吸血鬼さん、追い出される
~注意事項~
この作品はフィクションです。
登場する人物、組織は全て架空のものです。
また、私達のいる世界と歴史が大きく異なっているため、登場人物の心情を、私達の価値観や倫理観で考えた場合、話の整合性が取れなくなる場合があります。ご注意ください。
今日も、私の谷では蜂たちが元気に飛び回っている。
「よしよし」
今年はいつも以上に暑くて雨が降らなかったから、花が咲くか心配だったノウゼンカズラも、元気、とは言えないけれど、オレンジ色の花を沢山咲かせている。
「今年も期待出来そう?」
指先に止まった蜂に尋ねると、『ブンブブーン』と羽を鳴らして返事をした。
「そっか。今年も美味しいか」
嬉しくなって笑顔を浮かべる。
鼻歌を歌いながら庭の手入れを続けていると、蜂達が嫌そうな感情を伝えてきた。
「なに……、ああ、車が来たのね」
こんな辺鄙なところに、誰がどんな用事だろう。と首をかしげつつ、自宅に向かうと、いかにもお役人、といった小太りの男が私の家の前で不思議そうにしていた。
「何の用?」
尋ねると、男は私を見て訝しげな表情を浮かべた。
「いえ、この土地に住んでいる人は死んでいる筈なのですが。ご家族の方ですか?」
「死んでる?」
首をかしげる。誰がいつ死んだんだろう。
「はい。茨木月日さんです。明治十九年四月一日生まれの」
「私ですけど」
「はい?」
正直に答えると、男は呆けた表情を見せた。
「だから、私が茨木月日です。戸籍に登録したのは、確かに明治十九年四月一日ですね」
そう正直に言うと、男は小馬鹿にした表情を見せた。
「あのですね。今何年だと思っているんですか? 二千三十年ですよ? 人間が、例え妖狐や人狼でも百五十年以上生きる訳無いでしょう。大人を馬鹿にしないでください」
「そんなこと言われても……」
困る。私が生まれたのは天元元年、今で言う平安時代のことだ。むしろ戸籍の方がもの凄くさばを読んでいて申し訳無いのに。それに、妖狐なら二、三百年位普通に……。
「あ」
そう言えば、最近の妖狐は人間の血が濃くなってきているので短命になっているのだった。冷や汗をかきつつ、どう説明したものか考える。
「……まあいいです。茨木月日さんがいないなら、構いません」
考えている間に話は進む。男の言葉に嫌な予感を覚えつつ、尋ねる。
「構わない、って、何がですか?」
「ここを農業用ダムにするんです」
「はあ!?」
その時代錯誤とも取れる発言に私は驚いた。山陰地方、特にこの谷のある鳥取のあたりは、降水量がもの凄く、今あるダムだけで二年前のこの州で起こった大渇水を給水制限も何の危機感も無しに乗り越えた程なのだ。それに、この州、この地方の農業は衰退してきているというのに。
「何言ってるんですか? 農業用水なんて有り余ってるのに、ここをダムに? 土地所有者の私の意見も聞かず?」
「所有者も何も、あなたは誰なんですか?」
「だから、私は茨木月日です!」
「ふざけるな!」
男はそう激高した。
「お前みたいな若造が分かりやすい嘘をつくな!」
この発言には流石にカチンと来た。私は嘘をついていないし、何ならこの男より遙かに年上だ。そんな社会も知らぬ『若造』に馬鹿にされ続けて冷静でいたいほど、私は人間が出来ていない。人間じゃないけれど。
「若造? 嘘? お前の知識が足りないだけのことを、他人に押し付けて、生意気な口をきくのね」
「ひ、ひいいい!?」
少し殺気を込めて言っただけでこれだ。この男は、交渉の経験がなさ過ぎる。この州の役所は仕事が適当だから気に入っていたけれど、まさかそれが人材不足から来ているのでは、なんて邪推をしてしまう。
「そんな生意気なことを言う奴は、どうしてあげましょうか?」
「と、とにかく伝えまましたからね!」
男は私の脅しの途中で車に逃げ、そのまま谷から逃げて行った。
「……ふう」
私はため息をつき、頭を抱える。
この州は仕事が雑で遅い。だからこそ私の戸籍が残っていたのだろう。だけれど、同時に一度すると決めたことは徹底的に計画に沿ってやる。この谷の住人が私しかいない以上、どう足掻いてもこの谷はダムになるのだろう。
「……ごめん、今から逃げる準備して」
肩に止まった蜂に言う。そっか、と蜂は諦めの感情を伝えてくる。
「この世界は人外に人権は無いから。その中でもとびきりの吸血鬼の私が、百五十年以上この谷で安穏と暮らせただけでも、凄いことだよ」
じゃあ、お別れだね。
「うん。一週間以内に谷を出て行くから、そこまでだね。一応知り合いに戸籍どうにか出来ないか聞いてみるけど、この谷を相続って形で手に入れるのはどう考えても無理だし。地道にどこかの田舎の土地を買うことにするよ。そしたら、また一緒に暮らしてくれる?」
うん。その時は、梅の木を植えてね?
「当然よ」
蜂と別れを告げ、私は家から必要なものを【影】へ仕舞う。代用食になる蜂蜜の大瓶にこの谷で穫れた茶の葉を使って作った紅茶の茶葉の入った缶。各種果物の蜂蜜漬けにお金に換えられるもの。お引っ越しすることを決めた蜂からは蜂蜜を追加で貰い、知り合いには戸籍がどうにか出来ないか連絡する。
私の庭を再建するのに必要な苗木になる枝や幼木を【影】に仕舞ったりしているうちに、正式な戸籍を入手出来た、と知り合いから連絡が入り、私は谷を出て知り合いのいる鳥取市街地へと向かった。