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3. 助手席の化け物

 帰り道は運転しながらも、少し会話をする余裕がでてきた。


「この後は、行きつけのワイナリーに寄ってからスーパーで夕食の食材を買って帰ろ。……麻友まゆちゃん、飲める?」


 祖母はグラスを傾ける仕草をした。


「未成年に何を聞いてるのかな、お姉さん」


「あんた、あの酒豪しゅごう修一郎しゅういちろうさんとしのぶの娘でしょ。問題ないって。ワインに合うお料理作るから、今夜は飲み明かそうね」


「悪い大人だ。……えっちゃんって、本当はいくつなの?」


「法律上は65歳」


「で、本当は?」


「判んない。千年は生きてる」


「お爺ちゃんと出会うまでは何してたの?」


「神様……かな?」


「はぁ!? ……あ、ごめんなさい」


「そうね。麻友まゆちゃんその口癖だけは直した方がいいかな。私にはかまわないけど」


「……で、今は神様じゃないの?」


「うん。……その話は、少しアルコールが回ってからでいいかな」


「神様の能力を持った神様じゃない人だから、化け物?」


「うん。そう言うしかないでしょ」


「何で神様止めちゃったの?」


麻友まゆちゃん私の話、聞いてる? シラフじゃキツいんだけど」


 車が信号に止められたので、あたしは祖母の方に振り向いた。


「今、聞きたい。答え次第によっては、えっちゃんを駅まで送ってあたしは帰る」


 何でこんな意地悪を言ったんだろ。自分でも良く判らない。ただ、あたしの勘が、今答えを聞かなければいけない、と言っていた。


 祖母は怒ったようにあたしを見つめていた。負けるもんか、と、あたしも祖母を見つめ返した。


 信号は青に変わっていた。が、後続車がいなかったので、あたしは車を動かさず、祖母から視線を外さなかった。


 信号が2度めに青に変わった時、祖母はあたしから視線を外してため息をついた。


「良太そっくり」


 良太はあたしの祖父……えっちゃんの夫だった人の名前だ。


麻友まゆちゃんの勝ち。全部話すから、車、動かしてもらっていい?」


「ワイナリーの名前は?」


 あたしはカーナビのスイッチを押しながら聞いた。


「丸藤ワイナリー」


 祖母の声を聴いたカーナビが、ルートを検索した。


「左折します」


 カーナビがそう言ったので、あたしは信号が黄色に変わる寸前に、車を左方向に発進させた。


 ナビをする必要が無くなり、祖母はしばらく黙って考えていたが、やがてつぶやくように話を始めた。


「守るべきものが無くなっちゃったから……」


 ***


 多数のダイナマイトによる爆発音が山中に響いた。採掘の効率化の為、山の側面を先ず爆破により崩す工法は既に標準手順となっていた。


 ほんの数十年前まで緑に覆われていた斜面は、何度も繰り返される爆破により、今では見る影もないはげ山に変貌していた。


 爆破結果を確認するために現場に集まってきた作業者達は不思議な光景を目撃することになった。爆破により散らばっていた岩石の破片が突然ふわりと浮き上がったかと思うと猛烈に水平方向への加速を始め、自分達に襲い掛かってきたのだ。


 装置の後片づけをしていた男と男の同僚が、悲鳴を聞きつけて慌てて爆破現場に駆けつけると、そこには大勢の作業仲間の死体が転がり、傍には現場には場違いの若い女性が立っていた。


 女性は静かに男の同僚に歩み寄ると、同僚を指さした。同僚は突然胸を押さえて苦悶の表情を浮かべ、その場に倒れ込んだ。


「お前、何者だ?」


 男は混乱していた。この可憐かれんな女性が、この大量殺人を一瞬にしてなしとげたのか?


「私はこの山をずっと守ってきた者。この山は麓の集落の人々にとって大切な山。この山を壊す者は誰であろうと許さない」


 女はそう答えた。


 僕の目の前にいるこの女性は、この山の神なのでは……。


 男の脳裏にそんな考えがひらめいた。


 にわかには信じがたかったが、そう考えるしかなかった。


 この山は、古来より男の住む秩父にとって神の山、鎮守様であった。自分達は今、その山を破壊しているのだ。神の怒りに触れても不思議ではない。と、すると……


「すまない。君はずっと僕たちの為に一人で戦ってきたんだね」


 いつの間にか、男は泣いていた。


「僕はおとなしく君に殺されよう。でもこの山を壊す動きは今後もまらない。この山は、現代文明、新しい日本を作るのにどうしても必要なんだ。納得はできないだろうが、どうか僕たち秩父の人間が、この神の山を壊してしまうことを許して欲しい」


「うそだ! お前たち山を壊しているやつらが秩父の人間だというのか?」


「ああ、そうだが……」


 女が急にうろたえたことに、男は驚いた。


「それじゃいったい私は、今まで何を守ってきたのか……」


 女は動かなくなってしまった。男は逃げるため、すこしずつ後ずさりを始めたが、女に男を追う気配は無かった。


 女に背中を向けて駆け出す直前、男は女に声をかけた。


「神様に同情するなど人間にはおこがましい行為かもしれないが、僕は君に対する同情を禁じ得ない。僕はつまらない一介の人間に過ぎないが、できる限り君の力になりたい。こんな僕でも何か役に立ちそうだったら、遠慮なく呼び出して欲しい」


 ***


 祖母は淡々とした口調で話を続けた。まるで自分とは関係のない歴史上の出来事を語るみたいに。


「女は山の神だった。山の麓の集落、秩父の人々はその山を神の山、鎮守様として仰いでいた。だから女は秩父の鎮守の神であった。女は秩父と秩父の人々を守る為に、山の破壊者を排除していた……つもりだった。


 その日を境に、女は山を崩されることに対する抵抗を止めた。


 その後、人々が山を破壊する勢いはどんどん加速し、ついに山の山頂までもを爆破した時に女は、秩父の人々にとってこの山はもう信仰の対象ではなく、単なる文明の素材の山積みに過ぎなくなってしまったことを悟り、山を降りた」


「行く当ての無かった女は、ある男を頼った。昔『君の力になりたい』と言っていた男だ」


「男は、自分の仲間を大量虐殺した女を受け入れることを当初躊躇ちゅうちょしたが、自分の言葉に責任を取るため女を自分の家に受け入れた。又、人間社会に居場所を作る為、女を山で行き倒れていた記憶喪失の娘として裁判を起こし、女の戸籍を作成した」


「男の両親は秩父で和菓子屋を営んでいた。女はいつの間にかそこの看板娘のような位置に収まっていた。男の両親は女に優しかったが、街の人々はどこの馬の骨とも判らないよそ者を受け入れなかった」


「しかし女にとってそれ以上につらかったのは、男の家から女の山……いや、元女の山と言うべきか、それがあまりにもくっきりと見えたことだった。日々形が変わっていく山の姿を見ていると、心臓に釘を打ち込まれるようだった」


「ある日女は耐えられなくなり、男にこれまでの礼と男の家を出ることを告げた。今後はどこか、あの山が見えない所で生きていきたい、と」


「すると驚いたことに、男が僕も一緒に行くと言い出した……もういいかな。だいたい話しのオチは判るよね。自分のお爺ちゃんとお婆ちゃんのラブストーリーなんて、恥ずかしくて聞きたくないでしょ」


 運転しながらちらっと見ると、祖母からは表情が消え、すっかり蒼白になっていた。当人の心情を十分に理解するにはあたしには経験が不足していたが、かなりキツい告白であったことは想像がついた。


「話してくれてありがとう」


 それしか言いようが無かった。


「あえて蛇足を加えると、こんな感じかな……その女は自分の夫の死期が迫った時、いつかは話さねばならないと思っていた真実を娘に伝えました。ところが娘は真実を受け入れられなかったのか、女のもとにぱったり来なくなってしまいました。


 女が悲しんでいると、ある日、娘の子供、すなわち孫が女を訪ねて来ました。孫は、死んだ夫に似て、優しくて強い子でした。女は今、幸せです。だから孫に『帰る』と脅されると、何でも言うことをきいてしまいます」


「うっ、恥ずっ」


「ごろにゃん」


 祖母はあたしの左肩に頭をスリスリこすりつけてきた。お風呂あがりのいい匂い……いやいや、あたしをからかうつもりだろうが、自爆だよえっちゃん。


「おじいちゃんにもこんなことしてたんだ」


 あたしがそう言うと、祖母はさっと頭を離した。


「ま、まあ……ね」


 あ、そこ、否定しないんだ。 


 甲府へ越してからの祖父と祖母のあま~い新婚生活が容易に想像できた。


えっちゃんの大切なその山の名前は何て言うの?」


「武甲山」


 あたしはカーナビにタッチし、


「武甲山」


 と、言ってみた。


 予想通り、武甲山は秩父市中心街に隣接する山だった。


 そして驚いたことに、ここから武甲山へ行くには高速道路を使うより山を越えた方が早かった。埼玉県から見て山梨県は東京都の向こう側かと思っていたが、なんと埼玉と山梨は隣の県だった。


「ここから2時間で行けるって。武甲山。まだ2時だし行ってみていい? あたしたちの原点」


 あたしのこの提案に対する祖母の回答は意外なものだった、


「ごめんね麻友まゆちゃん。私はもう一生……私の寿命があと何年あるのかは判らないけど、生きている限りはあの山が見える所に行かないって決めてるの。今度別の機会に行ってみて」


 え? あれ?


「あれ? えっちゃん、もしかしてこっちに来てから一回も秩父に帰ってない?」


「うん」


「お母さんが生まれる前からだから……もう40年ぐらいになるけど、一度も?」


「うん」


 祖母が少しづつ不機嫌になっていくのが声のトーンで判った。


えっちゃん、それって“逃げ”じゃない?」


「私は千年以上、逃げずに自分の運命と戦ってきた。その間私はずっと一人、当時は何も感じなかったけど、今思えば可哀そうな存在だった。ところが自分の使命から逃げたここ何十年かは私は幸せだった。こんな可愛い孫もできたしね。


 “逃げ”が間違えである場合も当然あると思うけど、私の場合は逃げて正解だったと思ってる。ダメかな?」


「ええと……ちなみに神様が山を降りた場合、その山はどうなっちゃうの?」


「住む人が居なくなった家って、あっという間に朽ち果てちゃうでしょ。たぶんあんな感じじゃないかな」


「いいの? えっちゃんが千年以上守り続けた大切な山なんでしょ」


「言ったでしょ、あの山はもう誰にも想われてなんだって。一生懸命守ったって、誰も喜ばないんだって」

 

 祖母の口調が少しづつ乱暴になってきた。


「本当に? だって秩父の人達が伝統的に、ずっと信仰してきた山なんでしょ? そんな簡単に信仰って消えるのかな?」


「秩父に行ったこともない麻友まゆちゃんに何が判るの?」


「あたしだって長瀞ながとろぐらいなら行ったことあるもん」


 あたしは車を道路の脇に止め、スマホを取り出した。急いで武甲山にまつわる信仰の話を探した。


「ねええっちゃん、あの超有名な、日本三大曳山祭の一つでもある秩父の夜祭りって、武甲山に捧げるお祭りだってネットに書いてあるよ。武甲山信仰、全然衰えてないじゃん。その神様がこんな所で油を売ってていいの?」


「やめて!」


 祖母は両手て耳をふさぎ、下を向いてしまった。鼻水をすする音が聞こえる。


「秩父、行くね」


 わたしがギアをDドライブに入れると、祖母はシートベルトを外し、助手席のドアノブに手をかけた。


「やめてって言ってるでしょ」


「降りてもいいけど、今降りたらあたしはもう二度とえっちゃんとは会わないからね」


 あたしがそう言うと、祖母はドアノブから手を離した。


「良太ですら、泣けば許してくれたのに……」


 祖母は両手に顔を埋め、泣いていた。千年以上生きている化け物が、まるで幼い少女のようであった。


 あたしはこの化け物を抱きしめたい気持ちをぐっと抑え、黙って車を山の方へ発進させた。

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