一〇話 「ある程度の年齢に達すると、友達やきょうだいの男女は、手を繋ぎません」
休みの日に自然公園で会った時に、随分溜めがあった後「手を繋ぎたい」と言われて思わず「何故ですか」と訊き返したのも良くなかったかもしれない。
なにしろ僕には初めてのお付き合いで、分からないことだらけだったのだ。
「ロクちゃんさ、結構本読むでしょ」
「月に十冊くらいは読みます」
「小説も読むでしょ」
「そのうち半分くらいは小説ですね」
「色んな本読んでたらさ、少しは恋愛要素とかさ、あるじゃん。そういうのにさあ、その……恋人同士が手を繋いだり、どこか遊びに行ったり、その……もっと色々載ってたりするじゃん!」
「載っています」
「そしたらさ、分かるじゃん!」
妙中さんが随分顔を赤くしているので、もしかして熱でもと思って額に手を当てたら確かに熱かったが「それは今いいから」と怒られた。
多くの人も、物語の中で騎士が竜を退治したシーンを読んだとしても、それを実生活に応用出来る、とは思わないのではないだろうか。僕にとっては、男女が手を繋いだりであるとか、口づけを交わしたりであるとか、夜景の見える高級なレストランで二人で向かい合っていたりするであるとかのシーンは竜退治と同じだった。飽くまでお話の中のことであり、空想と現実の区別はしっかり付けなければいけないと思っていたのだ。
ということを説明したら、「竜は現実に居ないけど、恋人はそこらじゅうに居るじゃん!」と言われた。
しかし僕は道行く男女に「あなたたちは恋人同士ですか」と尋ねて確かめたことは無いので、そこらじゅうにいるという確信は持てないのだ。
その点でどちらもフィクショナルな概念であることに変わりは無い。
「……分かった。ここは海凪先生が教えてあげます」
「はい。教えてください」
「……」
「どうぞ」
僕らは話が始まった当初のまま特に何でもない道で立ちながら話を続ける。
「ロクちゃんが考えているよりも、ずっと多く、世の中には恋人同士の男女が居ます」
「そうなのですか」
「そこいらを男女の二人だけで歩いているのは、夫婦か恋人である可能性が非常に高いです」
「なるほど。しかし、友人同士やきょうだいである可能性は考えなくて良いのですか」
妙中さんは鼻から小さく息を吐き、少し笑った。我が意を得たり、という顔だろうか。
「ある程度の年齢に達すると、友達やきょうだいの男女は、手を繋ぎません」
「なるほど。……そうだったのですね」
それは全く知らなかった。
数学で習った、ベン図を思い出す。
『男女二人』という全体集合の枠の中に、『友人』『きょうだい』『恋人』『夫婦』という小さな集合を表す円がそれぞれ重なり合わずに入っている状態だ。『手を繋ぐ』という要素を、新たな集合を表す円として挿入すると、『友人』と『きょうだい』にはほんの少し掛かる状態、『恋人』と『夫婦』には大きく掛かる状態の図が出来上がる。
僕が実際にノートに図を描いてみせると、妙中さんは半分呆れたような顔をしたが、「基本はそんな感じでいいと思う」と褒めてくれた。やはり優しい人だ。
「つまり、恋人同士……って言うとなんかちょっと恥ずかしいね。うん。えぇと……彼氏彼女の関係というのは、手を繋ぐものなの。そうなってるの」
「なるほど分かりました、繋ぎましょう」
僕はそう言って手を握ったが、それは握手の形だったので、
「こうだよ」と直された。
僕の右手は、妙中さんの左手と繋がるのか。
「えへへ」
妙中さんは大層嬉しそうなので、手を握ってとても良かったと思う。
狭い遊歩道を二人で手を繋いで歩いていると、後ろから猛スピードを出した自転車がベル音の直後に妙中さんを掠めて走り過ぎた。
妙中さんはかなりびっくりしたようだが、幸い怪我はないようだ。手を繋ぐと横に広がってしまうことは肝に銘じておこう。
図形「びっくりしたあ」
「気をつけましょう。――しかし、手を繋ぐのが恋人の所作だというならば、僕たちは今まで恋人同士と呼べる関係性になかったのでしょうか」
「……こういうのは、ステップアップしていくものなの。ほら、小学校でもさ、足し算の次に引き算、その次に掛け算、割り算って習ったでしょ。あんな感じよ」
「そうすると、手を繋ぐことが出来たら次のステップとして口づけをしたり、その次は夜景の見えるレストランで向かい合ったりするのでしょうか」
と訊いたら妙中さんは俯いて黙ってしまった。
再び顔が随分赤くなっていたので、熱でも出たのかと額に手をやると「そうじゃなくて」と言われた。
僕たちはまだ高校生だが、徐々に大人の所作に変えてゆくということではないのだろうか。
「それに夜景の見えるレストランに行くかはその人たち次第だから」
「待ってください。掛け算の習得を飛ばしたらその後の数学の学習に支障が出るのでは?」
「……」




