振り子の行先
玉座の間。
通されたのは一目でそれだと分かった。
広い空間、脇には様々な魔族らしき生き物が跪き、一番奥に古びた玉座が置かれている。
私を案内した後、シュウはそこに腰掛けた。
「すまんな、俺は客間でもよかっち言うたばってん、こいつらがここに連れて来いっち聞かんかったけん」
「当たり前ですよシュウ殿。こんな得体の知れない人間を、貴方と二人で話をさせるなど危険です」
「連れて来る時にもう話しとるし、俺も元人間ばってん」
「ぐっ…… それは軽々に転移できるのが貴方だけだからです! 本来は連れてくるのも我らで行うべきだったのに」
「出来んことを言ってもしょうがなかが」
けらけら笑うシュウと、苦い顔で言いくるめられている若い男。
だけど男の頭には角、背中には蝙蝠の様な羽、手足も人間のそれよりはるかに強靭そうだ。
まるで以前ゲームで見た、ドラゴンの手足が人間に付いている様な。
「おう紹介する。こいつはレオニール、何も出来ん俺に変わって城の奴らをまとめてくれとる」
「紹介に与ったレオニールだ。貴様の様な人間を招くのはいささか複雑な気分だが、他ならぬシュウ殿が望まれたことだ。歓迎しよう」
「は、はい……」
「だが自分の立場を弁えることだ。失礼な振舞いをしたならば、ここにいる全ての魔族が貴様に襲い掛かると思え」
「やめんかやめんか。それに機嫌を損ねて皆殺しにされるのは俺らの方じゃ、なあ真白よ?」
「い、いや、そんなことしませんけど……」
やっぱりこの魔王、そして恐らくここにいる全員が、私の力を理解している。
「さて、ぬしへの話だが、簡単に言えば味方になって欲しかったい。仲間じゃなく味方に」
「仲間じゃなくて味方? それはどういうことですか?」
「俺は今、目指しとるモノがある。それを成す為に味方でいて欲しかったかい。ぬしも魔族の仲間になるのは嫌じゃろ? でも俺達からするとぬしの力が怖くてたまらん。だから味方になって欲しい。そういうことたい」
「まさか、世界征服とか言い出すんじゃ……」
「ハッハッハ!! そんな第六天や太閤みたいなことは言わん。ただ一人、そいつの首が欲しい」
「『カロン』の首じゃ」
俺には何も無かった。
家柄も金も剣の才も。
だから戦場の死体から物を剥ぎ、日々を食い繋いどった。
拾った武具に刻まれていた『秀』の文字、それが俺の名前やった。
こんな生き方をしとってまともな死に方が出来るとも、天国へ行けるとも思っちゃおらんかったが、まさか二回目の人生を送れるとは思わんかった。
「アンタが生前望んでも届かなかった、焦がれても手にできなかったモノを一つ、第二の人生のお祝いに贈ろうじゃないか」
男のその言葉に、俺は剣の才を望んだ。
同じ時代に生まれ、眩しくて見えない程の生き方をした奴らがおった。
俺はその生き方が、羨ましくて仕方が無かった。
初めは奴の言葉を信用しとらんかったが、襲われた野盗だの獣を相手に斬った時に実感した。
俺は誰よりも強くなれると。
敵の動きが勘で読めたし、太刀筋も紙一重で見えた。
何より嬉しかったのは、その感覚は戦うほどに磨かれ、振る刀が鋭く速く重くなったことじゃ。
自分がまだまだ強くなれる、その感覚は本当に嬉しかった。
人間も獣も相手にならん様になって魔族を斬り始めてしばらく経って、気付けば俺の周りには家臣みたいに付き従う奴らが増えとった。
そんな奴らが数えきれん程になった頃、一人のおなごが俺の元に来た。
「あんた、魔族の頭なんだろう? ウチと勝負しねえか」
いきなり城に乗り込んでそんなことを言い出した女に、俺は心底惚れ込んだ。
何度叩き込んでも折れない姿、一瞬の勝機を見逃さずに喰らいつく貪欲さ。
踏み込む度に切り結ぶ度に、伝わる力で地面が割れ石が飛び散る。
その石を足場にして飛び込んで来る程の躊躇の無さ。
勝負の始め、俺はまるで自分と斬り合ってるみたいに感じとったが、それは間違いやった。
こいつには自分に無い芯がある、それが嫌という程響いてきとった。
「俺の勝ちばい!! ぬしゃあ、強かなぁ!!!」
「だあくそっ! 負けちまった」
結果は俺の勝ちやったが、正に紙一重じゃった。
頭にかざした刀を下ろして、俺は尋ねた。
「なんでこぎゃんとこまで来て俺に勝負ば挑んだっや?」
「そんなん、皆が安心して暮らす為だよ」
聞けばこいつもあの神様に落とされてこの世界に来たらしい。
そしてこいつが居た時代は俺の生きていた戦乱の世よりも後、日ノ本と外つ国が殺し合いをしとったらしか。
男は皆兵にされ、残った子供とおなごさえも戦に引きずり出す恐ろしい時代。
このおなごは、その地獄の時代で死んだらしい。
平和を強く願いながら。
「あんたが魔族の頭だろう? ならあんたをブッ倒せば魔族に人間を襲わせない様に命令できる。そうすれば街で怯えてる奴らも平和に暮らせる、そう思ったんだよ」
このおなごも、ここに落ちる時に力を望んだらしい。
ひ弱で何も出来ず時代に食われた人生。
誰もが平和に生きることを望んだのに、それを許されんかった。
俺も思い出した。
これで最後と、そう何度も願って数えきれん人間が死んだ。
力を持っていた奴らは、頂きを目指してはおったが、皆が泰平の世を願っとった。
力には、意味があるんじゃ。
「ぬし、名はなんじゃ」
「あ? ウチはフミだ。あんたは?」
「俺は秀じゃ。なぁフミよ、俺はお前に惚れちまったわ!」
俺達が組めば勝てん奴はおらんかった。
連戦連勝、向かうところ敵無しじゃったわ。
ばってん、時間が経つと分かったことが一つあった。
俺は歳を取らんかったし、体の老いも感じんかった。
もう、人間じゃなくなっとった。
フミは歳を取って婆さんになり、あっさりと病で逝ってしもうた。
だけどあいつは最期まで平和な世の中を願っとった。
だから俺はその為に刀を振った。
男と女の戦なんて、惚れた方が負けやけんな。
だけど百年くらい経った頃、おかしいことが起きた。
人間は普通に生きていれば子を産み育て、そして死ぬ。
それが人の生き方じゃ。
じゃが、そうして巡った命が、戻ったんじゃ。
百年前に生きていた人間の世代に。
次の百年も、その次の百年も。
何度も人間は巻き戻った。
誰も、あんなに平和を望んで戦ったフミを覚えとらんかった。
「人が死ぬは道理じゃ、そうして命が回るけん。ばってんこれは飼い殺しにもならん、人間という生き物の死じゃ!!」
目の前の魔王は、泣いていた。
その場にいた私も、並んでいた魔族も、誰も口を挟めずにその叫びを見ていた。
「やけん俺はあの神を斬り捨ててこの世を廻す。俺が魔族を抑えても、それは見てくれだけの平和にしかならん。俺は、本当の泰平の世を創る!!」
「あなたは、一体いつから……」
「歳は五百を超えた辺りで数えるのは止めた。その間にも、ぬしの様に落とされる人間はおった。その全てに声は掛けられんかったばってん、ずっと俺は奴の首を取る為に動いとった」
想像も出来ない様な膨大な時間、この魔王はそのために生きていたのか。
自分を生き返らせ、世界を管理している途方もない存在を相手に。
「声と指だけで相手を殺すぬしの力は欲しい。ばってん、ぬしを放って俺達魔族を殺されても困る。やけんここで話を付けようと連れて来たんじゃ」
「……つまり私に協力しろ、ということですか?」
「おう、拒むならここで斬る」
なんとシンプルで恐ろしい答え。
刀を肩に乗せて上段に構えた姿は、周りで構えている魔族なんか比にならない程に怖い。
怖いけど、
「できません」
「そうか、何故出来ん」
「私は何も知らな過ぎる。あなたに聞いたことをそのまま信じて、あなたの言うままに力を使うのは、私の意志がそこには無い。私が決めることが無い。私がこの力をどう使うか、それは私が決めるべきなんです」
「…………」
恐怖で膝と手が震える。
でも、力を使ってここを抜け出すのは違うと、私の小さな意地が拳を握らせる。
玉座を蹴って斬り掛かる彼を見たまま、私は動かなかった。
「……なんで力ば使わん。その気になればここにいる全員殺して悠々と帰れっど」
「そんなことをしたら自分を許せなくなる」
「なんて?」
「私はこの力を使わない訳じゃないです。でもそれは胸を張って、自分の行いが正しいと言える時じゃないとダメです。そうじゃないと私は、自分が嫌いになってしまうから」
顔のすぐ横で止められた刀の冷たさが頬に伝わる。
全身の血が冷やされたみたいに怖さで動けない。
でも、私はモニカにも偉そうにこの考えを言った。
だから尚の事、恥ずかしい生き方なんて出来ない。
私に新しい生き方を見付けたあの子の為にも、自分の為にも。
何秒くらいだろうか、何時間にも感じられた。
私達は睨み合っていた。
「ふっ、負けじゃあ! こりゃ梃子でも動かん頑固者ばい!!」
「へっ?」
「ぬしのことを聞いた時はどんなに恐ろしい奴がここに落とされたかと心配になったばってん、ぬしなら大丈夫じゃ」
「なっ、シュウ殿!?」
「レオニール! 俺らの負けじゃ。こいつは自分の命より生き方を取った。昔、俺が憧れた奴らと同じばい。こんな奴、手下や味方になんて出来る訳なか!!」
刀を納めて、彼は笑った。
狼狽する魔族達を尻目に、大笑いしていた。
「ぬしを仲間にすることは無い、味方でいてくれと頼むこともやめる。ぬしはぬしの思うままに生きるたい。もしも色々とこの世を知って気が変わったならいつでも来い。期待せんで待っとる」
「……はは、そうですね」
手足に温度が戻る。
ようやく感じる生きた心地に、なんて言ったらいいだろうか。
私は安心よりも、私の言葉が伝わったことが嬉しかった。
「ほれ、ここでいいか?」
「はい、大丈夫です」
「無理矢理連れて行ってすまんかったな、ばってん必要なことやったったい」
「分かってます。私も聞かなかったことにはしませんから」
「そうか…… 出来れば次は、笑って茶でも飲みたかなぁ」
モニカと泊まっている宿の前、彼はわざわざそこに連れてきてくれた。
そして帰る時も、笑っていた。
しかし随分と遅くなってしまった。
何と言って説明しようかと考えながら部屋の扉を開けると、中で俯いていたモニカが顔を上げ、ひどく驚いた顔で私を見る。
それもそうか、連絡も出来ずに結構な時間戻れなかったし。
「うわああああ! よがっだああ!!」
「えっ!? モニカ?」
「部屋で待ってても全然戻らないし! ノーラさん家までの道を探してもいないし! 宿の人に聞いても帰ってないって言うし! どれだけ心配したと思ってるんですがああ!!」
「ああ…… ごめんね、モニカ」
一先ず、説明は後にしよう。
今はこの子に謝って、気が済むまでこのままでいよう。
「戻ったぞお! やっぱり、あのおなごは無理やったかぁ」
「お帰りなさいませ。シュウ殿、前もって引き入れるのは難しいと感じていたのですか?」
「いんや、あの力を使って好き放題しとる奴なら簡単っち思っとったばってん、あんなにマトモな人間とは思わんかっただけばい」
「と、言いますと?」
「金、名声、女、いやおなごの時は男か。どんな人間でも、それが手に入ると分かるなら自然と口はニヤける。特に自分が無い奴はそんな奴ばっかりたい。何も無いから埋めたがる、やけん餌で釣るのは簡単ばい。でもあのおなごみたいに自分の芯がある奴は何をチラつかせても動かん」
「……その気になれば手足を数本斬り飛ばして脅迫出来たのでは?」
「無理ばい!! ああいう手合いは腕だろうが足だろうが首だろうが、何を飛ばされても絶対に折れん。それにそこまでせんと味方にできんなら、俺の器はそこまでたい」
「そんな、ものですか」
「おう、お前も覚えとけ。俺らの国には、馬鹿が多か!!」
敵にならんかったなら、この交渉は最悪ではなか。
あの様子なら魔獣はともかく、魔族を力で潰されることも少なかろう。
なら今からするのは力を付けること。
あの力に頼らんでも、神に届く為に。
「レオニール、今敵対しとる魔貴族はどれだけおる?」
「ブラック、ディベリウス、アスラ、アルジャーノンの四名です。ジェスター殿は中立を宣言していらっしゃるので敵対に含めずとも良いかと」
「そうかそうか、よし、これから俺達はその四人ば倒して仲間にするぞ!!」
「は? 全てですか!?」
「おう!! 俺は神を相手に喧嘩吹っ掛くっとばい? それくらい出来んでどうするか! なに、怖い奴らは付いて来んでよか。元々俺の我儘たい」
「何を言いますか、我々はシュウ殿に負けて命を預けた身です。強き者に従うのが我らの流儀、我らは貴方の手足です」
「ははは、そら助かるばい」
何も持たんかった俺がいつの間にか兵を持ち、力を持ち、人を超えるまでに届いた。
でもまだじゃ。
闇雲に力が欲しかったあの頃に比べて、今の方が何倍も満たされとるのは皮肉なもんばい。
たとえ神を斬った結果がこの世の終わりでも、間違った世はあってはならんのじゃ。
ああ、でも。
(あのフミに似とったおなごは、消えて欲しくないもんじゃのう)
叶うなら、皆が笑って生きられる、泰平の世を迎えたい。