彼方よりの乱入者
暗雲よりも高く、成層圏よりは低い空。青と白の世界にぽつんと黒いシミが落ちる。唐突に。何の前触れもなく。虚空を越え、彼方よりそれは来る。鋼の翼。鉄の城。鋼鉄の箱舟。一秒前までいなかった黒鉄の飛行機が突如として現れた。
「──ゲートアウト。跳躍完了。空間接続解除。輸送管制機ゴリアテは以後滞空姿勢を維持します」
女性オペレーターが空間転移の成功を告げる。知らせを聞いた僅か十人の船員は慌ただしく降下の準備を始めた。その中で責任者らしき白髪の少女が準備と並行してインカムでオペレーターに問う。
「オペレーター、鎮圧対象のデータをください。突然のスクランブルで私達は相手の詳細すら聞かされていません」
「了解。データ更新。最新情報きました。──対象はパターン『天界』。クラス『神龍』。……えーと、超特級のヤバ敵でーす」
「……、今すぐ増援を呼んでください。第一か第二あたりの掃除屋さん達を大至急」
私達だけでは時間稼ぎが限界です、と少女は冷静に指示を送った。
「デジタル機器及びネットワーク上の漂着物秘匿機構は働いてますね?」
「はい。一般人のよる記録は一切不可能。記憶処理班も既に現地入りしています」
「結界による隔離は間に合ってますか?」
「三十秒前に完了報告があります」
「一般人はどれほど避難できました?」
「全体のおよそ二十パーセント。それ以外は結界内で現地スタッフが誘導中」
「……突発的な出現に際してはよく出来た方の数字ですね。わかりました」
聞くべき事は聞いた。後は現場に赴く自らのコンディションを整えるだけだ。
「みなさん、準備は出来ましたか?」
独特な文様が刺繍された黒のビジネススーツを着る少女は、同じスーツを身に付けた仲間達に確認を取る。彼等は各々『OK』の合図を送った。男二人に、女が一人。少女を合わせて僅か四人の実動部隊。それがこのゴリアテに収容された全戦力だった。
「たぶん下は修羅場です。この中の誰かが命を落としてもおかしくないでしょう。特にカズトさん」
「なんでオレだけ名指しなんだよ、室長」
「唯一のフォワードですから、真っ先に死ぬとすれば貴方でしょう。別にこの中で一番弱いから心配して言っているわけじゃありません」
「もうそれ言っちゃってるようなもんだからね?」
カズトと呼ばれた少年は不服そうに抗議する。
「いつも思うがね、お前等はシンラの獣人を舐め過ぎ。そりゃ攻撃面は肉弾戦オンリーだけど、その分ほら、オレは動きまわってヘイト稼ぐ回避タンクだぜ? 俊敏性はお前等の比じゃねぇーから」
「あら、シンラの人を舐めてるんじゃないわよ? ただアンタの身体は貧弱すぎて一発良いの貰っただけでダウンしちゃうじゃない。いくら避けられるって言っても、高リスクの回避タンクはいざって時の信頼性がねぇ……」
四人の中で最も年上な外見をした女性が笑い混じりにカズトを揶揄する。
「リンディさん、真実は時に人を傷付けますよ」
「今まさに傷付いてるよ! クッソ貧弱な地球人とのハーフなんだから打たれ弱いのは仕方ねぇだろ! つーか、リン! コンプレックスなんだからイジるなっていつも言ってんだろが!」
女性──リンディは悪びれる様子もなく、くすくすと赤毛の長髪を揺らす。
「とはいえ事実だし。カリナくんもそう思うわよねぇ?」
「そうだね。せめてもう少し攻撃力があればなぁとボクも思うけど、でもカズトはよくやっている方だと思うよ」
十歳ほどの幼き少女が如き可憐な容姿の少年──カリナは上から目線でものを言う。カズトは何も言わずにカリナの頭を叩いた。
「いたっ……。なぜボクだけ殴るのか」
「男だから」
「女尊男卑とか古いよ、カズト。今の時代はジェンダーフリーが主流なのに」
「うっせ。お前は性別を語る前に、もっと男らしくしろ」
男二人は兄弟のように小突き合う。言い争っているようでありながら雰囲気は悪くない。仲の良い四人であった。
「雑談はここまでとしましょう。転送の準備も間もなく終わります。……気持ちを切り替えてください。私達はこれから神に類する者と戦わなければなりません。この意味、天族のリンディさんでなくともわかりますね?」
少女の言葉に三人は真面目な顔を浮かべて頷く。勝てない相手に挑む。その覚悟を全員が持ち合わせていた。
「ではいきま──」
「──室長! 不測事態発生です!」
出撃しようとした間際、オペレーターの声がインカムごしに響いた。
「どうしましたか。内容を簡潔にどうぞ」
「ええっと、神龍がただいま現地人と交戦中!」
「交戦? 何者ですか?」
「神龍と別個の魔力反応あり。恐らく一般の魔力保持者かと思いますが……」
「一般の魔力保持者程度では戦いにすらなりませんよ」
「ですよねぇ。しかし、ゴリアテからのスキャンでは遠いし、あの雲が邪魔だしでなんとも。下の現地スタッフなら正確なスキャンが出来ると思いますが──あっと、スキャンデータ受信! 現地の方が十秒でやってくれました! 日本支部有能!」
「能書きはいいので結果を教えてください」
「はいはい~。パターンは『竜界』。クラスは『神竜』に該当……ってどんな人間ですかこれ!」
オペレーターは驚愕する。何かの間違いと思い、送られてきた映像を確認し、更に驚愕した。その映像には全長六百メートルの龍と徒手空拳で戦う一人の男がしっかりと映っている。それを出撃デッキにいた四人も閲覧した。
「神龍に匹敵する竜界の人間って言ったらアレしかないわね」
「ああ、間違いねぇ。コイツ、竜殺しだぜ」
リンディとカズトが言う。それは四人の共通見解であり、残りの二人も頷いていた。
「神龍と共に漂着したのか。或いは以前から社会に紛れていたのかはわかりませんが、今は真偽を考察している時間的余裕はありません。我々も直ちに降下しましょう。仮称竜殺しが敵か味方かは、降下後に私が直接判断します。──それでは第十三室、出動です」
少女は号令をかけ、四人はそれぞれ転送ポットの中に入る。全員が入った時点でポットは稼働し始めた。内部に術式が展開され、回路に魔力が駆け巡る。天族の魔法を機械的に再現した装置。それこそが魔機納。このポットはその一つである。
四人は瞬間的に光へ変換され、射出口より撃ち出された。光は結界を透過し、暗雲を突き抜け、地獄絵図たる渋谷の街へと辿り着く。光と化す一瞬は過ぎ、再び形を得た四人は竜と龍が争う戦場に降り立った。
◆
嵐が嵐を襲う。暴威は暴威を以て征される。竜と龍。両者は激突し、この世ならざる光景が世界有数の大都市にて広がっていた。
竜の化身たる男は龍の巨体に張り付き、堅牢な鱗を一枚一枚剥ぎ取る。鱗は肉と共に引き剥がされ、血液を撒き散らす。龍の巨体はその程度ものともしないが、しかし、看過も出来ない。放っておけば、その小さな綻びより破滅する事を龍は知っている。言葉こそ持たないが、カゲートの竜と同等の知性を有しているのだ。故に全身をしならせる。空を自在に飛ぶ龍は、その柔軟な体を使い、男を振り払おうとした。
「どこだ、心臓! 心臓はどこだ!」
だが、落ちない。龍の身体を掘り続ける男は全くビクともしない。むしろその遠心力を利用して、効率的に肉を引き千切っていく。一意専心とはまさにこれ。自身よりも数百倍は巨大な相手だろうと、竜殺し──ブルーノに一切のブレはない。身体に穴を空け、心臓を抉り取る。早く殺す。一秒でも一瞬でも早くこの暴威を死滅させる。考慮するのはただそれだけ。承った依頼を、自らが選んだ事を、ひたすらに実行する。
龍に焦りが生まれる。削岩機が如き人に恐れすら抱いた。考えが甘かった。この人間を、まだ人間として測っていた。その認識を捨てる。この存在は自身に匹敵する者だと改め、龍は権能をふるう。頭部に生える二角が発光し、その全身にまとう稲妻が激しさを増す。そしてその指向性を持った雷が、ブルーノへと導かれた。
「ぐっ……ぉぉ!」
常人を瞬時に炭化させるほどの熱量を受け、ブルーノは声をあげる。声をあげただけで、彼の動きは止まらない。当然痛みはあった。彼の肉体を持ってして激痛と呼べるものだった。けれど行動を抑制するには至らない。あらゆる熱量に耐性を持つ竜の肉体が焼ける事などありはせず、一度全身が溶解する苦しみを味わった男がこの痛み程度で怯むはずもない。故に竜殺しは止まらない。
龍が咆えた。或いは鳴いた。龍の雷を受けて動き続けられる者などいなかった。他の神々ですら恐れる必殺の権能だった。それが必殺にならなかった。恐怖を実感する。同時に歓喜する。自身と戦いになる者の登場に上位者たる龍は咆えた。
もはや形振りを構うのはやめる。神を気取るのには飽きた。ただ一匹の獣となりて、龍は秘めた闘争本能を呼び覚ます。
上空を飛んでいた龍は地上へと降りる。下降時の加速を維持したまま滑空し、その勢いのままブルーノが張り付く横腹を道路になすりつけた。龍と道路に挟まれ、すりおろされる。通過するアスファルトは次々に砕け、石の濁流に飲み込まれるようにブルーノは龍の身体から引き剥がされた。
ブルーノが落ちたのを確認した龍はすぐさま反転。空中で一回転し、落ちた彼に目掛けて尻尾を振り下ろす。尻尾と言っても、四肢の生えた蛇に近い龍のそれは全長の半分にも及ぶ。およそ三百メートルの巨大な尾が鞭のように迫る様は、まるで空が落ちてくるかのような異様だった。
竜殺しはそれを迎撃する。しなければならない。あれがまともに振り下ろされれば、今いる一帯が吹き飛ぶ。それだけは避けなければならない。
拳を握り、跳躍した。地上で受けては元も子もない。だから振り切られる前に空中で受け止める。彼の拳と龍の尾はぶつかり合い、僅かな拮抗を経て、互いに弾かれた。ブルーノは地面に叩きつけられるも、すぐさま上体を起こす。だが、殴った右の拳が砕けているのに気付く。竜の治癒力でもすぐには回復できそうになかった。
「──ッ!」
間髪入れずに龍の牙がブルーノを襲撃した。負傷に気を取られた彼の反応は遅れ、左肩に噛み付かれてしまう。左腕が丸ごと龍の口内に収まり、肩口は上下から凄まじい圧力で押し潰される。けれど辛うじて龍の牙は彼の半身を食い千切りはしなかった。竜鱗は貫かれたものの、その身に届いたのは僅かな先端だけ。僅かな先端だけでも人間のサイズからすれば十二分に致命傷となるものだったが、竜殺しはその範疇にはなく、大量の出血のみで済んでいた。
「ッ、これほど巨大でありながらなんという噛み合わせの良さだ! 抜け出させそうな隙間がない!」
龍の噛み合わせに一切の隙はなく、挟み込んだ者に十全の力を加えている。それ故にブルーノは抜け出せず、そのまま龍に引き摺られていく。道路に叩きつけられ、ビルの外壁に押しつけられ、おまけとばかりに雷も彼を襲った。耐性があるとはいえ物理的に竜鱗が破られている今、先程受けた時よりダメージは数倍にも及んだ。
「があっ……!」
苦悶の声が零れた。追い詰められたブルーノは必死の抵抗を試みる。砕けた拳、自由な足、噛み付かれている左腕まで用いて龍の牙を殴り付ける。がむしゃらに殴り続ける。傷口が容赦なく広がっていくが考えない。ここで抜け出せなければ敗北する。その直感があった。
百以上殴った時、ついに龍の牙が砕けた。正確には欠けた程度だったが、それでも人が一人抜け出せるくらいの隙間が空く。龍は高速で飛行していた為、自ら抜け出すまでもなくブルーノは龍の口より零れ落ち、真横にあった雑居ビルの窓を突き破って一室へと転がった。事務所として使われていたのか、複数のデスクとパソコンを薙ぎ払いながらブルーノは着地する。
「……鈍ったな」
傷口を押さえながら、この三年間で自身の戦闘技術が錆付いている事を自覚した。平和な日本で戦う機会など一度もなかったから仕方ないとはいえ、ブルーノは己の無様さを恥じる。依頼人の彼女に大口を叩いておいて情けなかった。
苦戦の理由はそれだけではない。やはり飛行できるか否かは大きな差だった。力や頑丈さが同等でも跳躍しかできないブルーノには限界がある。空舞う自由度には程遠い。
立ち上がり、息を整える。循環する膨大な魔力は治癒速度を格段に速めているが、肩と胸に空いた傷はまだまだ完治には至らない。しばらく休むか、と考えて首を振る。早く退ける。それが依頼だ。怠ける訳にはいかない。このまま戦い続けるしかないと結論を出し、ブルーノはビルの窓から遠い空を見上げる。そこに不思議な光景を見た。
「あれは……誰だ」
上空に渦巻く龍と戦っている者達がいた。黒い翼を羽ばたかせる少年と白い翼で浮遊している女性。その二人は何やら魔術のようなもので攻撃している。ブルーノが知るカゲートの魔術とは根本から違う異能。そもそも人が飛んでいる事自体が不思議でしかなかった。そんな光景に目を奪われていると、不意に声がした。
「どうやら生きているみたいですね」
その雰囲気があまりに儚げで、ブルーノは不覚にもその存在に気付かなかった。視界の端。突き破ってきた窓に腰かけた見知らぬ少女がそこにいた。少女は作り物のように美しかった。──美しい。そう、思った。