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アーモンドナッツ学園

感想、批評募集

一つの民家が燃えていた。

全焼する勢いのある火事現場だ。

炎はさらに勢力を増し、やがて隣接する建物に移るだろう。

窓は割れ、壁は崩れ、中が爆ぜる。


熱風に吹かれ、"それ"は宙を漂う。


燃える民家のそばには、一人の少女がいた。

――少女はこの家の一人娘だ。夢遊病を患っていて、頻繁に家の外を歩いている。彼女は今日も、家の外を歩いていた。


少女は炎から十分に離れている場所で、力なく地ベタに座り込んでいた。


ここには少女以外の人がいない。

住宅街で火事が起きているのに、ここにいる人間は少女しかいない。


被害は徐々に広がり、密集住宅が死んでいく。


少女は泣き叫んだ。声を枯らすほどに、全力で。

しかし少女の訴えは届くことはなく、悲しみが止むことはない。


――そこでオレはようやく気づいた。少女の声が聞こえないことに。


炎の熱さは触覚でしかわからない。

崩壊の凄惨さは視覚でしかわからない。

爆散で広がる粉塵の煙たさは嗅覚でしかわからない。

絶望の辛酸は味覚でしかわからない。


それなのに少女の叫びが聞こえないことにさっきまで気づけなかった。

なくても問題なかったから。

だって、


オレは―――――――――――



「なんか…夢でも見たのか?」


布団から起き上がると、寝惚けているのか記憶があやふやだ。

内容を思い出せない夢に、オレはなぜか涙を流していた。

何も出来ない無力感と、世界に対する違和感が心に残った。


ふと、騒がしい目覚まし時計に視線を向けると、時計の針は入学式三十分前を指していた。


「うわっ!やべっ」


オレは寝ぼけた身体を無理矢理機敏に動かす。

寝巻きのラベルを剥がし、学生ラベルに早着替え。

熱湯を桶に貯めてキャップを突っ込み表面の汚れを流した。

ズボンを手に取って最短経路で一階のリビングに向かう。

階段の手すりを滑り、着地と同時にベルトを締めた。

自宅二階から一階のリビングまでにオレは朝食以外の身支度を終えた。


「マザー、お手軽なご飯ある!?」


しかしリビングには誰もおらず、代わりにテーブルの上に書き置きが一枚あった。


『食パンでお行き、My son』


台所には市販の食パンが一斤置いてあった。




オレは走った。入学式に遅刻するわけにはいかない。新入生の華、オレの晴れ舞台だ。急がない理由がない。


それはまさに朝の平凡な光景。

誰もが通る遅刻の儀式、食パン咥えて登校。

しかも入学式。ここまでお膳立てされた朝はそうそうないだろう。

きっとオレには愉快な出会いが訪れることだろう。


履き慣れない革靴が地を蹴る度に火花を散らす。

時間的に大通りを走っては間に合わない。

オレは最短経路に向かってアクセルした。

まだこの経路は想定段階で、実用性があるかはわかっていない。まさか入学式の日に活用するとはオレも考えてはいなかったからだ。


横断歩道をガラスのボディでドリフトし、

コンクリートの壁をキャップで頭突きし、

人混みから漏れ出る臭気を白い粉で浄化した。

入学式にギリギリ間に合う、オレは息を切らしながらも確信したその時、本当に出会いが訪れた。


「グッェ」

「キャァ!」


不注意にも曲がり角で横槍と衝突事故を起こしてしまったのだ。


幸運にも穂先は硬質なガラスボディにぶつかったようで、互いに尻餅程度で済んだのは不幸中の幸いだ。


「いてて、すまない、慌てていたもんで」

「もぅ、一体誰よ!」


オレは急いで立ち上がり、相手に手を差し伸べた。


「立てるか」

「いたかったわよ、気を付けなさい」


右手で槍の柄を握り、左手で優しく引いた。


「不注意な俺が悪かった。怪我はないか」

「ないわよ」


ムスッとした刃先が何ともキュートな槍はご機嫌斜めなご様子で埃を払う。


「あなた、名前は」


槍はしかめっ面だ。これは相当ご立腹だ。


「俺は伯方乃ソルト。見ての通り塩だ、透明なボディがチャームポイントの高校一年生。まだ入学式前だけどな」


粉物が入っているあの瓶だ。度々砂糖と間違える輩がいるが、なぜなんだ。


「あっそ、わからないわよ、塩か砂糖を見た目で判断するの」


素っ気なく返された。


伯方乃家長男であるオレは禍根を残さないために、潔くの腰を曲げる。


「ごめんなさい」

「ちゃんと謝罪できるのね、いいわ、誠意に免じて許してあげる」


あ、


「時間が!」


機嫌の直った槍にもう一度礼をし、オレは走った。

微笑みを見せる槍を背に、食パンを白い粉に消化して入学式が開始している学園に到着した。


ちょうど入学式開始の時間だ。


大慌てで下駄箱で靴を履き替える。

その最中、オレの視界になにか黒いポンポンみたいなものが転がっているのを見えた。ついでに慌てているような足音も聞こえた。


「ワシの髪がぁぁぁぁあ!」


明らかに切実な悲鳴だ。誰だろうか、好奇心で近くに寄ってみた。そこには頭部に違和感のある年配の男性がいた。…やけに髪の毛を主張している気がするのは気のせいだろうか。


「ふぅ、危なかった。…ん?塩、いや砂糖の瓶?」

「あっすみません遅刻しました。伯方乃ソルトです」

「…あぁ新入生か!校長の目の前で堂々と遅刻とは豪胆だな君」


校長、校長!?

あ、ホントだ。パンフレットに写真あったわ。

歳に似合わず髪の毛ふさふさで有名な校長先生だ。


「すみません、校長先生!」

「まぁいい、早く体育館へ行きたまえ」

「ありがとうございます」


急に胸がざわついた。

頭部に違和感のある男性だった。



階段を上って、廊下を右へ左へと移動し、オレは早速困ったことになった。


「やべ、ふつうに迷った」


校舎内に生徒や先生がいない、つまりは既に体育館に移動している。

誰もいない状況、初めての学園、校舎の構造を把握していない。

これ詰みでは?


「おう、どうしたんだそこの」


声のした方に反応して振り向くとそこには作業着を着ている年配の男性がいた。

清掃員だろうか。この人に聞けばええやん。

やはり出会いに恵まれてるわ、オレ。これで入学式に間に合う。


「見たところ遅刻した新入生だな、体育館はあっちだぞ」

「すいませんありがとうございます、おじさん」

「用務員さんと呼びな」

「はい、用務員さん!ありがとうございました」


俺は深々と礼をして体育館に向かった。

助かった。

しかし妙に内股だった気がしたな。





体育館の出入り口、そこには一人の男子学生がいた。

見るからに柄が悪そうな風体だ。


「あの、今入学式ですよね」

「あ゛?なんだお前?」

「俺は伯方乃ソルトです」

「ソルト…つまり塩か」


なんで塩だとわかったんだ?言ってないのに。


「俺は毒島拓雄だ、二年生で先輩だぞ。入学式から遅刻たぁいいご身分だな塩」

「塩じゃなくてソルトです」

「だから塩だろ」

「いやだからソルトです」


ネクタイの色がオレとは違う。確かに上級生だ。


「なんでここにいるんですか先輩」

「ちょっと先公にな、悪いかよ」


一悶着あったが、オレは無事に入学式に参加できた。




「総員!」


学年主任の号令が大きな体育館に響く。


「起立!気をつけ!礼!」


入学式に出席している全員が列を正すその光景は圧巻の一言に尽きる。


「生徒会長からの挨拶!」


体育館に厳かな静寂が訪れる。壇上に視線が集まる中、一人の男が歩いていた。腕章を首に巻いた凛々しい姿は、パンフレットの写真通りに、いやそれ以上に威厳がある。

髪質はサラサラでツヤツヤ。四足歩行、生後六年九ヶ月。定期試験の順位は平均四位。

この学園の頂点。

名前は、芝 犬太郎。


「静粛にしとるか己ら」


体育館に響く荘厳な声。

全員が壇上に注目する。校長のデカい肖像画が無駄に視線を掻っ攫う、それでも生徒会長の威厳が体育館中に満ちた。


「己らが新しゅう仲間になることを我らはうれしゅう思う」


全身を襲う緊張に、体は無意識に背筋を伸ばしていた。耳に届く低い振動が、おふざけを許さないことを暗に示す。


「あの校長の絵ってちょと変じゃない」


若干名が校長の肖像画に集中をかき乱されてはいたが。


「これから己らはこの学園の規則を守ってもらう。従順な下僕になってもよし、反旗を翻す逆徒になってもよし」


これは警告であり、宣言だった。


「しかし忘れてはならん、行動には責任が伴うことを。己の失敗は己が補填するのだ」


その姿に誰もが敬意を払った。慈悲深い、この学園の頂点に。


「ご静聴、ありがとうございました」


壇上に長身の女性が現れた。この学園の生徒会副会長を務める女性だ。パンフレットには冷徹で口数が少ないクールビューティと紹介されている。

パンフレットにはこの学園の写真がいくつも載っている。生徒会の面々は勿論、授業風景、施設、部活動も知ることができる。

オレは校長先生の顔をこれで知った。

副会長は会長をだっこして舞台袖に移動した。

会長が残した静謐な空気が、体育館に残った。


「カイチョーかわいいーよカイチョー!よーしよしよしよし、うーりうりうりうり。かわいい、あーもーホント反則的にかわいい!」

「副長!マイク、マイク!」

「ひゃっ!!?」


入学式はつつがなく終わりを迎えた。


「おかしい、この世界はものすごく変だ…!」


誰かがポツリと、言葉を漏らした気がした。

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