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獣は激怒する


 道とも呼べぬ道を車は走る。

 郊外の田舎道は舗装などされておらず、その為に交通量も極めて少ない。凹凸があり、路面には大小様々な石が転がる。そんな悪路をモスグリーンのジープは走り続けていた。


 走る度に車内は揺れ、数十と積まれた瓶がカチャカチャと音をたてる。

 ちらり、とそれに目を向けて、運転手の男はほくそ笑む。瓶に詰められたものは、男にとって新しい宝物。想定より早い追跡を受けた為に持ち出せたのはこれだけだったが、それでも男は満足だった。これさえあれば、しばらくは楽しく生きていける。そんな風に思っていた。


「~~~♪」


 運転手の男──テオバルトは気分良く鼻歌を唄う。

 数時間前の興奮を思い返しながら、瓶の中に浮かぶサクラから摘出した部品達を眺める。至福の時間だった。


 ──結局、肺を摘出するまで生きてたなぁ、彼女。強化人間ってやっぱ根本的にタフな設計なんだなぁ。地球人は本当すごいものを作ったよ。


 サクラの最期を思い出して、テオバルトは地球人に対する尊敬を高める。いつか強化人間を造った人間の頭の中を覗いてみたいと、本気で思っていた。


 ともあれ活動拠点の一つを失ったのは無視できない。次なる安住の地へと向かわなければならない。男が刹那主義だからといって破滅願望がある訳ではないのだ。好奇心が働かない時は、普通に保身を考える。


 管理局の追手を振り切り、またやりたい事をやる為に男は車を走らせた。


「テルース教団の連中に飛行機を手配してもらうか。手放すのは惜しいけど、希少な彼女の臓器を一つか二つ提供すれば、また隠れ家も用意してくれそうだしねぇ」


 頼れる後ろ盾があると楽に生きていけるなぁ──と思った時、不思議なものを見た。


 何気なく目を向けたバックミラーに人影が映る。それが消えない。ずっとついてくる。車ならばまだわかる。しかし、人が車を追走するなど普通ではない。普通でないなら──


「──管理局か。対応が早過ぎるぞ」


 いとも容易く隠れ家が発見されたのもおかしいと思っていたが、ここにきてようやく認める。今回相手にしている管理局員はこれまでとは質が違うと。


 侮っていた訳ではないが、十年も退けてきた故に今回も大丈夫だろうという慢心があった事を自覚する。


「追ってくるのは一人。若い男。ああ、一番パッとしなかった奴か」


 村人に偽装していた時の記憶を手繰り、後ろを走る彼の事を想起した。

 見た目はチンピラ。言動も粗暴。ああいうタイプが最も弱い。典型的な三下だ。まあ、足の速さだけは評価してやってもいい──と、テオバルトは値踏みする。


「……ッ」


 不意に目が合う。

 ミラー越しに視線が交わる。血走った彼の瞳は、獲物を見つけた獣の目だった。


 瞬きの間に彼の姿が消える。ミラーに頼らず、目視で周囲を見渡すが、いない。気配を察した瞬間、天井に衝撃が走った。上に飛び乗られたと気付いた時には遅い。黒い槍が天井を貫き、一切のズレなくテオバルトの脳天を狙った。


「──クッ!」


 障壁魔法を咄嗟に発動させた事で槍の軌道が逸れ、男は事なきを得る。だがしかし、軌道を逸らした槍は車のハンドルを破壊した。クラクションがけたたましく響き渡り、車は操縦不能。やがて道から外れ、暴走する。進行方向には車より大きな岩が切り立っていた。

 

「おのれ──!」


 忌々しく呟き、テオバルトは運転席から飛び降りる。男が降りた直後、車は岩に激突した。


 翼を広げて飛行し、ある程度距離を取ってから男は振り返る。

 ひしゃげたボンネット。エンジンからは黒煙が昇っている。あれではもう使い物にならない。いや、そんな事よりも男は車内に積んであった宝物が気になった。


 駆け寄ろうとして、反射的に足を止める。

 車の前に彼──カズト・グレイトフルが降り立つ。激突の間際、垂直に跳んでいた彼は無傷であり、鋭い眼光で男の行く手を塞ぐ。


 自分の睨みに怯んだテオバルトを見て、カズトは鼻で笑う。そして壊れた車を一見した。車内には数え切れないほどの瓶が転がり、何個かは破損し、中身が零れている。それが何であるのかを理解した時、彼のこめかみに青筋が浮かんだ。


 テオバルトは無視し、車の燃料タンクを槍で突く。ガソリンが流出するのを確認すると、車の表面を切先で擦って火花を散らす。途端に引火。車は瞬く間に炎に包まれた。


 その光景をテオバルトは唖然とした表情で傍観した。僅かな間の後、我に返った男は激昂する。


「き、貴様ァ!! それがどれだけ価値のあるものか、わかっているのかぁ!!」


「ああ、知ってるよ。テメェには勿体ねぇもんだってな」


「許さん!! 断じて許さんぞ!! 貴様は解剖などせず、普通に殺してやる!!」


「それはこっちのセリフだ、タコ。今日を生き延びられると思うなよ」


 男の怒りなど生温い。

 彼は涼しげに切り返す。しかして、その瞳には滾る憤怒を宿らせていた。


「テメェに対する慈悲は一切持ち合わせちゃいねぇ。──加減は無しだ。悔んで死ね」


 カズト・グレイトフルはその本性を解放する。人から獣へ性質(スイッチ)を切り替える。


 彼は地球人と獣人の混血。

 両方の性質を受け継ぐが、同時にどちらでもない。けれど近付く事は出来た。


 曖昧だからこそ変質性を持つ。

 普段は人間に近く、必要に応じて獣性を引き出せる者。半端者であるが故の特権だ。


 そのスイッチを最大限まで傾ける。

 強靭な獣人の血を。偉大なる戦士から授かった狼の血を。──彼は己が身体に滾らせた。


「────」


 牙が伸びる。爪が尖る。筋肉が膨張する。

 灰色の頭髪(ウルフヘアー)は延長され、腰にまで届くほど長くなる。それはまるで尻尾のように揺れていた。


 完全な獣の目となった金色の瞳。威圧的な──殺人的な視線を男に向ける。


「貴様……人間ではないのか……!」


 対する男は驚愕する。

 恐れはあった。しかし、それを超えるほどの感心を抱いてしまった。


「そうか、獣人。それも他種族とのハーフか! ……なんてことだ、クソッ! これまた希少品(レアもの)じゃないか! 前言撤回する! やはり貴様を解剖したい!」


 欲望に忠実な男は怒りの中でも我を忘れない。どこまでも我欲を優先する。


 馬鹿な男を見て、カズトは髪が伸びた頭を馬鹿らしそうに掻いた。


「いいぜ、やれるもんならやってみな。どうせ無理だろうけどよ」


「ふん、それはどうかな?」


 テオバルトは魔法を放つ。

 一切の動作を必要とせずに無詠唱で行使された空気の刃は、自然の風が如く発生し、カズトを襲う。


 空気は透明、目視は不可能。少なくとも彼には不可能だ。無詠唱故、魔法が行われた事にすら気付けない。だが──


「よっ──と」


 ──彼は事もなげに空気の刃を黒槍で払い除けた。手応えを得た彼は小さく笑う。


「ネタはわかってんだぜ。ちゃんと情報共有してきたからな」


 戦闘したリンディから男の扱う魔法は聞き及んでいた。見た目に反して勤勉な彼である。


「わ……わかっていたとしても、不可視の刃がなぜ見える!?」


「見えねぇよ。──だけどまぁ、悪意の塊みたいなテメェの魔法を無視しろって方が無理な話だ」


 見えないが感じる。

 卓越した危機察知能力。或いは動物的な感の良さ。特別な異能を持たぬ獣人が、なぜ緑界にて栄えたのか。解答は明白。単純に生物として優れているからだ。


 緑界においては優れた知性を持ち、繁殖力も旺盛。身体能力は言うに及ばず、鋭敏な五感と未だ解明されぬ第六感を有する。その生物として純粋な逞しさをカズトは見せつけた。


 ならば防げぬ一撃を喰らわせる──とテオバルトは腕を構える。


「クッ……! 侵食(犯せ)暴虐(犯せ)()──」

「──遅ぇよ」


 詠唱を開始した直後、カズトは男の眼前まで迫った。

 持ち前の瞬発力は百メートルの間合いを瞬時に埋める。


 第十三対策室の中で彼は最弱。あまり役に立たない男。彼自身、自覚する事実。だが、それは保護の難しい危険な巨大生物を相手にする事が多いからの話だ。そういう相手には彼は活躍しにくい。サクラのように重火器を扱えるのであれば良いのだが、彼には射撃武器のセンスが絶望的に無かった。破壊力が乏しいのは疑いようがない。──しかし、相手が自身と同規模ならその限りではないのだ。


 槍の一突きは巨大生物を殺すには物足りないが、人間程度なら容易く殺害できる。当たり前のことだ。


 槍が通用するのなら、彼は一流の戦士に化ける。

 偉大なる戦士『灰狼』。その大き過ぎる父から闘争の英才教育を受けた彼の戦闘技術は他の追随を許さない。言わば戦技優良者(エリート)。あらゆる戦士が羨む環境で育った彼が凡夫であるはずがなかった。


「ひ──」


 槍が閃く。

 さえずる男の喉元を狙った一撃は、念の為に展開していた障壁魔法に防がれる。けれど、その障壁ごと、彼の槍は男を押し出した。貫通はしない。切先は届かない。だが、衝撃と殺意だけは到達した。


 短い悲鳴と共に後退したテオバルトは苛立ちをカズトに向ける──が、向けた先に彼はいなかった。


 彼は既に死角へと回り込んでいる。

 視界の外から槍を叩き付け、男が察知した時にはもういない。よろめく男の死角に回り、再度槍を叩き付ける。攻撃は全て障壁に防がれたが、彼はそれを何度も続けた。弄ぶように。憂さを晴らすように。憎しみを込めて、何度も何度も怒りを叩き付けた。


 打ち付けられる度に男はよろめき、防ぎ切れなかった衝撃で打撲していく。障壁がなければ優に三十回は死んでいた。


「ふざ……ふざけ──げふっ!」


 男が何かを言うと顔面を叩き、言葉を途切れさせる。詠唱させないという目的もあったが、それ以上に耳障りな声を聞きたくなかった。

 

 やがて男がうずくまり、亀のように丸くなった時、彼はその手を止めた。槍を肩にかけて、痣だらけの男を見下す。


「オラ、立てよ。オレはまだまだやり足りねぇぞ」


「も、もう勘弁してほしい……。十分思い知った。抵抗しない。抵抗しないから、もうやめてくれ……」


「駄目だ。テメェは殺す。そう決めた」


 命乞いする男を一蹴する。慈悲はない。彼は最初にそう言っている。


 その姿勢にテオバルトは乾いた笑いを零す。


「そうかい。これが最後のチャンスだったのに──なァッ!」


 顔をあげ、男は懐に隠し持っていた何かを投げる。パイナップルのような無骨な球体。それは手榴弾だった。


 ピンは既に抜かれており、地面に落ちる事無く、カズトの目の前で爆発した。

 衝撃と金属片が四散する。近くにいたテオバルトにも当然それらは襲い掛かったが、障壁魔法によって男の身体は保護された。実質、被害を受けたのはカズト一人だけだった。


 人智を超えた戦いを日常的にしている管理局を相手にする場合、この手の近代兵器を用いた不意打ちが効果的だと、地球に来てからの十年で男は学んでいた。


「ハッ、馬鹿めが。あの天族と同じ手にかかるとは──」

「──あぁ? 何か言ったか?」


 カズトの声を聞いて絶句する。

 彼は依然として、そこに立っていた。無傷ではない。爆風とそれに乗って飛んできた金属片を受けて傷付いている。全身の至る所から出血し、金属片は痛々しく突き刺さっていた。


 だが、それがどうした。

 彼の闘志に揺るぎはない。この程度の負傷で動かなくなるような肉体ではない。この程度の痛みに震える精神ではない。


「どうした。リンと同じようにオレの内臓をまさぐってみろよ。室長と同じようにオレの内蔵を奪ってみろよ」


 憤怒と激怒。激情が突き動かす。男は彼の琴線に触れた。触れ過ぎた。


「ほら、早くしろ。早くやってみせろ。出来ねぇとは言わせねぇ。アイツ等はオレなんかよりすげぇんだ。強い女なんだ。だからよ、オレ程度簡単にヤれんだろ?」


 一歩踏み出す。


「──なァ?」


 男に向かって。


「──なァ!」


 血走った瞳で。


「──なァ!!」


 溢れる怒りを──黒槍に込める。


「……あ、ぁぁ、うわああっ」


 テオバルトは恐怖した。

 純粋な怒り。ただ自分だけに向けられた全力の感情。それを恐ろしいと思う。敵意や害意、殺意とも違う。そのような一定の形ではない。形がない。思慮がない。明確なイメージをしていない。けれど男の破滅を望んでいる。底が見えない。何をされるのかわからない。怖い。ひたすらに怖い。──抗えぬ恐怖に侵食される。


 転がるように後退し、彼が追えぬ空へと逃げ出す。


「…………」


 カズトはそれを追わなかった。その代わりに槍を構える。

 リンディに焼かれた男の片翼を狙い、神龍の瞳を潰した一投を放つ。その時よりも更に強力な一閃。姿も音も、何もかもを置き去りにした至高の投擲は、察知する事すら許さず、男の片翼をもぎ取った。


「ひぎぃ!?」


 見上げる空に悲鳴が轟く。

 突然の消失感を受け、テオバルトは訳もわからず──しかし、それでも逃げ出した一心で飛行を続けた。根性とも呼べる頑張りだった。


「チッ……、落ちなかったか」


 逃したというのに、さして気にしない様子のカズトは獣化を解いて腰を下ろす。強がっていたが、手榴弾の直撃はやはりダメージが大きかったのだ。


「まあいい。“影”には触れた。トドメはアイツに譲ってやる」


 ふぅ、と息を吐く。

 疲れた。戦いにではない。怒るのに疲れてしまった。


 積極的な感情というのは抱くだけで消耗する。それは時に爆発的な力を生むが、何かを発揮する以上、対価として体力を消費するのは自明の理だ。


「……でもさ、オレにしてはよくやった方だろ。なあ、室長」


 いなくなってしまった友達を思って、カズトは静かに涙を零す。──不意に、その頭上を影が通過した。彼は上を見上げ、そして得心する。


「そっか。そうだよな。お前も、このままじゃ気が済まねぇよな」


 そう呟いて、カズトは自分を抜かしていった人影を見送った。



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