人は恐怖する
私はあんまり愛想が良いほうではない。
だから今とても苦労している。
「あっ、あのっ、えっと」
「大丈夫だから落ち着いて。何もしないから」
「はい! すいません、すいません……」
「う、うん。はい、深呼吸してー」
目の前の女の子に深呼吸を促して会話ができる様になるまで待つ。
彼女達の前で襲い掛かる狼を言葉だけで殺した私は、正に未知の脅威として認識されている。
出来るだけ優しく、そして落ち着かせてこの世界の情報を聞かないと。
「私この辺りに詳しくなくて、良ければ色々聞きたいんだけどいいかな?」
「は、はい。答えられることでよろしければ……」
周辺の地理、近場の大きな街、気を付けないといけない場所、危険な生物。
羽ペンでメモを取るのは初めてで書きづらいことこの上ないけど、この情報は押さえておかないと致命的だ。
幸いさっき貰った食事は私の知る洋食と大差無く、お金さえあれば生活は大丈夫そう。
そう、お金があれば。
「あの……」
「うん? どうしたの?」
「助けて頂いたお礼なんですが、これくらいでどうでしょうか」
メモをしている間に彼女はテーブルに何かを用意していた。
それは袋に入った硬貨、私でもお金だということが分かる。
「あまり大金はご用意できずにすみません」
「ああ、お金。本当に無知でごめんなさい、よければ一般的な宿代や食料品の相場も教えてもらっていい?」
「はい、一番近くの街での金額くらいしか知りませんが……」
海外に行ったことも無いから日本の相場しか知らないけど、感覚的に5万円くらいかな。
十分大金なんだけど、命を救われた金額としては少な目に見えるんだろうか。
「なるほど、色々ありがとう。ずっとここに居るのも疲れるだろうし、自分の家に戻っても大丈夫だよ」
「あっ、はい。ありがとうございます。でも、その前に少し……」
「なに?」
初めて彼女から振られた話題に答えて、後ろ姿を見送る。
申し訳なさと、少し助かったという顔。
そりゃいつ自分が殺されるか分からない相手と一緒に過ごすなんてストレス以外の何物でもない。
それをあんなに居た大人たちは、あの女の子一人に押し付けたのか。
「どこに行っても、人間ってあんまり変わらないな」
一人になった部屋で思わず愚痴が零れる。
少しだけ、疲れた。
テレビも何もない家で横になっていると、中には入らずに噂している声が聞こえてくる。
それは聞いたことの無い声だけど、聞いた覚えのあるような、そうだ。
あのいじめっ子が日向さんを遠くから見ていた時と、同じ温度なんだ。
「おい、何もされなかったのか? 相手は化けモンだぞ、何もない訳ないだろ」
「で、でも、怖かったけど、話したことは普通だったし……」
「はあ、恩人でなけりゃ問答無用で叩き出すってのに」
「お前、明日にでも上手く言って出て行かせえ」
「なんで私が!?」
「そりゃお前が一番危ないところを助けられたからだろうが」
静かな家のおかげで丸聞こえ。
仮にも助けてくれた奴がいる家の近くでこんな話をするかな。
この感覚は何度も味わったけど、それでも慣れない。
不快に悪意が肌を這いまわり、体温が下がって身震いする。
(よし、明け方に出て行こう)
明日の私の行動は決まった。
寝過ごすのが心配だったけど、こんな環境で熟睡できるほど神経が太くなかったみたい。
まだ陽も昇っていない薄暗い中、荷物をまとめて家を抜け出す。
一応、村に対して敵対心や悪い印象は持っていないことを書置きしておいた。
(こうしておかないと、あの子が何されるか分からないからね)
最悪、私への生贄にでもされそうだ。
生贄っていうのは、どうにもならない望みや叶わない願いを他者へ責任転嫁するものだと私は思っている。
命というのは、分かりやすい大きな代償だ。
だからそれを捧げるのはとても献身的に見えるけど、結果を目に出来るのは捧げなかった奴らだけ。
それは私の大嫌いな類の人間だ。
(火種が起きる前に離れよう)
幸い見張りは少なく、人目を避けるのは難しくなかった。
事前に用意していたメモを参考に、一番近くの街を目指す。
なんでも狩猟品の売買に訪れるその街は、それなりの大きさらしいが交易なんかで人の出入りが激しいらしい。
人が集まれば情報も集まるはず。
「永住するにせよ旅をするにせよ、まだまだ知らないことだらけだしなぁ」
人影が一つも無い平野の真ん中で、先への不安に私は思わず呟いた。
「あの人がいません!」
「なに!? 村のどこかにいるんじゃないのか!」
「なに慌ててんだ。向こうから出て行ってくれたなら厄介払いできて手間が省けたじゃねーか」
「馬鹿か! あの女はきっと誰でも殺せるんだぞ!? もしもこの村で何か気に入らないことでもあったらどうなると思う!!」
顔面蒼白で男達は村を駆けまわった。
そんな一人に、女の子が声を掛ける。
真白の世話をしていた女の子だ。
「あの、家にこの紙が」
「なに、こいつは……」
その書置きには挨拶も無しに出て行く事を詫びるのと同時に、お世話になった事への礼が丁寧に記されている。
そして怖かったであろう自分に一人で対応してくれた少女へのお礼と賛辞も。
「あの人、悪い人じゃなかったんじゃ……」
「人の心の中なんて分からねえよ。とりあえず、今すぐ何かされるような感じじゃなさそうだな」
「そんな人じゃないと思うんだけどな……」
少女に同意する村人は、いなかった。
誰も真白に真っ直ぐ相対しなかったからだ。
理解しようと考えるどころか、真白を見ようともしない。
(なんか、嫌だな……)
真白と話した少女だけは、村に流れる安堵と恐れの空気に嫌悪感を見せていた。
「聞きたいこと?」
「は、はい。助けてもらってこんなことを聞くのはどうかと思うんですけど、なんで私達を助けてくれたんですか? あの時、私達が襲われている間に逃げることだって出来たはずなのに」
「うーん、『なんで』かぁ。正直に言うと、自分の為かな」
「自分の、ですか?」
さして考える間もなく、その女性は答えた。
こうして話していると少し年上くらいにしか感じないけど、その先の答えは私なんかとは比べものにならない重さを感じた。
「結局、『その選択をした自分』を自分が許せるかどうか。私が誰かを助けるなんてそれしか無いの」
「自分を許せるか……」
「そう。あなた達を助ける自分と見捨てて逃げる自分、そのどちらで在りたいか。そういう感じ。そりゃ死ぬのは怖いけど、それ以上に自分に疑問を持ったり、自分を嫌いなままで生きて行くのは大嫌いなの」
彼女はそれを真顔で答えた。
死ぬことよりも優先することがあると、真っ直ぐな目で答えた。
(こんな人を怖がってた自分が情けない……)
私は半ば逃げるようにその家を後にした。
その目を真っ直ぐ見ることができなくて。
アステルム、半日歩き続けてやっと着いた街は想像よりも大きな街だった。
街をぐるりと囲む壁、絶えず誰かが出入りしている門、あの村を始めに見たからかギャップで眩暈がしそう。
しかし、今の私の頭の中は、
「宿に……!!」
休みたい、それで埋まっていた。
(まず宿を確保! そして簡単な食事! 最後に情報収集!)
棒みたいに動かない足と、疲労と空腹で起こる気持ち悪さを我慢しつつ、宿へ向かう。
あの村の子に手頃な宿を聞いておいて良かった。
ふらふらの状態で受付にもたれかかり、安めの部屋でチェックイン。
流れる様に部屋へ入り鍵を掛け、そのままベッドにダイブ。
寝不足だったこともあり、私はあっさり意識を手放した。
まさしく死んだ様に眠り、目を覚ましたのは夜。
早朝からの歩き詰めはかなり体力を使っていたみたいで、何も出来ない程に熟睡してしまった。
「……お腹空いたな。よし、ごはん食べに行こう」
この時間なら夕食時で街も賑わっているだろう。
お金は限られているが、食事をしないと頭も回らない。
例によってあの子に店を聞いておいてよかった。
「派手さは無いけど、素朴でおいしい家庭料理か…… それくらいがいいんだよね」
通りを歩きながら店を探す。
夕食と晩酌のゴールデンタイムなんだろう、あちこちから騒がしい声といい匂いがこの辺りの雰囲気の良さを表している。
目的の店はそんな通りの少し外れ、それでも店の中はたくさんの客で賑わっていた。
運ばれてくる料理は情報通りの家庭料理、オムレツに野菜のスープ。
だけど疲れた私の体には丁度いい。
「おいしい……! あぁ、こういうのがいいんだよね」
村での食事も助かったけど、やっぱり店での食事は美味しさが違う。
思わず口に出して褒めてしまった。
「あっ、いた!」
私の声に反応して誰かが声を上げる。
目を向けると、そこには村で私の世話をしたあの子がいた。
「なんであなたがこんな所に? 狩猟品の取引にでも来たの?」
「いえ、そうじゃなくて。あの村を出たんです」
「えっ!? どうして!」
「なんていうか、村の感じが嫌になって…… 私は両親を早くに亡くして細々と暮らしてたんですが、あの狩りの時も村の大人は誰も助けてくれなくて。多分、口減らしの意味もあって連れて行ったと思うんです」
「最低ね」
「おかしいと思ったんです。狩りなんてしたこと無いのに、いきなり大物が捕れるって森に連れ出すなんて。でも一番の決め手は、あなたが村を出た後なんです」
「……何かあったの?」
「あなたに助けてもらったのに、村の皆はあなたを煙たがって、だけどあなたと話す勇気もなくて…… 私も同じだったけど、あなたと話して自分はどうだろうって」
テーブルで向かう彼女は、あの時話した怯える子供とはまるで印象が違う。
「あなたに聞いた、『許せる自分』かどうか。そもそも親がいない村のお荷物扱いだったけど、そんなこと関係ない。自分が強くなれるかどうかは自分が決めることなんだって、分かったんです。だから、あの村を出ようって決めたんです」
「なるほどね…… でもなんで私のところへ? 切っ掛けだっていうのは分かったけど、なにか他に用でもあった?」
「そ、それは」
そこで私は、初めて彼女の子供らしい笑顔を見た気がする。
「あの狼と臆病な私を殺してくれたあなたと、一緒に行きたいと思ったんです」
ちょっと予想外の答えでびっくりしたけど。
「とりあえず、自己紹介しようか」
苦笑いと照れくささに頬をかきながら、私はそう提案した。
翌朝、宿から出た私達が向かったのは酒場だった。
「朝から酒場ってなんか凄いわね」
「でも簡単な仕事の斡旋もしてるので、こんな時間でも賑わうんですよ。朝から飲んでる人もいますけど」
「酔っ払いに近づいちゃダメよ、モニカ」
「はい! 真白さん」
到着した酒場は西部劇で見た様な雰囲気と内装で、初めて来たのにデジャヴを感じる。
座ってるのはガンマンじゃなくって軽装の戦士っぽい人達だけど。
「流石にこんな歳の女の子二人だと目立つわね」
「はは、まぁこんな組み合わせの戦士はいませんからね。あそこの掲示板に貼ってある紙を見て仕事を選ぶんです」
「ほうほう、えーと? 薬草の採取に獣の狩り、魔獣の討伐、賞金首の捕縛……」
出来る仕事の方が少ないが、それだと報酬が少ない。
だけどその中にある異質な一枚の依頼書を見逃さなかった。
「ん! 書物の整理で報酬が魔獣討伐並の価格…… これは来たわね」
「えっ、でも明らかに報酬が高いし、怪しくないですか?」
「場所も街の中だし、依頼者の名前も明らかになってるし、なんとかなるでしょ」
私は受付に依頼書を差し出した。
戸惑う受付や周りのざわめきを無視して、私達はその依頼を引き受けた。
現場の家に向かう道中、やたらモニカが不安そうなのが気に掛かるけど。
「ちょっと怖がり過ぎじゃない?」
「いやいや、これ道で思い出しましたけど、幽霊屋敷って噂されてる家ですよ!!」
「え、出るの?」
「実際に見た人はいないんですけど、家主の姿を何年も見てないのに家の中から物音がしたり、窓際に長い髪の女が立ってたり、そういう話に事欠かないんです……」
「世界は違っても、長い髪の女はホラーの定番なのね」
しばらく歩いて、問題の家に辿り着く。
外観はそこまで古い物じゃないし、植物が多少巻き付いてはいるけど廃墟とは思えないし、ちょっと古いくらいの印象だ。
「なんか、言う程の幽霊屋敷に見えないけど。すみませーーーーん!!」
「ひぃ! 真白さんそんないきなり!!」
ドアをノックして声を掛けるが反応がない。
再度呼びかけるが、やっぱり返事も反応もない。
「……地図の場所はここで合ってるよね。鍵空いてるし入ってみようか」
「真白さぁん!? どんだけ肝が座ってるんですか!!」
「いやぁ依頼書だってあるし、誰か人間がいるでしょ。お化けなんて……」
背中に縋りつくモニカをそのままにドアを開ける。
ギィィィという古い木造特有の不気味な音が明かりの無い部屋に響いて、少し埃っぽい空気と山ほどの本が私達を迎えた。
だけど相変わらず人影は無い。
「すみませーーん! 依頼を受けて来たんですけどぉおお!!」
古い家に似合わない大声で思いっきり叫んだ。
すると部屋のランプが点き、先程までは誰もいなかった部屋の奥に誰かが立っている。
それは噂に聞いた髪の長い、黒い服の女だった。
「「ああああああああ!! 出たぁぁぁぁあああああ!!!!」」
「うわあああああああ!! 大声出さないでよおおお!!!!」
お互いに驚いて叫ぶ、不思議な空間が出来てしまった。