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ピラニア  作者: あの肩
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中編

 最上先輩が命を断ってから、僕は大学に行かず自室に引きこもって膝を抱える日々を送っていた。


(先輩……ごめんなさい)


 先輩はボロボロにされていた。

 言葉という凶器を用いた感想欄での集団暴行で、心をズタズタにされてしまっていた。

 先輩の感じていた痛みを、僕は最後までわかってあげられなかった。


 時折、床に放り出されたスマホがメッセージを受信して振動する。

 おそらく大学に顔を出さないことを心配した友人のものだ。

 だけど、僕はスマホに手を伸ばせなかった。

 もしかしたら画面の向こうでは今も先輩への中傷が続いているかもしれない。

 そう考えると吐き気が込み上げてしまい、とても中を見る気になれなかった。


 無力感と喪失感に打ちひしがれていたその時、部屋のドアがノックされる。


「入るぞ、隼太(はやた)


 僕の返事を待たずにドアが開かれる。

 立っていたのはポマードで整えた髪と口ひげを蓄えた大柄な男性――僕の父さんである高松(たかまつ)智徳(とものり)だった。


「と、父さん? 月末まで出張だったはずでしょ。どうして……」

「家政婦のキヨさんからお前がふさぎ込んでしまったと連絡が入ってな。この通り、飛んで帰ったぞ」


 早くに亡くなった母さんの分まで僕を男手一つで育てあげてくれた父さんは、僕がもっとも尊敬する人だ。

 現在は南米ベネズエラを拠点にペット販売会社の取締役を務めながら海外を回っている。

 ペットといっても、販売しているのは犬や猫といったポピュラーな動物ではない。


 それはずばり、()()()()()だ。


 数年前にアルマジロのブリーディングに成功した父さんは、元々勤めていた会社の同僚と一緒に世界初のアルマジロ専門ペットショップをベネズエラに開店。

 とことこ歩きが愛らしく、人に懐きやすいアルマジロは日本でも大人気となり、アルマジロブームの先駆者である父さんは一躍時の人となった。

 また、ブリーディングのノウハウはヒメマジロなど絶滅が危惧されている種の個体数回復にも大きく貢献。

 さらには麻薬ビジネスかサッカーで活躍するしか貧困を脱する方法がないと言われたベネズエラの経済回復にも大きく寄与した。

 現在ではアジア、中東にも事業を展開。

 まさに、僕の自慢の父さんだった。


「何があった、話してみなさい」


 床でふさぎこむ僕の前で膝を折る父さん。その顔には昔からちっとも変わらない穏やかな笑みが浮かんでいた。


「……悪いけど言えない。もう終わったことだから」

「隼太」

「せっかく帰ってきてくれたのに、ごめん。僕は大丈夫。……犯罪に巻き込まれたとかじゃないから、安心して」


 父さんの優しさが心に染み渡る。

 だけど、僕だってもう大学生だ。

 先輩のことは自分で区切りをつけなくちゃいけない。

 だけど父さんは離れるどころか隣に腰をおろすと、僕と同じように膝を抱えた。


「なあ隼太。お前も今年で19歳。あと1年で大人の仲間入りになる」

「な、なに急に」

「今日までよく立派に成長してくれた。私も母さんが死んだ時は不安で仕方なかったが、男ひとりでよく育てられたものだと思う」


 そう言った父さんの目は、どこか遠くへ向けられていた。


「だが私は、父としてまだやっていないことがある」

「え?」

「それは――息子の悩みをただの1度も聞いていないことだ。お前が強い子だというのは私が誰よりも知っている。だがこのままでは、父さんは父親失格になってしまう」


 ――どんなことでもいいんだ、力にならせてくれ。


 僕は目頭が熱くなるのを感じた。

 そして、初めて父さんの胸の中で泣いた。

 父さんは、やっぱり最高の父さんだった。


「ごめん……父さん、ごめん」


 僕は今までの経緯を全て打ち明けた。


 最上先輩の書く小説を見るのが好きだったこと。

 先輩が感想欄で心無い暴言を浴びせられたこと。

 その果てに、死を選んでしまったこと。


 父さんは一言一句聞き逃さず、真剣な表情で受け止めてくれた。


「僕はどうすれば良かったんだろう」


 いくら考えても答えは出ない。

 すると父は。


「その小説の感想欄を見せてもらっても構わないか?」

「う、うん」


 僕は床のスマホを拾い上げると、感想欄を見ないようにしながらどうにか表示して父さんに手渡した。


「……酷いものだ。これはネットリンチ。情報化社会が生んだ新たないじめの形態だな」

「これがいじめ? 先輩は何もしてないのに!」

「ネットリンチの対象は、大抵が実社会で不祥事のあった人間だ。だが稀に、コミュニティ内で意見を異にした人間が標的にもなることもある」


 そんな。

 先輩はただ好きで小説を書いていただけだ。

 どうしてそんなものに遭わなきゃいけないんだ。


「ネットリンチが悪質なのは、被害者の現状がわからないために嫌がらせが際限なくエスカレートすることだ。以前、コルコバードのキリスト像を見に行ったことは覚えているか?」

「えっ。うん、もちろん」


 数年前に僕と父さんはブラジルの観光名所であるリオを旅行したことがある。コルコバードの丘……と言っても僕には切り立った崖にしか見えなかったが、そこには40mもの高さを誇るイエス・キリストの像が建設されている。


「かつてイエスは罪人への制裁で沸き立つ民衆に言った。「罪のない者だけが石を投げよ」と。己を顧みた民衆は誰1人石を投げられなかった。あるいは、もし手を出せば今度は自分が裁かれる側になるのでは、と萎縮したのかもしれない。だがSNSでは、誰もが()()になり得てしまうのだ」

「聖人……?」

「見た目、人柄、性格。長所もあれば短所もあるのが人間だ。だが匿名社会はそうした個性を隠す。生まれてから何一つ落ち度のなかった自分を演じることができる。善良で正義感を持った人格者であろうとしてしまう。そして、だからこそ、過ちに対して過敏になる」


 実際には生まれてから1度も間違いをしなかった人間などいないのに、匿名というベールは人を増長させる。

 己の罪を暴かれる心配がないから道を誤ったものに平然と石を投げつけてしまえるし、時には極論を振りかざして悪を裁く正当性を主張する。


「もちろん全員がそうではない。だが、ネットリンチを行う輩は人を裁くことで腹いせやストレス発散をしているものがほとんどだ。しかも矜持がないから発言に責任も持たん。その証拠に、もう読まないと言っておきながらその後も書き込みを続けている馬鹿がおる」


 それを聞いた僕の心に、沸々と怒りが湧いてくる。


(許せない……)


 先輩は読者に楽しんでもらおうと小説を書いていた。

 それをこいつらは、下らない自己顕示欲で一方的に謗った。

 ろくでもない理由でおもしろ半分に作品とその中の登場人物を貶し、最後は先輩まで追い詰めた。

 そんな外道が今もSNSの中でのうのうと誰かを傷付けているかもしれないのだ。

 はらわたが煮えくり返る思いだった。


「父さん。僕、先輩の仇を討ちたい!」

「お前の気持ちはわかる。しかしそれは、先輩のご遺族が行うべきことではないか」

「! それは……」

「もっともSNSでの誹謗中傷に対しては侮辱罪の適用がせいぜいだ。民事で訴えることはできるが……」


 僕の頭をハンマーで殴られたような衝撃が襲う。

 先輩を散々なぶりものにしておいて、侮辱程度で済まされるなんて。

 どう見たって先輩は殺されたんだ。

 殺人罪が相当だろう!


「到底容認できない、と言った顔だな」

「……先輩を殺した殺人鬼が今ものうのうと社会生活を送っているんだよ。当たり前じゃないか」

「お前は……復讐がしたいのか」


 復讐。

 できることならこいつらを同じ目に遭わせてやりたい。

 先輩に心無い言葉を浴びせた奴ら全員を自ら命を絶ちたくなるような地獄に落としてやりたい。

 だけど。


「その気持ちが無いと言ったら嘘になる。でも、本当に大切なことは他にあるんだ。……スマホを貸して」


 僕は父さんからスマホを受け取る。

 先輩の作品を読んで、僕の心はとても暖かい気持ちになった。

 先輩はみんなに幸せになってほしかっただけなんだ。

 この感動が、もっと多くの人に伝わってほしい。

 みんなが他者を思いやれるようになってほしい。


「今もどこかで執筆をしている作家さんがいる。伝えたい想いがあって、楽しんでほしくて一生懸命になっている。そんな努力の結晶をたくさんの読者が待っているんだ!」


 無残に荒らされた感想欄を見ても、僕はもう動揺しなかった。

 むしろ心は冷静だ。


「健全な創作活動を守るためには、こいつらは生きてちゃいけない! 同じ悲劇を繰り返さないためにも、僕はネットリンチと戦う!」


 SNSが生み出した邪悪の権化。

 こいつらは人としての一線を越えた。道を踏み外した。

 罪もない人間の命を奪った非道なる者たちに、僕ははっきりと開戦の言葉を口にする。


「その覚悟、確かに受け取った。だが1度に全員は難しい。ひとまず罰を与えたいものを3人選びなさい」

「……わかってくれるの?」

「父さんも学生時代いじめにあった経験がある。どんな理由だろうといじめは許されない。ならば、いじめを止めるためならどんな手を使っても構わないというのが私の持論だ」


 それから僕が先輩に対して特にひどい荒らしを行った3人のアカウントを選ぶと、父さんはスペイン語で国際電話をかけた。


 数日後、ベネズエラから父さんの部下たちが来日する。


「よう、久しぶりだなハヤタ」

「カルロスさん! すっかり日本語が上手になったね!」

「ボスの祖国だ。嫌でも上手になっちまうさ」


 そう言って頭を撫でてくれたのは、父さんの元同僚であるカルロス・ロハスさん。

 現在は父さんの片腕としてベネズエラ本社の副社長に就任。

 同国に設立されたアルマジロ牧場をマフィアや強盗の手から守る警備主任も兼務する生粋の武闘派だ。


「話は聞いた。スラムの連中だって精神的に追い詰めて殺すなんて真似はしねえのに、とんでもねえ奴らだ。オレも全力で協力させてもらうぜ」

「ありがとう、よろしくね!」

「それでカルロスよ。悪党どもの住所は特定できたのか?」

「もちろんだ。ダークウェブでは個人情報が山のように売買されているからな。さっそく仲間たちと捕獲に向かう」


 言うが早いか、カルロスさんたちはあらかじめ用意していたワンボックスカーに乗り込み、僕らの家を出発していく。


(さあ、断罪の時間だぞ……っ)



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