三七話 初めて尽くしの一日だ
「だから、妙中さんに付き合ってくださいと言われた時に、果たして自分にそれが出来るのか分かりませんでした。お付き合いする相手の方との接し方が、他の方と同じではいけない――つまり等量の愛情を注ぐだけではいけないのではないかとすぐに考えられましたから。しかし――、乞われたのならば、応える必要を感じました」
夕陽が沈みかけ、川面は嘘くさく光を反射している。
既に六穂に手首を掴まれてはいないが、もう逃げる気も無い。
こいつの捻じれてしまった生き方をじっと聞いていた。
――こいつは、いつも表情一つ変えない余裕綽々な野郎かと思っていたけど、逆だ。
表情一つ変える余裕も無い程、擦り減っているんだ。
全く、海凪もなんてやつを好きになってんだか。
呆れて溜息が出る。
「そうかそうか。お前はお前なりに考えがあったわけだ」
こんなこと――こいつにしか思いつかないし――
「接する相手全員に等量の愛情を注ぐ生き方しか出来なくなった文蔵六穂の前に、お前を好きだという一六重人格の女が現れたら、そりゃまあ、そうなるよな」
こいつにしか出来ないよな――
「分かって頂けましたか」
「一六人分」
「そうです。僕は妙中さんの中に何人居るのか、どうしても、知りたかった。そうしないと、僕はどれだけの愛情を妙中さんに注げばいいのか分からなかったからです。それに――」
愛情とか涼しい顔で言う六穂が妙に憎たらしい。
わざと「ふん」と突っぱねるように息を吐く。
「何人分もの愛情を妙中さんに注ぐことが出来たならば、それは、僕は他の人よりも妙中さんのことを好きであるということになりませんか?」
「……なるのか?」
「僕はたとえ、表に出ているのが海凪さん一人だとしても、十六夜さん一人だとしても、裏に居る一五人分も含めて、愛情を注ぐ自信があります。人一人に対して注ぐ愛情を定量化出来る僕だからはっきり言えます。他の人の一六倍、愛します」
「お前さあ……ジブンなんて今日初対面じゃねえか」
どうしてそう恥ずかしいことをこうずけずけと。
「僕の愛は有限ですが無償なんです」
「それにだな、お前、分かってんのか。一六股だぞ。二股三股どころじゃねえ。人生初めての交際が一六股ってなんだよ、駄目だろ」
「一六方向弾なんて、弾幕の内にも入りません」
「何言ってんだ」
「今度お見せしますよ」
「はあ……」
ため息が漏れ、肩肘張っているのが馬鹿らしくなってくる。
「海凪さんも詩織さんも夏妃さんも弥恵さんも心露さんも怜美さんもいつかさんも双葉さんも永遠さんもひなさんも樹衣さんも素仁亜さんも、デス子さんも遺書子さんも地獄子さんも――、そして十六夜さんも、全員」
「なんでいっぺん聞いただけで覚えてんだよ」
「得意なんです」
今日何度目だろうという溜息をつく。
「せめて一五人にしとけ」
「? ――何故ですか?」
「やっぱり気付いてないな――ジブンだけ、男なんだよ」
「アガペーはエロースとは違うので可能です」
「即答すんな!」
思わず大きな声で反応してしまった。自分が今まで表に出てきた経験は全て、他の一五人が耐えられなくなった後のことだったから、こういう会話そのものが初めてだった。
そして――少し、面白いな、と思ってしまった。
「畜生、変なやつだが仕方ない」
改まって話す、という経験も初めてだ。初めて尽くしの一日だ。
「ジブンの居ない間のあいつらのこと――頼む」
誰かに頼みごとをするなんてことも。
「勿論です」
誰かを頼れると思うなんてことも。
「それから」
「はい」
「分母を減らせ。うっすい愛なんざ、一六倍貰っても海凪は喜ばない」
「――努力します」
お前だって、擦り切れるまで無償の愛なんて、注がなくていい。
口には出さなかったけれど。
そしてその日、初めてあのダイアリーに書き込みをした。
――4月28日(木) 安心していい。文蔵六穂って野郎は、お前たちの中に何人居ようがそんなことでお前たちを嫌ったりしない。 ⑯
誰が書いたのか不明のままでも構わなかったのだが、不気味がられると面白くないので一応、サインめいたものだけ入れておいた。




