であるリセは、正装に身を包んだ家族達を笑顔で見送った。皆は手を振るリセを気遣いつつも、ぞろぞろと連れ立って馬車へと乗り込んでいく。
後に残ったのは、アクセサリーや着付道具でごった返した部屋。リセはメイド達と一緒に、部屋を片付けることにした。
「リセお嬢様、よろしいのですよ。私達でやりますから」
「いいのいいの。皆で片付けたほうが早いでしょう。それに後でお楽しみが待っているんだから」
どんどん片付けを進めるリセは、どことなく楽しそうだった。小一時間ほど片付けや掃除を続けると、ようやく部屋が元の姿を取り戻した。
「やっと片付いてきたわね。クラベルお疲れ様、私達はそろそろお茶にしましょ」
メイド長のクラベルは、三人分の着付をした今日一番の功労者。頭も身体も疲れたに違いない。彼女にも休息が必要だ。
「ええ、すぐにお茶をお持ちします。……ですが、本当によかったのですか? リセお嬢様だけ留守番など」
「パートナーがいないんだから、私が行っても仕方ないわよ。お茶は別の者に頼むから、クラベルはとりあえず座って」
リセは、クラベルを無理矢理ソファに座らせて。お茶は他のメイドに頼み、自分はというとチェストから小ぶりな缶を取り出した。
いたずら顔で勿体ぶりながら、その缶の蓋を開けてみれば……それは豊かな香りのチョコレート。
「まあリセお嬢様! これは」
「こっそり取っておいたチョコレートなの。今日、皆が行ったあとでクラベルと食べようと思って」
「これ……奥様が楽しみにしていたチョコレートじゃないですか!」
母は甘いものに目がなかった。評判のお菓子を片っ端から取り寄せてはお茶会に持ち寄るのが趣味のような人で。
「お母様には話を通してあるし、皆お城で美味しいものを食べてくるのだから大丈夫よ。ほらクラベル口を開けて」
リセはチョコレートを一粒つまむと、クラベルの口へと放り込んだ。不意打ちで口の中へとチョコレートが飛び込んできたクラベルは、驚きながらもその美味しさに目を細める。
リセもチョコレートを一粒頬張ると、その甘さにうっとりと目を閉じた。
「……美味しゅうございますね」
「クラベルはそう言ってくれると思っていたの」
「私のような者にまでこのような……リセお嬢様は本当にお優しい」
甘く美味しいチョコレートを口の中で堪能していたリセの胸に、罪悪感が掠めた。
実は、自分はそんな優しい人間では無い。とっておきのチョコレートを食べたくてたまらなかっただけ。そこにクラベルを巻き込んだだけ。こんなに美味しいものを、一人で食べるなんて罪深いじゃないか。
「私、このチョコレートをクラベルと食べたかっただけよ」
「それがお優しいというのです」
「そうかしら、食い意地が張っているともいうわ」
甘いものに目がないのは母だけではない。リセだって同じだった。昔はよく母のお菓子をこっそりと食べて怒られたりしたものだ。
「そんなことありません。こんなにもお優しいリセお嬢様にだけ婚約者がいらっしゃらないなんて……旦那様も奥様も、何をお考えなのでしょう」
「ついこの間、マリナの婚約が決まったばかりじゃない。私にもいずれ当てがって下さるわ」
そう。最近、妹マリナの婚約が決まった。お相手は家同士でお付き合いのあった伯爵家長男。父が持ってきた縁談だった。
正直なところ、リセは少しばかり傷付いた。順番でいうなら、姉ペルラの次は自分だと思い込んでいたのに。両親が縁談を持ってきたのは妹にだった。
「リセにはリセにぴったりの縁談があるから」と両親には誤魔化されたが、もしかしたら相手側がリセより妹マリナを望んだのだろうか。結婚に対して特に憧れは無いけれど、その日は「なぜ」「どうして」と、ぐるぐる思い悩んだりしたものだ。
「だって寂しいじゃありませんか。リセお嬢様だけ、舞踏会にも行かずお屋敷でひとり。惨めじゃありませんか」
まただ。少々感情的なクラベルは、何かあれば必ずこれだ。悪気がないのは分かっているが、こんな時は必ずリセの「独り」「惨め」を強調する。
そんなこと言われても……リセには相手もいないのだから仕方が無い。でもそのまま返すのはクラベルをもっと心配させてしまうから、リセは決まってこう返すのだ。
「そんなことないわ。私には将来を誓い合った人がいるんだもの」
リセはにっこりと笑顔を作った。嘘だと見破られないように。
いや……厳密にいえば、嘘では無いのだが。
「毎回そう仰いますけど。嘘でございましょう? だって一向に現れないではありませんか。その『将来を誓い合った方』が」
「嘘じゃないわ。本当よ」
本当に、本当だ。
ただしそれは、大昔。十年前。
リセが七歳の時だった。
「ではどんな方でいらっしゃるのですか。お嬢様、教えて下さいな」
「す……素敵な人よ」
クラベルは『将来を誓い合った男』の存在をまるきり信じていなかった。彼女はずっとフォルクローレ伯爵家で働いているけれど、その男は一度も姿を見せない。そんなことがあるはずは無いと。
「そうですか、そうですか」
「……赤い髪で。魔法が使えて、とっても素直で」
「さようでございますか。それで、その方はどちらにお住いで?」
「どちらに……って……」
リセに分かるはずがない。だって十年前に『将来を誓い合った』っきり、彼とは会っていないのだから。
言葉に詰まったリセを見て、クラベルは憐れむように笑った。
「ほら、嘘でございましょう? そのような架空の殿方は」
「い、いたのよ、現実に」
「ですから、どちらに…………」
疑り深いクラベルが、突然リセの背後を見て口をつぐんだ。
「クラベル?」
「…………」
信じられないものを目にしたような顔のまま、リセの向こうを見るクラベル。様子のおかしい彼女の視線を追って、リセも背後を振り返った。
部屋の入口に、青年が立っていた。
正装を纏った青年。
涼しげな目元に、赤い髪。
リセとクラベルは固まった。
「リセお嬢様、まさかあの方」
「うそ……」
二人は微動だにせず、赤髪の青年を見るしかなかった。信じられない。まるで、今クラベルに語ったばかりの『将来を誓い合った男』……そのものではないか。
彼はリセと目を合わせた途端、こちらへと迷いなく歩いてくる。
(うそ、うそ……)
近付いてくると分かった。彼の顔には面影が残っている。
十年前の、あの少年の泣きボクロ。
「リセ」
男はリセの目の前に立つと、彼女の名を呼んだ。それは明らかに馴染みの呼び方。
「クルト……」
リセを見下ろす彼は、まぎれもなく『将来を誓い合った男』だった。
まさか、また会う日がくるなんて。
リセが七歳の頃。
城では何度か、子供だらけのお茶会が開かれた。
ただ『お茶会』とは名ばかりのもの。実質は、我がエスメラルダ王国の王子と同世代の子女ばかりを集めた『婚約者選び』及び『側近候補選び』の場だったのだが。
そんなわけで、そのお茶会が穏やかであるはずが無かった。
子供といえど、そこは貴族。毎回、繰り広げられる火花散るバトル。口を開けば回りくどい蹴落とし合い。出来上がってゆく派閥。
皆、感心するほど貪欲であった。『婚約者』の座を射止めようと、『側近候補』の席を掴み取ろうと。
早々に婚約者レースから脱線してしまったリセは、暇だった。
王子の『婚約者』という立場に興味もなく、自身にその資質があるとも思わない。常に「なぜ自分はここにいるんだろう」と、ぼんやりしていた。唯一楽しみにしていたのは、城の美味しいお菓子だっただろうか……
そんな時。会場の端っこに見つけたのだ。自分と同じように、『側近候補』のレースから脱線した少年を。
赤い髪、白い肌、茶色の瞳。
ひとりぼっちの、異国から来た少年。
それがクルトだった。
風の便りで、彼は自国へ帰ったと聞いていた。だからクルトは遠く離れた『どこか』にいるはずだった。
こんなところにいるはずが無いのに。
「本当に、クルトなの?」
「ああ」
十年という月日で、クルトは別人へと変貌を遂げていた。
あんなに華奢だった身体は骨張ってスラリと高く、柔らかだった頬も、今は肉付きも少なく美しい顎へのラインを描いている。
「なんでこの国にいるの。自国へ帰ったって聞いたけど」
「リセに会いに来たのだが」
しん……と場が静まり返った。
「会いに……? わざわざ、私に?」
「また必ず会おうと、約束しただろう」
さも当たり前のように、クルトは答えた。
『将来を誓い合った男』は、本当に現れた。
フォルクローレ伯爵家へ、それはそれは突然に────