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5. 山の神

 Rるーと146をひたすら進んで秩父市中心街にたどり着き、あたしはコンビニの駐車場に車を入れた。


「着いたぁ~、疲れたぁ~」


 あたしはギアをPパーキングに入れて腕をぐっと前に伸ばした。


 そのとき突然、悪寒に襲われた。体調の悪化による悪寒ではなく、物理的に車内が急に冷えたのだ。


 吐く息が白く、鼻から息を吸うと鼻の中が痛かった。鼻毛が凍っているのが判った。


 あたしは慌ててエアコンの設定温度を最大値に切り替えた。エアコンがこの車にしては珍しく大きな音を立てて稼働していた。


えっちゃん!」


 こんなことができるのは、祖母以外にありえない。やめてよ! ……と言おうとして、祖母が外の一点を怒りの形相で睨みつけていることに気が付いた。


 祖母の視線の先を追うと、人工的に作ったピラミッドのような形状の山が見えた。


「あれが……武甲山?」


「そう。つい百年前までは姿の美しい、地元の人々が見れば敬意を抱くような山だったって、想像できる? 山頂ももう少し高くて」


 よく見ると、山の北斜面は上から下まで全て削り取られてしまっていることが判った。削り取られた面は、幾何学的な、おそらく40度ぐらいに傾いた平面となっており、白い岩石がむき出しになっていた。それはもはや山というより巨大な工業製品であった。


 あたしは嗚咽おえつを抑えるために咄嗟とっさに手を口に当てたが、祖母の気持ちを考えると涙が止まらなかった。と、同時に、同じ埼玉県に18年も生きてきて、なぜこの事実を知らなかったのだろうと後悔こうかいの念に襲われた。


 セメントが秩父の主要産業の一つであることは、埼玉県民の常識として知っていた。しかしながらその材料となる石灰岩をどのように採掘しているのかについては、今の今まで知らなかった。武甲山の白い斜面がその答えであった。


 祖母の守ってきた山、武甲山は、要するにコンクリートの材料であった。あたしの家の基礎も、削り取った武甲山でできているかもしれない。全然知らなかったが、あたし自身も、祖母の山を削っている側の人間であったのだ。


「ひどい……」


 あたしはつい声を漏らしてしまった。


麻友まゆちゃん…… あ、ごめん。寒かったよね」


 車内の温度の方は、寒かった、どころではなかった。何度まで下がったかは知らないが、カーナビの液晶は壊れて画面に3本縦線が走っていたし、涙はすぐ凍ってまばたきがしずらかった。


 たぶんあたしは祖母の血を継いでいるから無事だったのだろう。普通の人間だったら凍死していたかもしれない。


 車のドアも凍り付いていて開かなかった。車内の温度が元に戻っても、ドアが開くまでは少々待たねばならなかった。


「ここで何か飲み物を買ってから、あの山に登ろう。あたし、買って来るけど、えっちゃん何がいい?」


 あたしがそう聞きながら車を降りようすると、祖母が全然別の質問をしてきた。


麻友まゆちゃん、光の無い山の中で道、見える?」


 と、聞くということは、祖母は……見えるんだろうな。やっぱり。


「ううん」


「じゃあ、今から山に入るのは無理じゃない」


 祖母がまた逃げを打ってきたと思ったので、あたしは一生懸命なるべく怒って見える筈の表情を作り、祖母を睨みつけた。


「大丈夫、もう逃げないから。麻友まゆちゃん怖いし」


 “怖い”の所で祖母がクスッと笑った。やっぱり祖母には笑顔が似合う。


「でも麻友まゆちゃんに夜の山登りは危ないから、今日はこの辺りに泊まって明日登ろ」


 確かに祖母の言う通り、もう日が暮れかけており、普通の人間にとってはこれから山に入ろうという時刻ではなかった。


 ***


 衣料品店で祖母の最小限の着替えを買い(さすがにミニスカで登山はちょっと。あたしは祖母の家に泊まる予定で用意してきた着替えがたまたまパンツルックだったけど)、宿を探したら夕食まで少し時間ができた。


 あたしたちは街の中心にある大きな神社を参拝することにした。この神社も元々、武甲山を祭る民間信仰の一部をなす施設であったらしい。境内を歩いていると地元の人がこの神社を大切に管理していることが伝わってきた。祖母が愛おしそうに玉垣を撫でていたのが印象的だった。


 参拝の後、祖母が境内のトイレに行くというのでその傍で立って待っていると、同じよう連れを待っているらしい初老の男性と目が合った。


「観光ですか?」


 男性が声をかけてきた。


「はい。川越の方から来ました」


 うそは言ってない。ただちょっと山梨を経由しただけだ。


「おじさんも観光ですか?」


「いえ、私はこの神社の氏子で、参拝は日課なんですよ」


「そうなんですか、立派な神社ですね。お掃除も行き届いていて」


「ありがとう。実は掃除が丁寧なのは理由があってね……あ、この話はまずいか」


「えー、何ですかぁ? 気になるじゃないですか」


「あ、いや……どうしよう。この話はあまり広めないと約束してもらえるなら……」


「はいっ。もちろんです」


 調子いいな、あたし。しかもぶりっこ。自分じゃなきゃ殴ってる所だ。


「実は近年、秩父では自然災害や動物の被害が増えててね、高齢者を中心に、神様が怒っているんじゃないかって話がしきりに沸いてたんだ」


「……」


「ところでこの神社は元々、武甲山を祭る神社だったっことは知ってるかな? この辺りの地域は元々は武甲山を鎮守様として信仰していたんだ」


「そうなんですか? 武甲山ってあの、中からロボットが出てきそうなカッコいい山ですよね」


 知らないふりをする為とはいえ、何言ってんのあたし、という感じ。殴りたい。


「あの山はね、昔はあんな姿じゃなかったんだよ。ところが良質な石灰岩が埋まっていたばっかりにどんどん削られて……特に40年前、山頂を爆破した時はひどかった。あの時はいっぺんに山の姿が変わってしまった。


 丁度その頃から急に災害が増えだしたものだから、きっとこれは武甲山の神の怒りだって話がいっぺんにひろまった」


「……」


「ところが数年前、新たにこの神社に赴任されてきた宮司さんが逆のことを言い出した。この神社は神の存在が感じられないっていうんだよ。


 彼が言うには、彼が前いた神社は祝詞のりとをあげると神様が答えてくれる感触があった、ところがこの神社ではその感触が希薄なんだそうだ。


 彼の想像では、40年前の武甲山山頂爆破に怒った神様が我々を見捨ててどこかへ行ってしまったんじゃないか、神様が我々を守ってくれなくなったから災害が増えたんじゃないかって話だ」


 世の中にはすごい神職がいるものだ。でも彼(彼女かな?)の優秀さは、残念ながら誰にも判らないのだろう。


「ええと、この神社や武甲山は今、神様がお留守なんですか?」


 もう少し、何も知らないふりを続けてみることにした。


「まあ本当の所は誰も判らないんだが、氏子会ではとにかく今の宮司さんの言うことを信じてみることにしたんだ。


 そこで先ず始めたのが、神社の徹底的な掃除だ。この神社や武甲山山頂の神社を毎日丁寧に掃除することによって、我々秩父の人間が武甲山を大切に思っている気持ちを表し、なんとかして神様に帰ってきてもらおうとしている。


 お嬢さんのような若い人にその掃除をめてもらえたのがうれしくてね、つい余計な話をしてしまった」


 神について嬉しそうに語るその男性を見ていると、ついつまらないイタズラ心が沸き上がってきてしまった。


「その神様、あたしが連れ戻してきましょうか?」


 あたしがそう言うと、男性は始めキョトンとしていたが、途端に破顔一笑した。


「そうかぁ。それは是非お願いしたいなぁ」


 男性は、明らかにあたしが冗談で言っていると思っているようであった。


「全く元通りというのは難しいと思いますけど、今後、時々神様を里帰りさせる程度ならできると思いますよ」


 あたしがそう言うと、男性は急に真顔になった。


「君ね、私なんかは神様を半分しか信じてない不信心な人間だけど、中には真剣に信仰している人も居るんだよ。神様を冗談のネタにするのはその人達に対する侮辱ぶじょくになりかねないから、あまりやらない方がいいよ」


「まずは明日、神様を武甲山の方に連れて行きますので、明日の朝拝(ちょうはい)の後、宮司さんに伺ってみてください。たぶん祝詞のりとの際、感触が違ったとおっしゃると思いますよ」


 そう言って笑顔を作ると、その男性は顔色を失い、固まってしまった。


「………」


 言葉も出なくなってしまった模様。やりすぎました。ごめんなさい。


 と、その時、トイレから男性と同じような世代の女性が出てきた。彼女はあたしたちに気が付くとすごい速度で駆け寄ってきて、男性の耳を引っ張った。


「うわ、痛! 痛!」


「あんた何やってんの! 綺麗な若い子を見ると見境いが無くなるんだから」


「違う! 違う! 違う!」


「何が違うの! こちらのお嬢さん、困ってたじゃない!」


 あたしが戸惑っているのはどちらかといえば奥様の勢いの方で……。


「まてまて! 聞いてくれ」


「ごめんなさいね、じじいに急に話しかけられて怖かったでしょ。ちゃんと叱りつけとくから、秩父を嫌いにならないでね」


 女性はあたしにそう言うと、男性をそのまま引っ張って行ってしまった。


「あんた、いくつになったらその漁色癖、治んのよ。来年は総代でしょ、しっかりしなさい」


「ごめん、ごめん……」


 あたしが男性を擁護ようごする隙は全く無かった。


 その女性のすぐ後にトイレから出てきた祖母は、茫然とこちらを見ていた。


「何があったの?」


 あたしの傍まで戻ってきて、祖母が聞いた。


「あたし、あのおじさんにナンパされちゃった」


 あたしがそう言うと、祖母はため息をついた。


「伸ちゃん、全然成長してないな。彼、昔から女好きというか……リーダータイプで良い人なんだけどね。懐かしいな。でも、今会っても向こうは私のこと判らないんだろうな」


「ごめんなさい、ナンパはウソです。本当はちょっと話しかけられただけなんだけど、奥様……かな? 奥様らしい女性が勘違いしてキレちゃって……あたしも訂正しようと思ったんだけど、口を挟ませてもらえなくて……」


「気にしなくていいよ。あの二人は昔からあんな感じだから」


 そう言った祖母は、どこかいい顔をしていた。少し落ちついたかな、うん。


「で、その“伸ちゃん”って人が言ってたんだけど、この街の人達はなんとなくえっちゃんの不在に気が付いていて、えっちゃんが帰ってきてくれるよう、一生懸命神社の掃除をしてるんだって」


「なるほどね」


 祖母は既にうっすらと気が付いていたようであった。


「ねえ、今日みたいに時々この街に戻ってきて、パートタイムで神様やるってどう? 毎回あたしが車で送るから」


 あたしが提案すると、祖母は驚いた顔であたしを見た。


「人生っていっくらでもやり直せるし、やり直していい、ただ、やり直す場合、そのスタート地点は今立っている“ここ”じゃなきゃいけないんじゃないかな。


 過去にやっちゃったことはもう事実として消えないし、自分の過去は自分で責任を取らなきゃいけないから」


 うわぁ、あたし、人生の大先輩に何、人生論タレてんだろ。


 しゃべっていて恥ずかしかったが、祖母はあたしの話を真剣に聞いてくれていた。


 あたしが語り終えると、祖母は優しい笑顔で答えた。


「ありがとう。じゃあ麻友まゆちゃんの好意に、もう少し甘えちゃおうかな。でも今の言葉、麻友まゆちゃん自身も耳が痛かったんじゃない?」


 ……ううっ、言われてみれば……。 帰ったらお母さんと予備校の相談をしよう。

    


~~~ あとがき、武甲山について ~~~


 伊能忠敬は海岸沿いに距離を測って、方位を測って、距離を測って、方位を測って、距離を測って……という作業をひたすら繰り返し、根性で日本地図を作りました。しかしながらこの方法では距離が長くなればなるほど誤差が蓄積し、地図の歪みが大きくなってしまいます。


 そこで伊能はこの誤差を少しでも小さくするため、日本中の山の中から代表的なものをいくつか選び、複数地点からこれらの山が見える方位を計測しました。このため、伊能地図を良く見ると、日本中の幾つかの山から放射状に赤い線が何本も延びています。


 基準とする山としては、具体的には、富士山や筑波山、日光の男体山など、現在でも誰でもが知っているいわゆる名峰が選ばれています。その中で埼玉県からは唯一、武甲山が基準の山として選ばれています。


 このことからも、武甲山は少なくとも江戸時代は関東を代表する山の一つであったことが判ります。


 その名峰を削ってしまうことで現代の日本が成り立っているのだという話は、本来は武甲山を信仰の対象としている秩父出身の作家にしか書くことが許されないネタだと思っています。ただ今回は、誰もまだ書いていないようだし、所詮しょせんこちとら素人だし、一応埼玉県民だし……等々いろいろと自分に言い訳けをしてこのネタを使っちゃいました。


 いつか、岡田麿里さん辺りの秩父出身で一流の作家さんが、武甲山の歴史を題材としたちゃんとしたお話を書いてくれることを期待しています。

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