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失敗談


 イサムに連れられて、ブルーノは彼のラボに招かれた。

 一度サクラを追ってたどり着いた失敗作の少女がいる部屋の先。高級マンションの一室のような研究室がイサムの活動拠点だった。


「コーヒーでいいかな?」


 イサムの問い掛けに頷き、ブルーノはテーブルの席につく。彼が二人分のコーヒーを置いたところで会話は再開された。


「俺をなぜここに?」


「異な事を言う。サクラの事で思うものがあったからこそ僕の招待に応じたのだろう? 違うかい?」


「…………」


 沈黙は肯定だった。


「まあ僕も、僕なりに考えがあったからキミを招いた訳なんだけれどもね」


 コーヒーを一口飲んで、イサムはブルーノへと視線を向ける。


「さて、ブルーノ・ランバージャック君。局長から事情は聞いているのだろう。それを踏まえた上でキミはあの子を──春日井 咲良をどう見る?」


「どうもこうない。サクラは普通の可愛い女の子だ」


 これまでに感じ取った印象からブルーノはそう断ずる。それは強化人間である事や代替品が存在する事などを無視した、春日井咲良という少女の内面を指した言葉だった。


 自他共に機械的であるとされる彼女。しかし、それが偽りであると知っている。機械のフリをしている事を知っている。無表情でありながら無感情でなく。厳しくとも優しく。それでいてたまに子供っぽく。故に頑固。──ブルーノはそんなサクラを『普通の可愛い女の子』と表現した。


「普通の……可愛い……。なるほど、キミはそういう風にあの子を見るか。ああ、それは正しい見解だね」


 肩を小刻みに揺らしてイサムはくつくつと笑う。それが期待していた返答であるかのように。


「とはいえ、キミは気になっているはずだよ。春日井咲良という少女の自我は平凡だが、その生物としての在り方は異様だと。不自然で──。不気味で──。或いは冒涜的であると、そんな事を思っているはずだ」


「…………」


「いや。その感想も正しい。一般的に言えば正当だ。だからこそ僕は言うよ。──あの子がああいう風になったのは全部、全て、一切合切僕のせいだ。僕が望み、僕が行い、そして彼女が生まれた。当然、彼女は望んで今のような存在になったのではない事を知っていてほしい」


「ならば教えてくれ。俺は彼女をもっとよく知りたい。彼女の苦悩を受け止めてやりたい」


 どこまでもまっすぐにブルーノは宣言する。仮にも父親に対して、その実直な好意を言葉にした。途端、イサムは苦笑を零す。


「キミならそう言ってくれると思っていたよ。……聞いてくれ。もっともあの子の出生の秘密というよりかは、僕の失敗談になってしまうのだけれどね」


 イサムはコーヒーで喉を潤し、口火を切る。


「僕には娘がいた。名前を咲良と名付けた」


「……」


 それが自分の知る‟サクラ”ではない事を口調からブルーノは理解する。


「妻は出産後、間もなく息を引き取った。元より体の強い人ではなかったんだ。……妻を失った僕はその愛情の全てを娘に向けた。彼女の死を忘れるように、ひたすらに娘を溺愛した」


 イサムの顔に自嘲が浮かぶ。


「その子もまた体が丈夫ではなかった。遺伝なのか、もしくはただ不運だったのか。どちらにせよ、人間としての咲良は弱く、脆い女の子だった。少し運動しただけで高熱を出して倒れる。外に出ただけで軽度の肺炎を引き起こし、それで一年間寝たきりになった事もあったな。免疫が著しく弱くてね、とても普通には生きられず、加えて長くも生きられない、そういう子だったんだ。──そして……生存限界は思ったよりも早かった」


「十五歳」──と、ぽつりと漏らす。


「咲良が十二歳の時、僕と僕の仲間達は彼女の寿命をそう定めた。それ以上は持たないだろうと結論を出した。──だから僕は研究に没頭した。残された時間を娘の為に使わず、自分の為に消費した。それは娘を繋ぎ止める為の研究だった」


「繋ぎ止める?」


「うん。僕はどんな形でもいいから娘に生きていて欲しかった。失いたくはなかったんだ。今度失えば僕にはもう愛情を向ける相手がいなかったから、……それが恐ろしかった。怖かった。──笑ってしまうだろう? 大の大人が孤独を恐れたんだ。子供が死ぬ悲しみよりも、後に続く寂しさを怖がった。まったく……父親失格さ」


「生憎、貴方の自虐には関心がない。過ぎた感傷は省略してほしい」


 過去を振り返って肩を落としていたイサムにブルーノはぴしゃりと言い放つ。イサムは頭を掻き、肩をすくめた。


「手厳しいね。……まあ、ともあれ僕は必死だった。脆弱な体故に人工臓器の移植もサイボーグ手術も出来ないあの子を救う手立ては従来の方法では存在せず、あの子の体を改善するという方針は断念せざるを得なかった。咲良の体は治せない。ならば意識を別の健常な肉体に移せないかと考えた。その発想を経て、僕は肉体から肉体へ精神を転写する技術を求めた。当然、未知の技術だ。個人的な研究では技術的にも金銭的にも時間的にも、あらゆる面で限度がある。だから僕は一つの企画を立ち上げた」


「……次世代型強化人間」


「そう。魔力路を搭載した強化人間、所謂第三世代とされる人工生命の製作。管理局の技術者だった僕はそれを提案した。……咲良は恵まれない身体に生まれたけれど、唯一他者より優れている部分があったんだ。それは良質な魔力保持者だったという事。僕はその長所を利用したわけだ。──『この才能が消えてしまうのは惜しい。せめて実験体として活用したい』──そう、局長に懇願してね」


「ミス・プリティの事だ。貴方の思惑は筒抜けだっただろうな」


「その通り。『娘を死なせたくないと素直に言え。馬鹿者め』って言われたよ。素直に言ったら気前よく予算と人員を割いてくれたし。ホント、困った時の神頼みというやつだね」


 ははは──とイサムは笑う。


「承諾を受けて僕は作った。魔力路を機能させる肉体と適応する神経系。そしてなにより精神を転写する技術を確立した。我ながら執念のなせる業だったと思う。……検証に検証を重ね、準備を万全に済ませ、僕はなんとか間に合った。咲良の命が尽きる前に間に合わせる事が出来た。喜びと達成感の中、僕は魔力路である心臓の移植と記憶の継承を実行したんだ。その時の高揚を今でも覚えているよ。これで第三世代強化人間の達成に装った娘の延命行為は実を結ぶ──はずだった」


「失敗したのか」


 第三世代強化人間の失敗作を知るブルーノは言う。イサムもそれを認めるように頷いた。


「そうだね。結果だけを見ればこれ以上のない失敗だった。……用意した肉体は魔力を不完全に循環させ、各所に機能不全を起こし、単独での生命活動が不可能な状態へと陥った。原因を究明しようとしたが、わからなかった。理論では問題ないんだ。実験でも問題は出なかった。その肉体は一切の問題なく正常に稼働する設計なんだ。しかし、事実として動かなかった。まるであの子自身が拒んでいるようでさえあったよ」


「だけど」──とイサムは続けた。


「僕は諦めなかった。第三世代型は失敗した。それはいい。どうでもいい。元より僕は娘を繋ぎ止めることさえ出来ればよかったのだからね。計画の失敗を受けて、僕はすぐさま次の提案をした。『第三世代型の思想はやはり間違っていた。今度は第二世代型の究極を目指す』とね。無論、それは方便だ。精神を転写する技術を得た以上、第三世代型になんてこだわる必要はない。魔力を失おうとも生きてさえいてくれればいい。故に僕は第二世代の器を用意した。エーテル槽の中で保管していた失敗作から、その肉体へと娘の自我データを転写し、そしてようやく咲良は意識を取り戻したんだ」


 深い溜息が零れる。誰のものかは言うまでもない。


「──そこに僕の知っている咲良はいなかった」


「……記憶が無くなっていたのか?」


「いや、あったよ。これまでの事を全部覚えていた。──けれど、人格は綺麗さっぱり消えていた。そうだね……、科学者がこんな事をいうのはなんだけどさ……、うん、魂が抜け落ちてしまったみたいな、そんな状態だった」


 春日井咲良としての知識と記憶を保持しつつ、しかし、そこに人格──或いは個性──或いは心──或いは魂と呼ぶべき個人を個人として成立させる要素が欠落していた。あったのは新たに生まれた無色の精神。生まれたての純粋な意識だった。


「最初にあったのは混乱。僕もだけど、それ以上にあの子は混乱していた。無理もない。見覚えのない記憶を抱えて生まれてきたんだ。それがどれだけの意味不明さか、僕には想像もつかないよ」


 記憶を持っていようと実感はなく。思い出を持っていようと感情はない。それまでの春日井咲良の全てを引き継いだ──新たな人格。


「それが──今のサクラなのか」


「そう。彼女はかつての咲良が抜け落ちた後に芽生えたサクラ。本当の春日井咲良は消え去り、何者でもない春日井咲良が残された。これが僕の愚行の末路さ」


 沈黙が下りる。男達はそれからしばらく何も口にしなかった。一方はその言葉を飲み込み、一方は相手の反応を待つ。やがてブルーノが息を吸った。


「貴方は後悔してるのか」


 射貫くような眼光で問う。


「難しい事を聞くなあ。……そうだね。後悔はしてる。娘の消失を知り、心底落胆もした。だけど、今のあの子を憎く思ったことはない。そもそも憎まれる事はあれ、僕に憎む権利はないし。今は親として愛してさえいる。うん。僕の行いで生まれたのならば、間違いなくあの子も僕の娘なのだと思っているよ」


「そうか。ならば、いい」


 ブルーノは言葉少なに頷く。

 カスガイ・サクラ。彼女の在り方。不自然な存続。同一ではない個の連続。出生の秘密を知り、その不自然さの解答を得た。


 何か納得した風のブルーノにイサムは問いかける。


「なあ、ブルーノ君。キミ……──咲良の事、好きだろ?」


「──ああ、大好きだ」


「うお、実の父親を前に臆面もなく……。すごい胆力だ」


「それがどうした。父親に反対されても手を引くつもりはないぞ、俺は」


「いやいや。その素直な好意は大いに結構。親として文句はありません」


 笑みを漏らしてブルーノを見据える。そしてイサムは優しい声色で語りだす。


「さて、ここまで咲良の事を話してきたけど、僕としてはここからが本題なんだ。“これまで”ではなく“これから”の咲良の為に、僕はキミにお願いしたい」


「お願い?」


「うん。咲良は自己否定の塊だ。本心では自分を春日井咲良と思っていない。だから、キミがあの子を満たしてやってくれ」


「すまない。話が見えない」


 竜殺しは困った顔で聞き返す。イサムも言葉が足りなかったかと苦笑した。

 

「サクラはかつての咲良の記憶を持っている。そしてそれは僕がどれだけ春日井咲良の存続を望んでいたかを知っている事になる。当然、彼女は気づく。自分が存在している事。それが僕の望みが潰えた事を示していると。あの子は良い子だ。馬鹿がつくほど真面目で責任感が強い。そんな子が自分を責めないはずがない。──故に彼女は課した。記憶の中の“春日井咲良”として振る舞う事を。自己を殺し、自身を欺き、他人を演じる。そうする事で自分を許した。そう、許容したんだ」


「だったら、そんな事をする必要はないと貴方が言えば──」


「──言ったさ。口癖になるくらい言ったさ。でもダメだった。彼女は頑固で……すごく頑固で……それ以上にか弱った。記憶の中の“他人”を演じる事が、あの子の拠り所だったんだ。春日井咲良を演じる事で、あの子は辛うじて自分を保てた。自身の境遇の意味不明さから逃れる事が出来た。あの子にとって春日井咲良でいる事は贖罪であり、同時に救済でもあったんだよ」


 それに気づいてからは、僕はあの子に対して何も言えなくなってしまった──とイサムは続けた。


「だから僕はキミにお願いする。男女の関係としてあの子を愛してあげてほしい」


「…………」


「具体的に言えば交際して、接吻をして、最終的には性交渉まで。流石に結婚までお願いするのは厚かましいと思うから、とりあえずセックスまでで」


「…………」


「どうしたのかな? 黙っちゃって」


「いや。話の脈絡についていけなくなっただけだ」


 眉間を押さえて考え込むと、ブルーノは顔を上げた。その表情は依然として険しいままだった。


「なぜこんな話になった」


「そりゃあ凍った女の心を溶かすのは『愛の炎』って相場は決まっているからね」


「そういう話だろうか?」


「そういう話だよ。……真面目な話、キミと出会ってから咲良は変化の兆候を見せている。十三室の室長になってから度々そういう兆しはあったけれど、最近は特に顕著だ。ブルーノ君は知らないだろうけど、キミに関する事であの子は一喜一憂していたんだよ。可愛らしいだろ?」


「そう……なのか」


「ともあれ、人を人足らしめるのは、結局として他者との交流なんだ。知り合って、関わって、言葉を交わして。そうやって自分を作っていく。自分を知っていく。ようやくあの子も“自分”を獲得したのだと僕は思っている。もっとも、それを認めようとはしていないみたいだけどね」


「だから!」──とイサムはブルーノへと指をさす。


「キミが、それを認めてやってくれ。そして、あの子にそれを認めさせてやってくれ。キミなら、それが出来るはずだ」


「…………」


 ブルーノは少しだけ考えた。考えたのは愛の言葉。自然と浮かび上がったものを掴み取って、彼は「わかった」と返答した。


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