一目惚れ
いつからだろうか。
他人の嫌なところを見付けるのが得意になってしまったのは。
私、黒宮真白は普通の高校生である。
なんの変哲もない普通の高校生でも、私以外の人間でも、日々を頑張って生きている。
降って掛かる理不尽に耐えながら。
それが始まったのは高校に入学してすぐだった。
高校入学というのは今までと違う環境に放り込まれ、色んな変化がある。
ある人にとってはワクワクに溢れた希望であり、ある人にとっては長い苦痛の始まり。
要は、クラスメイトがいじめられ始めたのだ。
七つの大罪だの八つの枢要罪だの、昔の人はよく言った物である。
人間はなにかにつけて悪意や自分勝手な欲を持つ。
私は、それを見るのが大嫌いだった。
だからそれに関わろうとはしなかったが、傍観して奴らと同じになるのも嫌だった私は一応教師に相談していた。
しかし教師はいじめがあるという事実に、大事な生徒が辛い目にあっているというよりは面倒な問題が起きてしまった言わんばかりの顔で頭を抱える。
ニュースでよく見た光景がここにもある。
大人も子供も関係ない。
私は、こうはなりたくなかった。
「アンタさぁ、なんかよくチクってるみたいじゃん?」
積極的に助けている訳じゃなかったけど、私に矛先が向くのは時間の問題だった。
女子のいじめとは陰湿なもので、放課後の教室にいじめられている日向さんと無理矢理残され、三人に囲まれている。
絡んできたこの子は、誰だったか。
嫌いだからか、正直覚えていなかった。
「なに? そいつのダチなの? ホントにウザいんだけど」
目を見開いて汚い言葉で矢継ぎ早に話す。
だけど私はどうでもよかった。
「帰ろうか日向さん、別に大した用じゃなかったみたいだし」
「ハァ? お前何言ってんの!?」
あからさまに苛立つ声に、日向さんは怯えて私の後ろに隠れている。
「何か勘違いしてるようだから言ってあげるけど、私は別に日向さんと友達でもないわ。そして正義感で先生にチクったんじゃない」
「じゃあなんなんだよ」
「あんた達みたいなのが嫌いなの」
そう言い残して私達は教室を出た。
明日から面倒になりそうな予感を残して。
憂鬱な帰り道、私達は溜息を吐きながら歩いていた。
大分離れて落ち着いたのか、日向さんが口を開く。
「ごめんね、私のせいで」
「違うわ、悪いのはあいつ等よ。いつだってやられている側が悪いなんてことないんだから、自分を悪く言うのは止めた方がいいわ」
「でも、黒宮さんも……」
「まぁこれで私も標的にされるわね。でも、あんな奴らの仲間になるなんてもっと嫌」
「黒宮さん、ありがとう」
「違うの、私はそんなに優しい人間じゃないの」
「?」
首を傾げる日向さんにそれ以上は言えなかった。
本当に私は正義感なんて無くて、あんな人間と一緒になりたくなかっただけなのだ。
夕日に照らされながら無言で帰り道を歩く。
私も含めて、人間はなんて身勝手なんだろうか。
大きな横断歩道に差し掛かり、信号を待つ間も私達は無言だった。
やがて青に変わり、再び歩き出す。
その時は明日からどうやってあいつ等に対応するか考えていた。
だから見逃した。
一人の子供が転んで泣いているのを。
気付いた時には信号が変わる頃、連れていた母親はスマホを見たまま歩いていたのか一人で渡り終えている。
視界に右折してくる大型トラックが見えた時、私は飛び出していた。
運転手は急いでいるのか、交差点だというのに結構なスピードで突っ込んで来る。
だから迷う暇も無かった。
「日向さん!! 受け止めて!!!」
呆然とする子供を引っ掴んで日向さんの方へ投げる。
火事場の馬鹿力というやつか、腕力なんて自信無いのに数メートル離れた彼女まで子供は届いた。
酷く驚いて子供を抱きとめる姿を見て、私は少し安堵して、
そこで意識は無くなった。
いつからだろうか。
いや、本当にいつからこんな仕事やってんだろ。
「あ~~~、暇」
世界の管理ってマジで面倒、それでいてやる気もない。
今日も今日とて現世を覗き見て暇つぶしの最中。
「なんかこう目の覚める様なこととか無いかねぇ、最近暗いニュースばっかだし」
神様も楽じゃない。
いや楽過ぎてつまらん監獄状態なんですわ。
いつこの立場に収まったかも分からない。
担当の世界を割り振られてその世界を回す毎日。
そんな自分の在り方に、ちょっと嫌気が差していた。
「おお? あの子ちょっとかわいいな」
最初はその程度の感覚だった。
数えきれない人間をテキトーに覗いて暇つぶし、たまに好みの子が見れたらラッキー位の気まぐれ。
だけどその子はこれまで見てきた人間と少し違った。
大体の人間は欲望のままに生きるか、全ての欲を悪として自らを滅ぼすか、何にも染まれずに半端で生きていくかの3択だ。
しかしその子は、人間がどうしようもない生き物だと理解した上で、更に自分もその人間だと認めた上で、高潔であろうとする。
なんとも儚く、美しく、可愛らしい心意気。
気付いた時には、現世を覗く目的は彼女になっていた。
だから、その出来事はちょっと見過ごせなかった。
暗い。
深い海の底みたいな何も見えない聞こえない場所。
最後の記憶を思い出すと、こうして意識を持っていることが不思議なくらいだ。
でもこの感覚はなんだろう、周りから見る意識不明とかって当事者はこんな感じなのかな。
「い~や、それは違うね」
自分以外の誰かの声、その声が聞こえると曖昧だった意識と体の輪郭が浮き出てくる。
両親や日向さんとも違う知らない声、こんな自分に呼びかける人が他にいただろうか。
「……誰?」
やっとの思いで声を絞り出す。
随分久しぶりに声を出したみたいに上手く喋れない。
「うん、意識もはっきりしてきたかな? そいつはよかった」
真っ暗闇が霞んだ視界になって、だんだん目の前に人がいることが分かる。
はっきり姿が見えたその人は、なんというか、
思ったよりおしゃれでチャラかった。
「えっ……」
「いや、もうちょっと何かない!? こうさ、『私を、助けて下さったんですか?』みたいなさ! それじゃただドン引きしてる様にしか見えないよ!?」
「あっ、すいません。なんていうか、理解が追いつかなくて」
恐らく私を助けてくれた人は、名前をカロンと名乗った。
自称神様とのことだけれど、見た目がどうも
「ホストにしか見えないなぁ……」
「声に出てるよ! 確かにあの辺の服装を真似したけどさ、こんな空間で外出コーデってのもおかしいでしょ」
「空間…… そういえばココってなんですか」
「この空間は俺の仕事場兼自宅。普段、っていうか時間の単位を忘れるくらいここに居るんだけど、暇つぶしに現世を覗いてたら君を見付けてさ」
「覗き……」
「あっヤメテ。そのジト目で見るのヤメテ」
神様って割に随分俗っぽい。
「まあ、それはいいとして、君が勇敢にも子供を救ったのも見ててね。その善行に心打たれてここに招待したのさ」
「本当に?」
「ごめんなさい。君が好みだったんです」
「で、その最悪な理由で私を呼んで何の御用ですか?」
「……いやさ、もう一度生きたくない?」
「正直、分かりません。私って」
「人が嫌い、なんだろ?」
伊達に神を自称する訳じゃないみたい。
間髪入れずに、私が生き返りたいと即答しない理由を言い当てた。
「嫌だよねえ人間。いくら自分が立派に生きようとしても、周りも世の中も腐敗に堕落だらけ。足引っ張られるばかりで他人を助けても得なんて一個も無いし、目に見える徳なんて積みようもない。確実に積めるなら早起きで三文ずつ積んだ方がいいんじゃないかってね」
からから笑いながら、私の心の嫌なところをずけずけと言い当てる。
「でも君は、それを理由に堕落するのを許さない。人が嫌いだからこそ、そこまで堕ちることが我慢ならない。周りを変えることなんて出来ない。だからせめて自分は自分を誇れるようにありたい、そうだろ?」
「……そこまで知っててなんで生き返らせると?」
「言ったっしょ? 君が好みだって。正直惚れてるまであるね」
ずっと貼り付いてた軽薄な笑いが収まった。
だけど代わりに気味の悪いニヤケ顔になって続ける。
「だから君に続きの人生と、降り掛かる理不尽を捻じ伏せる力をあげる」
「力……って?」
「そうだね、言わば死神。君の心ひとつで誰でも殺せる。そんな夢の力さ」
「は?」
「対象を指差して、君が声で『あなたを殺します』って宣言すればいい。それだけで相手は死ぬ。簡単だろ?」
「そんな物騒な力をなんで」
「なんでって、これがあれば君が散々苦しめられた人の悪性を叩き潰せる。例えばあのいじめっ子とかもね。悪因悪果、天網恢恢。悪い奴に同情する余地なんて無いし、そういう奴が行き着く先は紆余曲折あっても同じところさ。ま、君が悪い奴にならなければの話だけどね」
確かに世の中には反吐が出る様な奴がいくらでもいる。
だけど、それはあまりに外道過ぎる。
「そんな力いりませんし、そんなことしません」
「まあまあ、そうは言っても人の恨み辛みって積み重なるからさ。君がいつそちら側に傾くか心配なのよ。あと君はもう元の現世には戻れないし、俺の贈り物を素直に受け取った方がいいよ?」
「私、やっぱり死んだんですか?」
「残念だけどね、現世の結果を変えることは俺にも出来ない。まあ一つ教えてあげられることは、あの子供は助かったってことくらいかな」
「そっか……」
なんとなく察しは付いていた。
あんなトラックが突っ込んで来て無事で済む筈が無い。
子供の安否が分かれば、なおさら私は生きたいと思わない。
「そうですか、なら私は別に」
「頑固だなぁ。えいっと」
「は? はぁぁぁぁぁぁぁあああああ!?」
何もない真っ暗な空間に、穴が開いた。
落とし穴が。
「ま、とりあえず俺の世界でエンジョイしてよ! 俺は君が迷いながら生きていく様が見たいんだよ!!」
「この変態覗き魔がああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ」
「神様って結構変態多いんだぞー」
そんな神様の気まぐれで、私は知らない世界に落とされた。
「ひっ、落ちる……!」
自由落下。
飛行機が飛ぶような高さからスカイダイビングした私は、恐怖に声も出せずに落ち続ける。
もうだめだ、そんな考えで頭が一杯になった時、パラシュートも何もないのにスピードが遅くなり始めた。
急ブレーキを掛けられた様な慣性も無く、叩き付けられる痛みも無く、呆然とする私はゆっくりと大地に降り立つ。
(真白ちゃんを乱暴に落とす訳ないじゃん。それじゃ、楽しんでねー)
「十分乱暴だわああああああ!! 死ぬかと思った!!」
軽々しく脳内に響くフォローに、思わず普段は出さない様な大声で私は抗議した。
あの神、いつか殴る。
見渡したところのどかな平野、遠くに山が見える田舎みたいな光景。
違いといえば電柱や建造物が見当たらないところか。
東京育ちだからあんまり身近じゃないけど、気候は穏やかだし暑さ寒さで困ることは無さそうかな。
ただ知らない世界の物だから野草も木の実も軽々しく口に出来ないし、そもそもそんなに詳しくないし、あれだわ。
「誰か優しい人に会って根本的な知識を得ないと、こんな平野で遭難する……」
とりあえず草が薄い道らしきところを辿って歩き続けた。
通行人でも村でも、何か人に繋がる手がかりが無いか。
「あっ、立札。しかも日本語で読める」
看板と言うにはかなり簡素な、どちらかというと山で見かける何合目の表示みたいな立札に、矢印と『リドナ』と書かれている。
地名か集落の名前か、私は何もない平野より人の手が入っているらしき場所を目指すことにした。
「……足もキツイけど、何もない景色なのが精神的にキツイ」
本当に進んでいるのだろうかという不安を、立札があったから何かしらある筈と自分に言い聞かせ歩き続ける。
そろそろ何か見えて欲しいと心の中で祈っていた頃、クタクタになっている足に振動が伝わってきた。
地震かと怪訝に思っていると、どうやら違う。
視界の端にあった林から、明らかに巨大な何かがこちらに向かって土煙を上げながら突っ込んで来る。
「マズイ!」
何かは分からない。
けどあの時のトラック並にマズイ、それだけは分かる。
近づいて来るにつれ、段々姿がはっきりしてくる。
それはマンガでしか見たこと無いような大きさの狼だった。
血の気が引く音を、私は初めて自覚した。
「逃げろ逃げろ!! 食われるぞ!!!」
よく見ると私よりも大分近くで追われている人達がいる。
進路から逃げることで必死だったけど、もう追いつかれる寸前の様だ。
その最後尾で小柄な女の子が半泣きで逃げている。
今回は、見逃さなかった。
(さぁ、力の使いどころじゃないか?)
「まだ見てたの!? 信じられない」
(それどころじゃなくない? それに、今助けたいって思ったろ?)
周りの景色が色を混ぜ込まれたみたいに真っ青になって、狼も逃げている人達も私も、ほとんど止まっている位に遅くなる。
訳が分からない、これもあの神様の仕業か。
(覚えてる? 対象を指差して、『あなたを殺す』って宣言だけでいい。それであの子は助かる。でも、力を使えば)
(誰が助けないって言いましたか!?)
(……そいつは失礼。君に覚悟がどうとかは無粋な話だったね)
世界に色と時間が戻る。
逃げていた足を踏みしめて狼に向き直る。
この時の私は、どう見えただろうか。
≪あなたを殺します≫
自分の小さな指の先、牙を剥き出しのまま猛進していた狼に向けて言葉を発した。
何もない筈の平野に、確かに鐘の音が響いて、
狼は慣性のまま地面に突っ伏した。
人は理解できないものを恐れる。
恐れは人をどこまでも残酷にする。
人は自分の望みを他人の責任にする時、心のタガが外れるからだ。
「真白ちゃん、君はとても賢くて優しい。だからその程度のこと分からない訳が無い。それでも、君は良い人であろうとするんだね」
本当に、君を連れてきてよかった。
私は一応お礼を言われ、彼らの村に迎えられた。
だが明らかに私を怖がっている。
(そりゃいきなり出てきて狼を指だけで即死させたら、自分達もやられるんじゃないかと思うよね)
この微妙な空気、別に彼らを悪くは思わないが非常に居心地が悪い。
しかしこのお礼を要求できる状態を使って欲しいものを
「すいません、水貰えますか?」
だけど疲れと喉の渇きには勝てなかった。
通された民家で食事と水を貰いようやく頭が回り出す。
机の向かいには、狼に襲われる寸前だった女の子が座っている。
何やら世話係として任せられたらしいけど、要は人身御供だろう。
お前が助けられたのだからお前が世話をしろ、的な。
「すいません、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「うぇっ!? あっはい……」
明らかに動揺と怯えがある彼女を宥めながら少しずつ話を聞いていく。
そうだ、もう彼女達から見た私は人間ではない。
それでも、力を使ったことは後悔していない。
私は、他人をどうでもいいと切り捨てる人間じゃないんだ。