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出会い


 ブルーノは困っていた。

 ついに気付いたのだ。一文無しの自分が衣類を手に入れるには、誰かから盗むか奪うか或いは物乞いするしかないのではないかと。少なくとも街中を当てもなく彷徨って手に入る道理はないという事は確信した。


「道端に布きれくらい落ちているかと思ったが……。くっ、この街は王都と比較しても圧倒的に清潔だ。ゴミすらあまり落ちていないぞ」


 あれから一時間ほど彷徨いながら、何の成果もあげられなかった彼は清潔な街並みを忌々しそうに睨んでいた。


「……盗みか」


 今いる建物の屋上から見える範囲にも盗めそうな衣類はある。それも複数。一軒家にはないが、集合住宅のベランダには洗濯物と思われる衣服が吊るされている所が数ヶ所見えた。盗むのは容易い。容易いのだが、実際できるかと言えば否だ。


 極めて真っ当に生きてきたブルーノには反社会的な行動は難しい。なまじ立派な良心があるだけに、その手の悪事には強い抵抗があった。思わず持ってきてしまったコートも、ブルーノはいつか必ず持ち主に返すつもりでいるのだから。


「はぁ……」


 溜め息が出た。

 残るは物乞いをするしかないのだが、そもそも人すら見当たらなくなっている。


「いっそ隠れる場所を探すべきか」


 自問し、それがいいかもしれないと自答する。今日はここまでにして、身を隠し、明日の夜また頑張ろう。


「明日から本気出す」


 決意を込めて立ち上がり、今日の寝床を探す事にした。誰にも見付からずに隠れられるのが最低条件だ。善は急げ。思い立ったが吉日。方向性を定めたブルーノの行動は早かった。


 下に降りて隠れられそうな場所を探す。人の気配はほとんどしなかった為、ブルーノは物陰に隠れる事もせず街を走り回る。良さげな場所を見つけると、そこには既に先客がいた。青いシートのほったて小屋。一つだけでなくそれが点々と見受けられた。奥からは寝息が聞こえ、そこに人が住んでいる事に気付く。少しの異臭。隠れるような立地。こういうものはかつての世界でも見覚えがあった。浮浪者や物乞い達が身を寄せ合った集落。それに酷似していた。


 煌びやかなこの街にも影がある。幻想的な世界の現実。その暗部を見た。身分の差。貧富の差。そういうものがこの世界にもあるのだと、ブルーノは知った。


「…………」


 残念だと思うのと同じだけ安心もした。元いた世界との共通点を目の当たりにして、不誠実だけれど確かに安心してしまった。これだけ異なっている世界であっても、同じ人類が文明を築いている以上、闇の部分は生じてしまう。その事実はブルーノの認識を改めた。


「そう、同じ人間だものな」


 自分が思っているよりも異世界は異世界ではないのかもしれないと、彼は思う。そう考えると、この新天地で生きていくのも悪くない。そんな事を思案しながら、その場を静かに離れた。


 ブルーノの探索は続く。けれど、いい感じの場所を見つけると、そこには悉く先住者がいた。見飽きるほどの青いシート。この街で目立たぬ場所を探すとなれば、考える事は皆同じらしい。


「…………」


 なのでブルーノは途方に暮れた。道中発見した公園のベンチに腰を下ろし、どうしたものかと空を仰ぐ。そろそろ空が白み始める時間だった。


 その時、後方の茂みから足音が聞こえた。忙しない足取りでこちらにやってくる。ブルーノはすぐに跳躍し、最寄りの木の上に身を隠す。しばらくして身なりの汚い老人が茂みから飛び出してきた。後ろを気にしながら一心不乱に走ってきたのか、ブルーノが先程まで座っていたベンチの存在に気付かず、それに激突する。前のめりに転んだ老人は体を打ち付けて動きを止めた。


 思わず駆け寄ろうとして、足音が続いてくるのを察知する。老人の後から現れたのは、対象的にハツラツとした二人の若者だった。彼等の口元は楽しげに歪んでいる。


「ダッサ。じいさん、ベンチにぶつかってやんの」


「そんだけ必死だったってことだろ。笑ってやんなよ、ハハッ」


 倒れる老人をベンチを挟んで若者が覗き込む。痛みに苦悶している顔を見て、若者は満足そうに笑った。そこまで見て、ブルーノは何が行われているのかを察する。


 浮浪者狩り。こうやって玩弄され、笑いモノにされるのはいつだって弱者だ。彼の世界でも、この世界でも変わらない。同じ人間であるのなら、そういう所も変わりはない。高い身分の者は下賤な者を笑い、豊かな者は貧しい者を虐げる。真に咎めてくれる者がいないから、あの手の連中は自らの非道に気付かぬのだ。


「あれはよくない」


 即断してブルーノはベンチの上に飛び降りる。


「ほらほらじいさん、逃げて逃げて。まだ鬼ごっ──こしよぉ……?」


 若者の眼前──その数センチメートル先に、突然わいせつ物が現れた。顔に近過ぎて、それがブルーノのブルーノである事に理解が及ばない。けれど一秒後、素っ頓狂な声をあげて若者二人は後ずさりした。


 若者の表情には恐怖が浮かんでいる。上から降ってきた全裸の男。それも筋肉モリモリマッチョマンの変態マントだ。男女関係なく恐怖するには十分なインパクトがあった。


 そんな二人をブルーノは見下ろす。

 

「弱い者いじめはよくない」


 そして誰もが子供の頃に言い聞かされる教えを説いた。言われた二人は一瞬唖然として、次の瞬間に「人前で全裸なのもよくねぇよ!」と声を揃えて抗議した。


「確かに」


 ブルーノもそれには同意する。だが、今は自分の事を棚にあげておく。


「ハッ、なんだよ。日本語わかんのかよ。ビビらせやがって。ノッポの外人だろうが、言葉が通じるなら怖くねェ」

 

 理解できない正体不明こそを人は恐れる。そういう意味でさっきまでのブルーノは完璧に意味不明の存在だった為、若者達を恐怖させられたが、言葉を介し、正体不明でなくなった途端、その恐怖は霧散した。


 若者は調子を取り戻し、ポケットからバタフライナイフを取り出す。そして見せびらかすように新品の刃をチラつかせる。


「たいそうな体してても、結局これで一刺ししたら痛くて動けなくなるんだぜ?」


 ブルーノはナイフを凝視する。お粗末な出来。おまけに刀身が短すぎる。あれでは何度も突き刺さなければ人は殺せない。誇示するには心許ないだろ。と、竜殺しは相手の武器の見る目のなさに眉をひそめる。


「おいおい、もしかしてブルって動けないんですかー?」


 若者がよくわからない事を言ったので、ベンチから降りる。当然若者がいる側へ。


「お、おお。ガッツはあるみたいだな。だけど、それ以上近付けばタダじゃ──あ」


 ノシノシと歩いてナイフの切先まで詰め寄る。若者の反応を見るに、これは実際に刺した事はない。そう判断した上で、ブルーノはやってみろと若者を見下す。その意図は若者にも伝わったのか、目が震え始める。


「こ、の……なめやがって……」


「おい、これ以上はヤバいって!」


「るせぇ! コイツが挑発しやがったんだ! 俺は悪くねェんだよ!」


 一人の若者は制止したが、ナイフに握るもう片方の若者は感情のままに凶器を突き出した。ブルーノの胸を狙った刃は、しかし、甲高い音をあげて弾かれる。竜の血を受けた彼の肉体は実質、竜と等しい。今や彼の皮膚は竜鱗。お粗末な刃が通る道理はなかった。


「──は?」


 そのような事情など知らない若者達はあり得ない光景に目を疑う。考える間を与えずに、ブルーノは若者の腕を掴んだ。ナイフを握る腕を持ち上げ、動けないようにする。


「イッ、痛い! 痛いぃ! ぃあああっ!! ああっ、ああああああああ!!」


 それだけで若者が大袈裟な悲鳴をあげた。ブルーノ自身が驚くほど若者は痛みに暴れている。おかしい。ただ腕を掴んでいるだけだというのに。


 不意に誰かが枯れ木を踏んだ。そんな音がした。


「ひああああああああああああああああっ!!」


 ひと際大きく若者が泣き叫ぶ。そうして気付いた。枯れ木を踏んだ音ではない。若者の骨が砕ける音だった。


「えっ、嘘」


 驚愕と共に若者の腕を解放する。解き放たれた若者は気を失い、崩れ落ちたところを仲間に支えられた。


 この状況に一番戸惑っているのはブルーノ自身だった。骨を砕くつもりなどなかった。普通に拘束したつもりだった。それでちょっと説教して終わらせるはずだったのだ。


 これは竜の血を浴びたせいではない。竜の血で強化された分はしっかり手加減した。赤子の手を捻るくらいの力配分だ。そう、彼がいた世界──カゲートの赤ん坊の手を捻るくらいの力だった。たったそれだけの力で若者の骨は砕けたのだ。


「うわっ……この世界の人間、弱すぎ……」


 ブルーノがショックを受けている間に若者達は逃走する。ブルーノがとにかく危ない存在だというのを現段階において彼等が最も理解していた。


「あっ、すまない! そんなつもりは……骨を砕くつもりはなかったんだ! 本当だ! すまない! 本当にすまない!」


 肩を震わせながら逃げていく若者の背中に、ブルーノは謝罪の言葉を投げ掛けた。その誠意を見せたつもりの謝罪が、余計に若者を恐怖させる。謝罪の声を聞く度に悲鳴を上げながら若者達は公園から退散していった。


 申し訳ない気持ちで彼等を見送ったブルーノは、思い出したかのように倒れる老人に駆け寄る。


「御老体、大丈夫か」

 

「あ、ああ」


 しわがれた声で老人は答える。ブルーノは老体を起こしあげ、ベンチに腰かけさせた。


「ありがとう。助かったよ」


 深々と頭を下げて老人は感謝する。


「…………」


 ブルーノは老人を観察する。薄汚れた服。不精に伸び切った髭。見た目からも判断して、彼は浮浪者。それも群れから離れたはぐれ者だ。何者かの加虐心を満たす格好の餌食。全面的にあの若者達が悪いが、その認識を怠り、警戒しなかった老人にも多少の責任はあった。


「御老体、貴方は家無しだろう。この先に同じ境遇の集落がある。そこに匿ってもらうといい。こんなところに一人でいれば、再び同じのような目に遭うぞ」


 ブルーノの心配を聞き、老人は髭を撫でる。


「確かに、君の言う通りだ。けれどね、私はあそこの連中と一緒になる気はないよ。私は選んで一人でいるのさ」


「なぜだ。俺から見れば身を寄せ合い、危険を遠ざけている彼等の方が賢く正しいように思えるが」


「そうだね。私等みたいなもんが生きていくにゃあ、それが正解なんだろうね。手前の都合を考えれば、きっとそれが正しい」


 噛み締めるように老人は言葉にする。目を細めて、大事なものを語るように。


「でも忘れちゃいけない事がある。……私等は多くの人の温情で生きてる。真っ当に生きている誰かの温情によって見逃されている。本来私等ホームレスは社会にとって迷惑なもんだ。公共の場を我が物顔で占領し、勝手に縄張りを決めて居座っている。私はね、ああいうのは嫌なんだ。誰だって落ちぶれた人間なんて見たくないだろう。かといって死にたくもない。ならばせめて慎ましく。最大限、人の目から隠れて暮らし、最小限の迷惑で一生を終えるべきだと私は思うんだ」


 それは矜持であり、誇りに似たものだった。


「誰かの悪意に傷付けられてもか」


「うむ」


「誰にも感謝されず、ずっと孤独だとしてもか」


「うむ」


「そうか。貴方は強いな」


「ホホ。老い先短い故に意地を張っているだけだよ」


 この世界に来て、ブルーノは初めて穏やかな気持ちになった。思えば、まともにこの世界の住人と会話をしたのはこれが初めてだった。交流。触れ合い。交わしたのは言葉だけだが、今のこれはそう呼べるものだろう。


「私の事はともかく、君の奇天烈な格好はどうした事だね? どこからどう見ても、君は訳ありの人間だ。助けられた礼もある。私でよければ手を貸すよ。もっともこんな孤独なホームレスに出来る事などたかが知れているがね、ホホ」


 傷だらけの老人は全裸のブルーノを慮る。優しさを受けるのは、この世界に来て二回目だった。


「是非お願いしたい。服だ。服が欲しい」


「うむ、そうだろうね」


 だが──と老人は続ける。


「それだけではあるまい」


 ブルーノの心を見透かすように老人は問い掛ける。一瞬言葉が詰まった。けれど絞り出す。


「…………ああ」


 なんとか肯定の意だけを示す。

 慧眼の老人は彼の言葉を待っている。続く本心を待っている。


 いいのだろうか。若者を成敗した報酬なら服だけでも十分だ。けれど、それ以上を求めていいのだろうか。求められてばかりだった自分には自信がない。誰かを頼る自信がない。


 ふと老人の横顔を盗み見る。柔和な笑顔を浮かべていた。その表情は幼い頃に亡くなった父の面影と重なる。父性というものがあるなら、きっとこういうものなのだろう。そんな気がした。


「甘えて……いいだろうか」


「いいとも。言ってみなさい」


 口を開く。


「何もないんだ。俺は何も持ってない。服だけじゃない。金もないし、食い扶持もない。友人どころか知人すらいない。故郷に帰りたいのに、どうやって帰ればいいかわからない。帰る場所なんてないのに、これからどこに向かえばいいのかさえわからない。何一つないんだ。何一つ……この世界で生きていく指標がない……」


 口を開いた途端、全部が零れ出した。不安だったものを。隠してた思いを全て吐き出した。


 涙は出なかった。

 誰かが聞いてくれただけで救われる気持ちになった。だから、それ以上は望まない。こんな老体に男一人の世話をさせるなんて事はできない。ありがたく服だけ貰って、それからは一人で頑張ろう。それがお互いの為だろう。


「……ありがとう。楽になった。施しは服だけで──」

「──なら教えてあげるよ」


 ブルーノの言葉を遮って老人は切り出す。


「帰る場所がないなら自分で作るしかない。居場所がないなら、それも自分が作るしかない。そういうの、全部教えてあげよう。向かうべき場所はそれから考えればいい」


 この世界の生き方。この世界の歩き方。そういうものを老人は教えると言った。天涯孤独な男の指標になると言った。


「どうかな。先の短いジジイの旅に付き合うつもりはあるかい?」


 老人は立ち上がり、背を向けながら問う。


「ああ……、ああ。連れて行ってくれ。俺にこの世界を見せてくれ」


 男も立ち上がり、老人の背を追う。それが彼の長い旅の始まりだった。


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