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「スケート・ジャパンで、日本勢初の銅メダル、おめでとうございます!」
ホームリンクの、普段はめったに立ち入ることのない応接室。榛名と槻木はそこのふかふかのソファに腰掛けて、大手スポーツ紙の取材を受けていた。
「ありがとうございます」
すっかり緊張して頭を下げることしか出来ない榛名の隣で、槻木が如才ない笑みとともに答える。
「榛名選手はシングルでの世界選手権以来のメダルということになりますが、どのようなお気持ちでしたか?」
知名度は圧倒的に榛名が上で、当然質問も榛名に集中した。榛名はへらりと愛想笑いをして、「え、と。嬉しかったです。シングルとは、違いますし」と短く答えると、槻木があとを引き取るようににこやかに続ける。
「二人で獲った、はじめてのメダルですから。お祝いも、勿論沢山の方にしていただいたんですけど、当日は二人でやったんですよ」
「お二人でですか?」
「はい。コンビニでケーキ……じゃなかったか。何だっけ?」
「エクレアです」
「そうそう。帰り道で、それをひとつ買って。二人で半分にして食べました」
「随分と細やかですね」
「シーズン中ですから」
基本的にはこうして槻木が話を持って行ってくれるから、榛名は槻木が振ってくれる質問に答え、相槌を打っていればいい。聞く方も榛名の話下手は聞き及んでいるのだろう、無理して榛名から話を聞き出そうとすることはせず、槻木とある程度予定調和のやりとりを行っていた。
「……それでは、最後に、全日本選手権についてお伺いさせて下さい。こちらには、一昨年四大陸選手権に出場している三波・佐倉組も出場し、昨年とは違って二組での闘いとなるわけですが、意気込みは如何ですか?」
質問に、槻木はすっと居住まいを正し、真っ直ぐに記者の目を見据えた。ふと記者が気圧されたように身体を引くのを気にした様子もなく、槻木はごくあっさりとした笑みを浮かべる。
「彼らが怪我を乗り越えたことは、とても喜ばしいことです。私達は私達の演技を、彼らは彼らの演技をする。その切磋琢磨が、アイスダンスという競技そのものを皆さんに見て頂くきっかけになればと思います」
榛名達がスケート・ジャパンで表彰台に乗ったことで、全日本選手権の放映権を持つテレビ局は、急遽アイスダンス競技の生放映を行うことを決定した。出場する五組のうち、榛名と槻木ではない一組もそれなりの実力を持っていることを知るや否や、最初は榛名達への祝福ムード一色だった報道も、二組の対立を煽るものへと変化しつつある。
槻木の言葉は、明らかにその空気を受けて立つものだった。
「そして勿論、私達は全力を尽くす。結果は、それについてくると信じています」
槻木の言葉に揺るぎはなく、記者は満足したように「なるほど」と一つ頷く。そうして、ついと榛名に視線を向けた。
「榛名選手は、如何ですか?」
槻木がそっと、榛名を見守るように視線を向けてくる。こくりとひとつ唾を嚥下し、榛名は答えた。
「精一杯」
記者の視線に喉が渇くようで、上手く喋れない。それでも榛名は一生懸命に笑みを浮かべて、言った。
「……私のクリスティーヌが届くように、滑ります」
* * *
「もー、ほんと、マスコミ様って勝手すぎ!」
と、他に客の居ない喫茶店にて気炎を上げたのは、現在不調が噂されるところの秋穂だった。
「ちょっとは私の日本杯銀メダルも褒めてくれたってよくないですか?」
「シングル女子でその成績じゃ、もう騒いじゃ貰えないでしょう」
お兄さんとペア優勝だったら騒いでもらえたかもね、と、桃井の意見は冷静で辛辣だ。
「ファイナルにはぎりぎり進めたんだから、そこで結果を出さないと。出ただけじゃ世界選への派遣も確定じゃないんだしね」
「……一夏くんにもおんなじこと言われました」
「でしょうねえ」
女子シングルの世界選手権出場枠は三枠あり、その三人は(グランプリ・ファイナルへの出場者が優先されるとはいえ)基本的には全日本選手権の結果によって決定される。珍しく弱気な表情の秋穂に目を丸くしながら、榛名は首を傾けた。
「え、そんな枠争い厳しいの? 秋穂なら余裕なのかと」
「榛名さんだって一昨年までこっちに居たのに、もう忘れたんですか? 全日本一発勝負みたいなものなんだから、気は抜けませんよ。そっちみたいに確定じゃないんです」
「いや、今年はこっちも別に確定じゃないよ? ペアとアイスダンスは一枠だから」
一枠? と秋穂が驚いた顔をして、やっぱり知らないよねと榛名は思う。桃井は「これだからシングルの選手は」という胡乱な顔をして、その口から小言が飛び出す前に、思い出したように秋穂が言った。
「あー、そっか。なんか一夏くんが言ってましたよ。三波・佐倉組でしたっけ。三波さんって、ほんっとーに最初の頃、小学生の頃はシングルだったんですって」
「へ」
「……あの人も、周りに興味ないみたいな顔で、意外とよく知ってるのね」
「一夏くん、あれで情報通ですよ? 噂好きだし」
「その情報、あんまり聞きたくなかったかも」
シーズン中ということもあって、三人の前にはハーブティーだけが並んでいる。冷めたそれを一気に飲み干して、「あーもう!」と秋穂は大きくため息を吐いた。
「一緒に世界選手権出ようって言ったのに……行けなかったらどうしよ……」
「注目されたいなら、そのネタマスコミに売ってきたら? 兄と誓った世界選手権出場! とか言って、いい感じに盛り上げてくれるかも」
「あっその手が……って、一夏くんに迷惑かかるから駄目ですよそんなの」
ぐずぐずと落ち込んでいる秋穂は、どうやらジャンプの仕上がりが今ひとつらしい。とは言え彼女の持ち味は元よりジャンプよりもうつくしいスピンとスパイラル、年齢にそぐわぬ表現力だ。榛名はちょっと笑って「大丈夫だと思うよ」と言った。
「槻木さんも、秋穂の演技褒めてたよ。前よりぐっと滑りが伸びやかになったって。一夏さんと一緒に、だいぶ滑り込んだんでしょ?」
「……一夏くんが、やるっていうから」
「そのへん、ちゃんと演技構成点に出てるもん」
榛名の言葉に、秋穂が上目遣いで「榛名さんに点数の話されると思わなかった」と可愛らしくないことを言う。どういう意味だと首を傾げていると、桃井が「槻木さんの教育の賜物でしょ」と笑った。
「前はほんと、ジャンプのことしかわかりません、みたいな顔してたのに。雪はほんと、槻木さんのお陰でちゃんとスケーターになった、みたいなとこあるから」
「あの、わたし、一応、この場で一番いいメダル持ってんですけど……」
オリンピックの銀メダルと、同年の世界選手権の銀メダル。おずおずとした榛名の自己申告を「それがどうしたって言うの」と一蹴して、桃井は言った。
「違う種目のメダルなんて無意味でしょ。ていうか、秋穂よりよっぽどあなたのほうが心配なんだけど。大丈夫なの? 全日本」
報道はますます加熱して、榛名の周りに湧く取材の多さに東山がブチ切れたのはつい最近のことだ。東山はマネージャーよろしく榛名への取材をすべて己経由とし、ワイドショー的なものの一切をシャットアウトした。
そういうわけで現在は辛うじて平穏が保たれているが、全日本直前になればまたそれなりな取材攻勢にあうだろう。桃井の言葉に、榛名は曖昧に笑った。
「負けるとは、あんまり思ってないですけど」
「さすが。天然で上から目線」
「ええっその罵倒はちょっと理不尽じゃないですか。でも、……なんていうか、タイプが全然違うし、国内で誰かと争うっていうのもはじめてだから」
「去年だって、別に一組ってわけじゃなかったでしょ?」
「目に入ってなかったってことですよほら榛名さんだから」
「なるほど」
「桃井さんも秋穂も、実はわたしのこと嫌いなんですか!?」
「いや別に、ただちょっと天然で嫌味だなと思ってるだけで」
「そうそう別に、才能あるひとはいいよねって思ってるだけですよ」
からりと乾いた口調ながら、視線にはそれなりにじっとりとしたものが宿っている。榛名は「ひっ」と小さく息を呑んで、うろうろと視線を泳がせた。
「……わたし、三波さんからもそうやって思われてたりするのかなあ……」
「そうでしょうね」
榛名の言葉を、桃井はあっさりと肯定する。
「元々シングルだったってことは、十かそこらで己のシングルとしての適正に見切りをつけたってこと。そんで心機一転アイスダンスに打ち込んでたら、運悪くパートナーが怪我した時期に、あなたみたいな才能に溢れてる奴がいきなりこっちの世界に流れ込んできた……なんて、悪夢よ悪夢。可哀想に」
「ひゃー、こりゃ全日本は荒れ模様だね? こわーい」
「ううう」
桃井と秋穂の畳み掛けるような言葉に、榛名はすっかりと萎れてしまう。その様子をみて満足したのか、「でも」と桃井は少し語調を和らげた。
「勝負だもの。理不尽で当然。それであなた、負けるとは思ってないでしょう?」
桃井の言葉に顔を上げて、榛名はきっぱりと頷く。
「はい」
「それが聞けて良かった。一昨年みたいになってるんじゃないかって、ちょっと心配してたの」
「桃井さん、一昨年もすごく心配してたけど、うまく言葉も掛けられないでやきもきしてましたもんね!」
「秋穂!」
「……え」
そんなことがあったのか、と、榛名がひとつ瞬く。桃井はすっかり真っ赤になって、「悪い!?」と逆切れめいて怒鳴った。
「あなたのほうが成績が上だろうと、種目が違おうと、後輩なんだから。心配して当然でしょ!」
「あ」
どうしよう、と、榛名はじわじわ上がる体温を感じながら視線を泳がせる。
一昨年、榛名は、味方なんてどこにも居ないような気がしていた。
「……ありがとう、ございます」
他にどうしていいかわからなくて、深く頭を下げる。桃井は自棄みたいにひとつ溜息をついて、ぐいと榛名の頭を押すように撫でた。
「頑張ろうね、全日本」
ここにいる皆にとって、それは特別なステージだ。榛名は「はい」と頷いて、顔を上げて、桃井に向かってちょっと笑った。




