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惜しみない愛を、君に  作者: 塔守
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三六話 全ての人を均等に愛するということは

 両親は僕が小学生の頃離婚している。理由ははっきりとは知らない。


 暴力は無かったし、両親のどちらかが浮気をしていたなどという事情もおそらくは無かったと思う。それでも、離婚した。


 僕と姉はどちらについていくのか決めなければならなかった。




 当時の僕は、今の僕とは違って、至って普通に、よく泣き、よく笑い、感情も表情も豊かな子どもだった。


 無条件に愛されているという万能感に包まれていた。


 愛情は乞えば乞う程に湧き出てくるものだと思っていた。


 だから、自分が両親のどちらかしか選べないという選択肢自体が間違っているのだ、としか考えられなかった。自分に愛情を注いでくれる人間が減ってしまう、という事実がどうしても受け入れられなかった。


 だから愚かにも僕は、ひたすら乞うたのだ。


 両親に、ひたすら自分を愛するよう乞えば、それが二人を繋ぎとめると信じていた。




 別れの際に父は、わざわざしゃがんで僕に目線を合わせて言った。


「ごめんな。母さんのことよろしく頼むぞ――それから、父さんにこんなこと言えた義理じゃないんだけど――あんまり、母さんに苦労かけないでやってくれよ。というか……」


 父は力なく笑った。


「お父さん」


 姉が割って入った。


「選ばれた方に何か言うなんて、不公平だわ」


 姉の言葉は意味が分からなかった。


 それでも、自分に対して棘があるのははっきりと感じていた。


「いいわよね、あんたは。まだ小さいから母親の愛情が必要なんだもんね」


幸穂(ゆきほ)、よせ」


 姉はそれだけ言うと「ふん」と鼻を鳴らして踵を返して車に乗ってしまった。


 姉とは年が離れていて、遊んでもらったというよりは世話をして貰った立場だがそれなりに良好な関係だと信じていた。それだけに、僕は困惑した。


 姉とはそれ以来一度も会っていない。




 父と離婚してからの母は、つとめて明るく振る舞っていたが、慣れない仕事に疲れたのか、次第に口数も減り休みの日はぐったりとするようになった。今までと違って僕は独りで休みを過ごすことになった。


 母の様子を見ているとあまり家の中で騒がしくするのも憚られたので、僕は主に本を読んで過ごすようになった。


 父に買ってもらった本を何度も読み返した。


 姉のおさがりの本も何度も読み返した。


 子ども向けの本を覚えるほど読み尽くした僕は両親の本棚に置いてあったものも読み漁った。


 そのうち、僕は姉の置いていった中学や高校の教科書を使って勉強することに時間を費やすことになった。


 何をしていいのかわからなかったからだ。


 


 自分が誤っていたと悟るのはそれから少し後だ。


 家族がばらばらになったのは、僕の愛情に対する考え方が間違っていたからだと。


 姉の残していった倫理の教科書に載っていた。(そもそも「倫理」とはなんなのか、と思って手に取った)


 古典ギリシアでは、愛には「性愛・エロース」、「隣人愛・フィリア」、「家族愛・ストルゲー」、そして「真の愛・アガペー」の四種類があるとされていた。


 古いキリスト教は、「神の愛」として「アガペー」の語を採用することとなる。


「神の愛」即ち、「惜しみなく注がれる無限で無償の愛」である。


「神の愛」が「惜しみなく注がれる無限で無償の愛」であるならば、「人の愛」は「惜しみなく注がれる無限で無償の愛」ではない。


 人には、無償の愛はある程度可能かもしれないが、無限の愛は不可能なのだ。


 愛は、注ぎ続ければ枯れるのだ。


 僕は、両親に自分を愛するように乞うた。しかし、両親もその愛情は有限であった。無理に自身に愛情を注がせてしまった結果が、父の力ない笑みであり、母に「この子には私が必要」と思わせたのであり、姉に「母を取られた」と思わせたのであり(それは事実であるし)、現在の母の枯れた姿であると悟った。家族を壊したのは、自分だった。




 僕は考えを改めた。生き方を改めた。


 僕には愛情を乞う資格は最早無い。だから、与える側になろう。しかし、僕の愛もまた有限なのだ。だから、注ぎ過ぎないように、少しずつ、均等に。


 ああ、そうか。


 均等に。


 これが出来ていたら――今でも。


 そう思ったこともある。でも手遅れだ。


 会う人全てに等量に愛を注げば、僕もすぐに枯れてしまう。


 だから、普段は最低限にまで希釈する。それは相当に薄いものになるだろうが、この理想を叶えるためには仕方がない。


 但し、相手に何かを乞われれば、若しくは、間違いなく困っている相手であれば、マイナスがゼロになるくらいには愛情を注ぐ。


 上手くいったと思った。母の負担になっている部分は手伝って解消した。


 学校では目立った行動は控えるようになったが、困っている人にはすぐに手を差し伸べた。


 波風は一切立たなかった。


 母は段々と元気を取り戻し、ある日「再婚しようと思う」、と男の人を連れてきた。


 僕はすぐに受け容れ、新しい父にも均等に愛情を注ごうと決め、実行した。


 中学高校と関わる人の数が増えるにつれ、僕の愛情はおそらく極限まで希釈され尽くされた。


 僕はいつしか笑わなくなり、悲しまなくなり、怒らなくなり、喜ばなくなった。


 奇妙な程心が凪いでいった。様々なことに現実感がなくなり、全ての人と、立っている場所の差を感じたが、彼我(ひが)の距離が近いのか遠いのかすら、よく分からなくなった。


 人に愛を注ぐが故に、人の愛し方が全く分からなくなった。




 全ての人を均等に愛するということは、誰も愛していないのと同じことだと気が付いた。

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