1. 市民会館のパフェ
「麻友ちゃん?」
市民会館の喫茶スペースでフルーツ山盛りのパフェを食べていると、色白で髪の長い、ダボダボのネルシャツにミニスカート、カラフルなスニーカーを履いた、綺麗な女性に声をかけられた。
歳のころは……あたしよりたぶんちょっと年上で20歳ぐらい? いや、落ち着いた物腰しから類推して22、3といった所だろうか。服のセンスといい、軽い自然な化粧といい、明らかにあたしとは違う華やかな世界の住人であった。
誰だろう? あたしの名前を知っているということは、昔の友達? でもあたしの友達は昔からみんな揃いも揃って地味で……類は友を呼ぶっつうか。
ちなみにあたしはここで祖母と待ち合わせをしている。
駅で待ち合わせ、と言いながら、何故祖母が駅からちょっと離れた市民会館を待ち合わせ場所に指定してきたのか不思議に思っていたのだが、現地に着いてみて理由が分かった。山梨市駅は駅前に喫茶店というものが無く、駅から歩いて3分程度のこの市民会館が最も駅に近い喫茶店だったのだ。
しかもこのお店のパフェは豪華で美味しい。聞けば、このお店は「ゆるキャン△」でも登場したことがあるらしい。……おっと話が脱線した。
「ええと……」
あたしは女性に返すべきセリフが咄嗟に思い浮かばなかった。“誰だっけ?”じゃあまりに失礼だ。せめて丁寧語にするか? “どちら様でしょうか?”……うーん。なんか、あんたなんか知らないよ、と突き放してるみたいで感じ悪い。
「麻友ちゃん……じゃない……と」
あたしが返答に悩んでいると、女性の顔から笑顔が消え、バツの悪そうな表情になった。
「ごめんなさいね。あなたが知り合いの子に似てたもので、間違えちゃった」
「いえ、あたしは麻友ですが、失礼ですがどなたでしょうか?」
女性が後ずさりを始めたので、あたしは慌てて言った。
「やっぱり麻友ちゃんだった? 久しぶり~。しばらく見ない間にすっかりレディになっちゃってびっくり」
とたんに弾けるような笑顔になり、女性はあたしの後ろに回り込んで椅子ごとあたしに抱き着いた。高そうな香水の香りがした。
「あの……」
「忍の若い頃にそっくりだったから、ぜったい麻友ちゃんだと思った」
「その……」
「覚えてないか。久しぶりだもんね。私、悦です」
女性があたしの耳元でささやいた。
「ええ~~っ!」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、他のお客さんが振り返ったのに気が付いてあたしは慌てて自分の口を押えた。悦って……あたしが待ち合わせをしている祖母の名前じゃない。
祖母……母の母は、60歳を過ぎている筈である。ところが目の前にいる女性は、髪のつやといい、肌の張りといい、どう見ても20歳前後にしか見えない。
「おばあ……ちゃん?」
あたしは他のお客さんに聞こえないよう、小さめの声で訪ねた。
「改めて言われると若干の抵抗があるけど、麻友ちゃんから見ると私、お婆ちゃんか。孫よ、会いたかったぞよ。今日は山梨まで来てくれてありがと」
「……」
心底驚くと人は言葉が出なくなるのだということを、あたしはこの時初めて実感した。
「このお店、美味しいでしょ」
あたしを抱きしめていた手を離すと、その女性……祖母が言った。
「はい…」
「麻友ちゃん、もうお昼、食べた?」
「いいえ、まだですけど……」
「じゃ、カレー食べようよ」
そう言うと、祖母はカウンターに料理を注文に行ってしまった。まだですけど、パフェでお腹いっぱいです、と言うヒマは与えてもらえなかった。
ええと……そもそもなんであたしが祖母を訪ねたかというと……。
昨日、あたしは最後の希望にして第一志望の大学に落ちた。
いわゆるすべり止め校は受けず、どこかには受かるだろうと第一志望と同格程度の数校しか受けなかったのが失敗だった。まさか全部落ちるとは……結局合格できたのは、受験の練習で受けてみた入学する気のない学校だけ。
親は浪人してもいいよ、と言ってくれているが、女子で浪人はつらい。かと言ってあまりレベルの低い大学に通うのもイヤだった。
この気持ちは経験した人じゃないとなかなか判ってもらえないかもしれない。あたし自身、実際に受験に落ちるまで、自分がこんなに落ち込むとは思ってなかった。
なんと言うか……今までは子供だから、と、大人が安全な道を用意してくれていたのに、気が付けば足元の道が消えて無くなっており、後には深くて暗い穴しか見えない感じ。
今はとにかく誰かに会いたかった。会って無駄話がしたかった。……しかし、友達はみんな、あたしの第一希望かそれより上の学校に合格しており、きっと慰めてはくれるだろうが、今、彼女達に会ってもかえって辛くなることは目に見えていた。
そんな時、ふと、もう何年も会っていない祖母のことを思い出した。
小さい頃はよく家族で甲府の母の実家に遊びに行ったものだが、祖父が他界してからは何故かぱったりと行かなくなり、ここ15年ほどはメールやLINE、しかもほぼテキストのみでやり取りをするだけの関係になっていた。
折も折、たまたまタイミングよく届いた
<今日は庭の梅にメジロが遊びに来ています>
という祖母のコメントに、
<あたしも遊びに行っていい?>
と、返してみると、
<大歓迎! 来て、来て>
と、直ぐに返信があった。
いつもは何故かあたしが祖母に会うことに猛反対する母も、あたしの落ち込みっぷりに手を焼いたか、今回ばかりは反対しなかった。
***
カレーが2人前席に配膳されたが、祖母は自分の皿にはあまり手を付けず、矢継ぎ早にあたしに話しかけてきた。
この店は元々フルーツ公園に出店していたからフルーツのアレンジが得意なんだ、とか、この辺りは干し柿も有名で、干し柿を巻いたお菓子が美味しいんだ、とか……。
ちなみにカレーはフルーツを混ぜ込んだフルーツカレーであった。
「ね、ね、フルーツとカレーって合うでしょ」
「うん。美味しい」
たしかに、果物の甘味とカレーのスパイス香はお互いを高め合う。お腹いっぱいだった筈なのに、いくらでも食べれてしまう。まずい、太るぞ。
……いや、その前に確認しなきゃなんないことがあるだろ、あたし。
「あの……本当におばあちゃんなの?」
あたしがそう聞くと、祖母は黙ってカバンからタブレットを取り出した。床の荷物置きに手を伸ばす際、長いストレートヘアを抑える自然な動作が、長い期間彼女がこの髪型を続けていることを示していた。
祖母は何度かスクロールした後、一枚の写真をあたしに示した。
「納得した?」
そこには若くてまだ太っていない母と幼いあたし、そして今、目の前にいる女性が3人で楽しそうに笑っていた。祖母だけが昔の写真と姿形が変わっていなかった。
写真の中の母は、どこか祖母と雰囲気が似ており、祖母の姉のように見えた。
写真を見ていてだんだんと記憶がよみがえってきた。小さな頃のあたしはこの美しい祖母と自分が血縁者であることが誇らしく、自慢であった。さらには“おばあちゃん”とはそういうもの、若くて美しいものだとなんとなく思っていた。
「悦ちゃん?」
無意識に言葉が出てきた。そういえば幼いあたしは、祖母をそう呼んでいたような気がする。
「麻友ちゃんにそう呼ばれるの、懐かしいな」
祖母は再び、純朴な満面の笑みを浮かべた。
「できればずっとそっちで呼んでもらっていい? 立場上仕方ないとはいえ、やっぱり『おばあちゃん』って呼ばれるのはヤダから。それに麻友ちゃんだって私のこと『おばあちゃん』って呼びにくいでしょ」
"呼びにくいでしょ"の所で祖母はイタズラっぽくあたしを睨んだ。Yesと言え、ということだろう。はいはい。
「悦ちゃん」
「はい」
祖母は嬉しそうに右手を挙げてあたしの呼びかけに答えた。
「悦ちゃんは何で歳をとらないの?」
「麻友ちゃんって、見た目は少女少女していて可愛いのに、結構性格は男っぽいね。さっきから質問がド直球」
「あ、ごめんなさい。もし話したくなければ今の質問は無しで」
「ううん、大丈夫。ただ忍が育てた割には、しっかりとしたいい子に育ったな、と思ってね」
忍はあたしの母の名前だ。
「私ね、化け物なの」
祖母は何でもないことを話すようにさらっと突拍子もないことを言ってのけた。
「はぁ!?」
年長者に対して失礼な言い方だとは思ったが、声を出さずにはいられなかった。
祖母は水の入ったコップを手に取ると、水面付近にフッと息を吹き付けた。その瞬間、コップが霜で覆われた。
祖母がコップをテーブルに戻したので覗き込むと、水の表面が凍っていた。
「ね?」
祖母は小首を傾げた。長い髪がさらりと揺れ、少し寂しそうな笑顔と相まって妖艶さを醸し出していた。